次の目標
次の目標が決まりました
発表会が終わり、真理の日々はだんだんと通常に戻っていった。
さすがに本番の翌日は、山のような洗濯物と後片付けに追われた真理。
仕事は休みを取っていた。
休暇を申請する時に、
「旅行にでも行くの?」
と同僚から言われたが、曖昧にごまかした。
職場の仲間に、バレエの事は話していない。
かつて舞香が使っていた楽屋で着る上着やオーバーソックスを拝借したから、それらを片付けながら
どこか心に穴が開いたように感じる真理。
この気持ちは、何だろう。
舞香がこの上着を着て、舞台袖でウォームアップをしていた姿が思い出される。
しかし、そんな懐かしさとは別のものだ。
達成感?
今の自分として出来ることはやった。
そして、楽しんだ、それは間違いない。
でも、心のどこかでくすぶる、何かすっきりしないもの、があるのも事実だった。
大人のバレエクラスは、発表会の翌週はお休みとなったが、その次の週から通常のレッスンが再会された。
レッスンに集まった生徒たち、それぞれ発表会の話で持ち切りだ。
晴美と幸子とも久しぶりに会った真理、お互いに発表会での労をねぎらった。
そこに、やってきたのが田代あかり。
少し浮かない表情だ。
「あの、私。今月で辞めるの。
発表会の練習で、家の事がだいぶ疎かになっちゃって。
旦那に、いい加減にしろって言われてね。
ここで習ってる以上、次の発表会もあるでしょう?こんな調子じゃ次は出られそうにないから、
もう少し子供たちの手がかからなくなるまで、お休みするわ」
とあかり。
「そうなんだ」
真理たちは、それ以上何かを言うことが出来ずにいた。
いずみ先生の大人のバレエクラス。
今回の発表会を区切りに、あかりのように辞めていく者もいれば、数名の新メンバーも加わった。
「子供の友達が出演しているので、観に行ったら大人のクラスがある様で」
「以前から習いたかったんだけど、なかなか思い切れなくて。でも発表会を見て背中を押してもらえました」
などなど、それぞれ熱い思いを心に秘めているようだ。
そして、
「舞香ちゃんママ」
と声をかけられた真理。
そこには、発表会の当日、リハーサルの時、真理に対して
「よくやるよ」
と一瞥した保護者の一人、田辺美咲がいたのだ。
「私、舞香ちゃんママがすごく羨ましくて。
本当は私も自分が踊りたかったの。お願い、仲間に入れてもらえないかな」
とうつむきながら言う。
「もちろん、一緒にがんばろう」
と真理は笑顔で言った。
その日から、生徒の保護者、から大人のクラスの一員となった美咲。
発表会後、最初のレッスンは皆久しぶりなうえに、初めてのメンバーもいたので、
基礎をゆっくりと復習することから始まった。
バレエのレッスンはこういった基礎の稽古がとても大切なのだ。
一見しると、同じ動きの繰り返しなのだが、生徒たちはみな真剣だ。
そして、今までと比べて随分と積極的になっていた。
バーに付く時も、センターでの並び順も、今までのようにうじうじと後ずさりすることはなく、
譲り合いながらも、てきぱきと位置に付いた。
そんな通常のレッスンが数か月続いたある日、
いずみ先生から生徒たちに話があった。
「皆さん、とても頑張ってらいしゃいますね。
すごく上達しているわ。
そこで、まあ、希望者だけですけれど、ポアントのクラスを作ろうと思います」
ポアント、トゥシューズのことだ。
バレエを習うなら誰もが憧れる、つま先で立つための特別な靴、トゥシューズ。
子供のころからレッスンを始めても、トゥシューズで踊るにはかなりの年数が必要だ。
足や体への負担が大きいこのトゥシューズは、大人のクラスではなかなか履くチャンスはない。
基礎ができないない身体では、怪我の心配があるからだ。
いずみ先生もそのあたりは十分に承知している。
大人クラスの生徒たち、何年にもわたる基礎訓練を待つ余裕はない。
そんな大人のクラスの生徒たちにも、ポアントで踊る夢を叶えてやりやい、そう考えたのだ。
「あの方たちから何か言われちゃうかしらね」
と美咲が真理にささやいた。
あの方たち。
教室の保護者のことだ。
「気にしない、気にしない」
と真理。
「それでは、ポアントはご希望があればこちらで手配いたします。
ご自身で選びたい方は、もちろんそれでもかまいませんよ」
といずみ先生が言う。
一口に、トゥシューズと言っても、多くのメーカーから数え切れない程の種類の品が発売されている。
日本製、外国製、値段も様々だ。
初心者用もあれば、プロのバレリーナが使うような上級者向けもある。
そんな中から、それぞれの足に合わせて自分に合うものを見つけるのだ。
その日の夜、真理は舞香にポアントの事を話した。
「ママ、ポアントデビューかあ。見た目より大変だよ」
と舞香。
「で、舞香ちゃん。お願いなんだけど、一緒に選んでもらえないかな?」
真理は舞香にアドバイスをもらうつもりで、いずみ先生の調達を断っていた。
その週末、真理は舞香と共にバレエショップにいた。
ここは品数が豊富で、週末はかなり混雑する人気の店だ。
舞香もよくここでシューズやウエアを調達した。
広いフロアがシューズのコーナーになっている。
椅子やバーが置いてあり、試着が可能なのだ。
椅子に座り、そのトゥシューズを試着する準備をする真理。
トゥシューズを履くのは子供の頃以来だ。
「あ、ママ、ポアント履いたことはあるんだよね」
と舞香。
そう言うとたくさんのトゥシューズが並んでいる商品棚へ向かう舞香。
そこに、
「ここしか空いてないわね」
と声がした。
舞香より少し年下と思われる少女と母親らしき女性がそこにいた。
娘が椅子に座り、慣れた手つきで数足のトゥシューズを試している。
真理とその少女の間に鏡がある。
共同で使うようになっているが、少女は気にする様子もなく、シューズの様子を鏡に映している。
「ゆうかちゃん、あなたはお遊びではないんだから、気が済むまで選ばないと」
と母親が真理の方をチラチラ見ながら言った。
いかにも、大人でトゥシューズを選んでるんですか?と鼻で笑っているような態度だ。
その様子を見ていた舞香。
手には選んだトゥシューズが数足。
舞香は自分もトゥシューズを持つと、自ら足に入れてバーを持ちつま先立ちをしていた。
バレエから遠ざかりしばらく経ったが、すらりと伸びた脚は健在だ。
アンデオールに開いたつま先、バレエ経験者なら一目でわかる恵まれた足の甲。
それを見た、少女と母親が一瞬息をのむのが分かった。
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