夢の時間の始まり
いよいよ舞台へ
「どうしたの?早く楽屋へ行こうよ」
と同じ大人の生徒、幸子に声をかけられて、真理は舞台裏にある部屋へと急いだ。
舞台の裏にいくつかの部屋がある。
楽屋と呼ばれている、出演者の控室だ。
あすかバレエスタジオの生徒たちが3部屋を、いずみ先生率いる大人の生徒たちが一番奥のひと部屋を使うように割り当てられていた。
「私たちだけでよかったわね」
と大人の生徒の一人が言った。
「さっきの子供たちのママさんたち、目つきが怖かったもの。一緒の部屋だったら邪見にされてたわ」
と。
さきほど、少々心に刺さる事を言われた真理。
「大人がバレエ?舞台に出るですって?」
それも一理ある。
つい引け目を感じている自分に気付く真理。
「でも、私たちだって費用を払っているんだから、堂々としていればいいのよ」
と言うのは晴美だった。
発表会に出るため、生徒はそれぞれ出演料を負担する。
決して安くはない。
「ママ、調子はどう?」
その時、真理の娘舞香が楽屋へ入って来た。
手には、一口で食べられる小さめのスイーツがたくさん。
「はい、差し入れ。みなさんで」
と舞香。
差し入れのお菓子を配り終えると、舞香は真理を鏡の前に座らせた。
楽屋には、壁一面に鏡の付いた鏡前と言われるカウンターのようなテーブルがある。
そのこにずらりと並んで、生徒たちはメイクの仕上げや髪を結い直したりするのだ。
「こっちの楽屋か、使いにくいのよね」
と舞香は何やらぶつぶつと言っている。
聞けば、この楽屋は他に比べると使い勝手が悪く不評なのだと。
真理は知らなかったことだ。
「お団子、少しおくれ毛が出てたから直しておいたから」
と舞香。
その日の真理は髪をきっちりとまとめ上げた「お団子」と言われるバレエらしいヘアスタイルだ。
他の生徒もだが、これがバレエの定番なのだ。
それから、メイクも手を加える舞香。
首のあたりにキラキラとしたパウダーを塗る。
「そんなのいいの?」
と真理が聞くが、
「大丈夫だって。あすか先生に聞いたから。これ、照明があたるときれいなんだよ」
と舞香。
そうこうしていると、他の大人生徒も舞香の周りに寄って来た。
「私の髪も、直してもらえるかしら」
「私、口紅が落ちちゃってて」
「髪飾り、このへんでいいかな」
そんな要望にテキパキと応える舞香。
とても場慣れしている。
中学生になったことから、自分の支度は自分で出来るようになっていた舞香。
真理は保護者として、他の雑務に追われており舞香の楽屋での様子を見ることはあまりなかったのだ。
「舞香ちゃん、ありがとう」
「助かったわ」
そんな声が相次いだ。
そこにいずみ先生も顔を出した。
さきほどのリハーサルでは客席で最終のダメ出しをしていたが、大人楽屋にやってくるのはこの日初めてだ。
いずみ先生を取り囲む、大人生徒たち。
先生の顔を見て、少なからず安堵の表情を浮かべている。
「さあ、あとは本番を待つだけ。みなさん、すごく練習したんだからあとは楽しんで踊るだけよ」
といずみ先生は言った。
楽屋には舞台の様子を映しているモニターがある。
開演5分前となり、音声が入った。
ロビーにいる観客たちに、席に着くように促すアナウンスが流れている。
客席には既に、多くの人の姿が見えた。
「わあ、すごい。緊張してきた」
と生徒たち。
すると、
「ブーッ」
と開演を知らせるブザーが鳴った。
アナウンスが開演を告げると、客席は暗くなり部隊の照明が対照的にまばゆく輝いた。
あすかバレエスタジオの発表会が始まったのだ。
小さな子が踊る演目が続く。
モニター越しに見ても何とも癒される。
それからしばらくすると、のあが立ち上がり、晴美とあかり、それから恵美が続いた。
もう一演目の出演が迫っている4人。
この4人だけは、衣装も2着、髪飾りも2種類。
楽屋にはそれぞれが衣装をハンガーにかけて吊るしていたが、この衣裳がなんだか随分と場所を取る。
「ワルツ」の衣装はチュールの長いスカートだが、4人が着るのはチュチュ。
バレエの衣装の定番だ。
4人のうちの一人、恵美がそのチュチュを吊るした時、大きく広がるチュールが隣に掛けてあった
ワルツの衣装にぶつかった。
恵美はワルツの衣装を遠ざけて、自分のチュチュをかけた。
たったそれだけの事だった。
ぶつからないように、よけただけ。
それだけ。
その様子を見た真理に古い記憶がよみがえった。
「コールドさんの衣装は端にかけてね」
と誰かに言われた。
かつて子供の頃の発表会の思い出だ。
コールドといわれる群舞をだった真理。
その時も、真ん中にはソロや大きな役を踊る子の衣装がかけられて、自分たちは隅においやられたんだ。
「どうしたの?」
と幸子が声をかけてきた。
知らぬ間に表情が曇っていたようだ。
やがてモニターではあの4人が出ている演目が流れ始めた。
メインで踊る中学生は舞香の後輩だ。
ついこの前まで、小さな子だと思っていたその中学生。
随分と上手くなったものだ。
と真理は感心しながら眺めていた。
選ばれたこの4人というと、踊るところはほぼなく、後ろでポーズしているだけだ。
「さすが背が揃っているから綺麗に見えるわね」
と声がする。
モニターの前のそれぞれが、少しだけ4人に嫉妬心を持っていたようだった。
そんな4人の出番も終わり、舞台は休憩時間になった。
この後、プログラムは第2部へと進む。
その3番目が大人クラスの生徒の出番、眠れる森の美女「ワルツ」だ。
楽屋の外の廊下は何やら騒がしくなっていた。
客席にいた保護者たちが、子供の様子を見るために楽屋へとやってきているのだ。
この休憩時間中に、大人クラスの生徒は衣装に着替える。
お互いに背中のホックを留め合ったり、髪飾りを確認したり。
そして、誰からともなく、立ち上がると楽屋を出た。
2幕が始まる時は舞台袖に来ているように、といずみ先生に言われていたのだ。
楽屋から舞台袖までは、廊下を進んで階段を降りていく。
外に出るとちょうど、客席に戻ると保護者たちと会った。
お互い、会釈はしたもののそのままそれぞれが自分の道を進む。
廊下を抜けて階段を降りると、薄暗い舞台袖に出る。
袖から眺める舞台は照明で眩しく光っている。
場内にブザーが鳴り、2部の始めりを告げた。
1番目、2番目と演目が進み、次は大人クラスの生徒の出番だ。
アナウンスが真理たち出演者の名を告げる。
照明が一層輝きだし、音楽が流れた。
「さあ、夢の始まりよ」
といずみ先生に言われて、真理たち大人クラスの生徒は舞台へとその一歩を踏み出した。
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