いずみ先生の本音
複雑ないずみ先生の心のうち
酒をあおりながら、いずみは話し始めた。
大人のバレエクラスをやるのは自分から熱望したことだった。
バレエにあこがれていたかつての少女たち、その夢を叶えたい。
幾つになっても踊ることの楽しさを知ってほしい。
そんな夢と希望に満ちて始めた大人のクラス。
もちろん、今でも有意義な時間であることには違いない。
しかし。
「でもさ、みんな主婦なのよね」
といずみ。
大人のバレエクラスの生徒、そのほとんどは家庭を持つ主婦だ。
しのぶのような若い未婚の女性もいるのだが、いずみと同年代以上で結婚していないのは真由子だけなのだ。
「話が合わなくてね」
といずみ。
いずみはバレエに人生を捧げてきた。
かつてはそこそこに活躍したプロのバレリーナだ。
恋人という存在は時々いたが、生涯の伴侶となることはなくいまだに「独身」である。
そんな人生に後悔はしていない。
自分の思うまま、夢をおいかけ希望通りに生きてきた。
だから、まったく後悔なんかしていない。
しかし。
大人のバレエクラスの生徒たちの何気ない会話。
その日のたわいないに日常のこと、夕食の献立や子供の学校での出来事、週末家族で出かけたこと。
そんなごくごく普通の話題がいずみにとってはとても別世界の話に聞こえた。
自分も普通に結婚をして子供がいたら、
あの人たち(生徒)と同じように、毎日食事のメニューを考え子供から学校での出来事の話を聞き、
そして、週末は家族ですごす。
そんな日々を送っていたかもしれない。
夫、という存在にはそれほど執着はしないが、子供は。
子供は持ってみたかった。
母になってみたかった。
その選択肢を選ばなかったのはいずみ自身なのだが。
「なんかね、少し切なくなっちゃって。私はあの人たちみたいな平凡な幸せってのに背を向けてたんだって」
といずみ。
「だから、独りで仕事頑張ってバレエも一生懸命な真由子ちゃんの事が気になってね」
と。
それに加えて、話し上手聞き上手の真由子。
いずにともいつも話題に事欠かず、話が尽きない。
そんな、生徒の枠を超えて「友達」でもある真由子の事を、普通の生徒よりも気にかけている。
それはいずみも認めることだ。
「まあ、少しばかりのえこひいきはあるにしても」
と康太。
「他に何か方法はないんですか?」
そこに大河が口を挟んだ。
先程から、ずっと黙っていずみの話をきいていた大河。
すでに顔が赤くなっている。
「僕は舞香ちゃんと真理さん、母と娘で踊るトロワのお相手がしたかったんです」
と大河。
まるでいずみに詰め寄るかのように言うが少々ろれつが回っていない。
「大河くんは真理ちゃんと同僚だものね。やっぱり真理ちゃんがいいよね」
といずみが言うと、
「あたりまえじゃないですか」
とますますろれつの回らぬ大河が言い返す。
「だって、舞香と真由子ちゃんの方がバランス的にもちょうどいいし」
といずみ。
背丈の事だ。
「でも、ぼくはぁ」
と大河はますます大きな声で言う。
顔はもう真っ赤だ。
「おい、大河、飲みすぎだぞ」
と割って入る康太に少し冷静になったのか、
「問題は、真理さんが一度は自分に配役されたって知ってることですよね」
と大河。
「そうなのよ。あの時は真理ちゃんで決定だったから」
といずみはくちごもる。
「舞香はすぐに真理ちゃんに話すかしら」
といずみが言う。
先程、配役変更を知った舞香。
今頃はもう帰宅している時間だろう。
思わずスマホを確認する三人。
舞香か真理からメールが入っているかもしれない、そう思ったのだ。
その頃、
とある駅前のカフェで。
舞香が向かい合って座っているのは、真由子だ。
テーブルにはケーキセットの皿とコーヒーカップが二人前置かれている。
「どうしたの?こんな時間に。ママには連絡してるのよね?」
と真由子。
舞香から呼び出されて慌ててやって来たようだ。
「来てくれてありがとう」
と舞香が言う。
まだ仕事中だったにもかかわらず、真由子は舞香の元に駆け付けてくれたのだ。
「だって舞香ちゃんが、話したいことがあるって、どうしたんだろうって心配じゃない」
と真由子。
「あの、今度の発表会のこと」
と舞香が小さな声で言った。
真理には、稽古が長引いている、とメールをした。
少しばかり帰宅が遅くなっても大丈夫だ、でもあまりゆっくりはしていられない。
言いたいことは前置き無しに言わないと。
「え?発表会、舞香ちゃん、何か知ってるの?」
と真由子。
そう言われて舞香は深く息を吸うと、
「パドトロワの配役なんですけど、私と真由子さんに決まったって聞きました。
最初は母の予定だったのが、真由子さんに変更されたとか、これは何故でしょうか」
とストレートに聞いた。
その時、真由子がこの「決定」を知っているのかも定かではなかったのだが、
聞かずにはいられなかったのだ。
舞香の言葉に少し顔を引きつらせた真由子、しかしすぐに笑顔になり、
「そうなのよ、いずみ先生がね私の夢を叶えてくださるって。舞香ちゃんと踊れるなんて本当に光栄だわ」
と瞳を輝かせながら言った。
満面の笑顔、魅力的な話しっぷり、しかしその言葉には有無を言わせぬ圧力があった。
「真理ちゃんには申し訳ないけど、これはいずみ先生がお決めになったことだから」
と再び圧をかけながら言う真由子。
先生の決定は絶対だ。
うつむく舞香。
「舞香ちゃんはママと踊りたかった?」
と真由子に言われて、
「もちろんです」
と即答する舞香。
「でもさ、真理ちゃんと舞香ちゃんじゃ、背の高さも違うしバランスが悪いじゃない。
いくら発表会でも、見た目は大切よ、っていずみ先生もおっしゃっていたわ」
と真由子。
いつもなら、いずみちゃん、とフレンドリーに呼ぶ真由子が「先生」と言いい敬語を使う。
この話し方。
「嫌な感じ」
と舞香は真由子に嫌悪感を抱き始めていた。
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