発表会に向けて
発表会が近付いてきました
「ねえ、舞香ちゃん」
とその日の夕食の席で母、真理が口を開いた。
「あの、バレエのレッスン、もう一日増やそうと思うんだけど」
と。
「そう、いいんじゃない」
と舞香はさらりと答えた。
「でもね、それが夜の時間帯なんだって。夕飯とかどうしよう」
と真理は心配そうに言うが、
「それくらい自分で出来るし。それにバイトか部活で遅いかもしれないし」
と舞香。
今まで、週に一度だったバレエのレッスン。
発表会という目標が出来た今、練習量を増やしたいと言う声が大人の生徒たちから上がっていたのだ。
そこで、数人の有志がいずみ先生に談判をした。
発表会まで、稽古の日を増やしてほしい、と。
「あすかバレエスタジオ」は駅前にある貸スタジオをレンタルしてレッスンをしている。
そのスタジオに空きがない限り、稽古を増やすことはできない。
それに、増やせば月謝もその分増えるのだ。
生徒たちからの申し出を聞いたいずみ先生、スタジオの空き時間と割り増しになる料金を調べ、
生徒たちに提示してくれた。
稽古が増やせるのは、平日の18時から2時間ほど、その分月謝は5千円の増額。
といずみ先生が告げた。
これに対して、生徒たちは。
それぞれ家庭の事情が違う。
18時と言えば、家族のある者には家を空けにくい時間帯だ。
それに、「自分の趣味」のために数千円の出費はなかなか思い切れない。
生徒同士、環境ががまるで違うのだ。
顔を見合わせながら、浮かない表情を浮かべる数人に対し、
一方では、
「子供たちはもう手がかからないし、旦那は遅いし。家でじっとしているならもう一日お稽古したいわ」
そう言う生徒も。
「ねえ、真理さん。あなたも増やしたいでしょう?」
と声をかけてきたのは、真理と同年代の高山晴美だ。
更衣室や帰り道で、多少話をする間柄になっていた真理と晴美。
晴美は真理の家の事情も少しは知っている。
「そうね、夫と息子は家にいないし、娘ももう高校生だし」
と真理。
「真理さんも晴美さんも、自由な時間が多くていいわね。うらやましい」
と小学生の子供を抱えている、田代あかりが口をはさんだ。
「でもバレエ、習えるだけいいじゃない」
と真理。
「私は子供が小学生の頃は、子供に習わせるだけで精いっぱいだったもの」
と続ける真理に、
「だってさ、うちは二人とも男の子だもん。娘がいたら私だってバレエママになっていたわ」
とあかり。
「最近はバレエならう男の子だって多いじゃない」
と晴美が言うと、
「そんなビジュアルな男子じゃないのよ、うちの子。二人とも野球少年だもん。
真っ黒に日焼けしていがぐり頭で、バレエとは程遠いわ」
とあかり。
「だから、せめて自分の夢だったバレエ習いたいって、旦那に訴えたの。
子供の野球の付き添いだって、週に一度のバレエがあれば頑張れる、って」
あかりの他にも、皆それぞれ違う事情を抱えている生徒たち。
稽古を増やすことに満場一致で賛成とはいかなそうだ。
「じゃあ、18時からのお稽古は有志で、ということで。基本はいつものクラスで、お稽古増やせないからっこちらが、なにか待遇を変えるなんてことはしないから、安心してくださいね」
といずみ先生が言った。
それを聞いた、あかりたちは安堵の表情を見せた。
週に一度の稽古だと、当然上達の度合いも違う、そうなると不利益なのではないか、と案じていたのだ。
「あくまでも、大人のクラス、ですからね。皆さん、出来る範囲でやりましょう。
週に一度しか来られない人たちは、その分集中して内容の濃いレッスンをしましょう」
といずみ先生。
それから、大人のクラスの稽古は有志のみ週に2回となった。
真理は舞香の理解もあり、週2回稽古をしている。
「補習」と名付けられたこのレッスンには、通常の大人クラスの半数くらいの生徒が参加していた。
ある日の「補習」レッスンの帰り道、真理は晴美と小島幸子と共に寄り道をした。
夕食の時間も過ぎており、小腹が空いて家まで持ちそうにない、と言うことで夕食を摂って帰ることにしたのだ。
「晴美さんも真理さんも、おうちは大丈夫?」
と幸子が聞くと、
「大丈夫よ」
と二人が揃って答えた。
「ビールで乾杯したいところだけど、発表会前だからヘルシーにウーロン茶で」
と三人。
食事をしながらおしゃべりに花を咲かせた。
「真理さんは以前、習っていたんでしょ?」
と晴美に聞かれて、
「そうなんだけど、まるで落ちこぼれで。そうそうに諦めたの。
それで娘に夢を託したんだけど、その娘も辞めちゃって」
と真理。
「私はね、子供の頃習わせてもらえなくて。うちお金なかったから。
だから今更だけど、出来る限り極めたいの」
と晴美が言う。
「私も似たようなものよ、お二人よりひと世代年上でしょ?大人でバレエだって?って思っていたもの」
と幸子。
晴美も幸子もスラリとした細身の長身だ。
初めての稽古の時、レオタード姿を見て思わず見とれたほどの体型だった。
「お二人ともスタイル抜群でうらやましい」
と真理がポツリと言う。
「あら、真理さんだって指先なんかすごくきれいで、さすがは経験者って感じよ」
「幸子さん、立っているだけてまるでバレリーナじゃない」
「あとうん十歳若ければ、晴美さんなんかプロのバレリーナになれたかも」
と、とにかく褒め合う三人。
バレエを習っている子供の親同士でもない、バレエ仲間が出来たのは初めてだ。
真理はそんなことを思いながら、楽しいひと時を過ごしていた。
その次の大人のクラスの稽古の日、
いずみ先生が、生徒たちを集めた。
「あすか先生のクラスの演目に、大人の生徒が数名ほしいって依頼があったの。
パドゥドゥを踊る生徒さんのバックね。
で、何名かこちらで選ばせてもらいました。のあちゃんと、あかりさん、それに晴美さんと、」
といずみ先生は、その演目に出演する生徒を読み上げた。
その中に、真理の名はなかった。
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