34、 アーネスト――灰銀――
アーネストはオーレリアが生まれた日のことを昨日のことのように鮮明に覚えている。
王妃の懐妊が発表されるより前から何故かそわそわと落ち着かなかった。その感覚はオーレリアが生まれ落ちるまでずっとあった。
家族に打ち明けると微笑ましそうに言われた。
「――ついに出会えるのだね」と。
アーネストの胸が震えた。ついに自分にも見つかるのかと。
アーネストの家は少々風変りだ。銀の侯爵家と呼ばれるその家が代々受け継いできた瞳の色は当然のことながら銀。けれどこの瞳は生まれながらの色ではない。ある契約を以って、色が変わるのだ。そんな家はアーネストの家だけだ。
家族にはそれぞれ生涯仕える主がいる。それは必ず王家の人間だが、選ぶのは銀の侯爵家の者。
アーネストの父は国王に、アーネストの姉はオーレリアの姉の一人に。
侯爵家の血筋の者にだけ受け継がれるのでアーネストの母は無関係だ。そして主となる相手も王族の血筋のみなのでオーレリアの母も対象外となる。
王家の者にとって銀の侯爵家の者との契約は勲章というべきものだ。
絶対服従の守護神を手に入れるようなものだからだ。
ただし選ぶのは侯爵家の者。例え未契約の王族がどれ程いようと、侯爵家の者が選ばなければ契約は結べない。
王族から無理強いすることは出来ないのだ。
未契約だからといって王族に何か不利益になるわけではない。
それでも銀の侯爵家の契約を欲しがる王族は多い。
なんとか自分を選ばせようと侯爵家の者を側に置いたり、高価な品を贈ってくる者もいる。
けれどこれは理屈ではないのだった。優しくされたり高価な品を押し付けられても彼らは靡かない。
アーネストは王太子――オーレリアの兄に散々自分と契約しろと持ちかけられた。
けれど首を縦に振ることは出来なかった。
王太子には何も感じない。心が動かない。
他にも未契約の王族は何人かいるのに、そのどの相手にも同じだった。
――自分には仕えるべき主がいないのではないか。
それは切なく辛い事実だった。
契約を結べば相手に絶対服従で無償の奉仕をするだけだというのに、相手を見つけられないことは身を切られるように苦しい。
絶望して命を絶ちかねないほどの虚しさと息苦しさ。
なぜ自分たちは主を必要とするのだろう。
自分たちの血は呪われているのではないかとさえ思える。それでも。
銀の侯爵家の者は主を欲するのだった。
十代後半になっても主のいないアーネストは既に生きる気力をほとんど失っていた。
このまま生きていくことに何の意味があるのかと思わずにはいられない。
殺伐とした気分を抱えたままアーネストはひたすら騎士としての鍛錬に没頭した。
感情が削げ落ち、苛立ちを抱えたまま衝動に任せて剣を振るう。
その剣筋は怖い程研ぎ澄まされ、高められていく。さらに生まれながら持つ強い魔力も合わさって既にアーネストは無敵だった。
それでもアーネストが鍛錬を怠ることはなかった。
何かに没頭していないと死にたくなるのだ。
そんな最中だった。
アーネストの身体に変化が訪れたのは。
いつもの鍛錬を終え、汗を流して宿舎に向かっていた時、不意にアーネストの胸がどくりと収縮した。
嫌な感じではなかった。むしろ何か懐かしいような泣きたいような、温かい感情が一気に湧き上がる。
気付いたら両の目から涙が流れていた。
「!?」
涙を流したのなど何年ぶりだろう。アーネストは呆然と立ち尽くした。
この感覚はなんだ。
ざわざわと胸の奥が落ち着かない。でも焦りだとか不安は感じない。ただ、待ち遠しい。
嬉しくて切ない、逢いたい。苦しい。恋しい。
すべての王族に会った。その中にはいなかった。だが自分が知らないだけで隠されていた存在があるのではないか。
落ち着かない気分のまま過ごしていた数週間後、王妃が懐妊したとの発表があった。
アーネストは見つけたと思った。
生きる理由。生まれた意味。
――ああ、貴女だ。
オーレリアが生まれる前から王女だと分かっていたのはアーネストとエーギルだけだろう。
アーネストはすぐに王に謁見して生まれて来る子の専属騎士になりたいと申し出た。それは今まで誰にも振り向かなかった銀の侯爵家の鬼神が終に主と仰ぐ相手を選んだということ。
王は瞠目した。運命とはこういう事をいうのかと思った。
王はエーギルから、生まれて来る子が膨大な魔力を秘めていることを予言されていた。そのため生まれてすぐに離宮に隔離せざるを得なくなるだろうことを。
離宮に閉じ込める我が子の側にきちんとした護衛を付けてやりたい。だが生半可な者では魔力の暴走に巻き込まれて死ぬだけ。逆に力のある者は離宮の警護など左遷に近い印象を与える職務を快くは思わないだろう。
そんな中、規格外の強さを誇り騎士団内にも崇拝者を持つアーネストが自ら志願するとしたら。
これ以上ない最強の護衛である。彼を慕う者たちも自ずと後に続くだろう。
王の読み通り、離宮の警護は最強の布陣となった。
アーネストは自分が今生きているのは掛け値なしにオーレリアのお陰だと思っている。
オーレリアが生まれてくれなかったら自分は狂っていただろう。その上もしかしたら世界を滅ぼしていたかもしれない。
しなくてよかったと思う。
もしもオーレリアがそうしろというなら喜んでするが。
アーネストにとってオーレリアがすべてだ。王女がどれ程我儘で傲慢でも別に構わない。……そう、思っていた。だが最近のオーレリアは変わった。
宮廷占術師エーギルと出会い、予言を受けてから我儘を言わなくなった。
貧民街に関心を示し、二人の孤児を連れ帰ってきた。
彼らと出会い、彼らのために、彼らのような子供を救うためにオーレリアは動き出した。
そんな彼女の周りには沢山の人が集まりだした。
我儘で孤高のお姫さま。どんなオーレリアでも構わないと思っていたが、アーネストは今の、人々に愛されるお姫さまが思いの外愛おしいと感じていた。
オーレリアが生き生きと瞳を輝かせているのが眩しく、楽しそうに笑う顔が可愛らしい。一生懸命授業を受けている姿は微笑ましく誇らしい。
恋とは違う。歳が離れすぎているとかそんなことは問題ではない。
ただアーネストにとってオーレリアは生きる意味で、すべてを捧げる相手だった。理屈ではない。彼女が誰を愛そうと憎もうとアーネストが彼女から離れることは出来ない。彼女が死ぬくらいなら代わりに自分が死ぬ。彼女を失えば生きていけないのだからそれは当然の結論でむしろ幸せだった。
オーレリアが成長するごとに引力が増していった。
アーネストは自分が今も正気を保てているのが不思議なくらい狂いそうな程オーレリアを欲していた。
惹かれるのは魔力にだろうか。それとも彼にしか感じ取れない別の何かだろうか。
どちらにせよ、果物が熟すようにじわじわとその時は近付いていると感じた。
――その時、即ち正式にオーレリアと「契約」を結ぶ時が。
今はアーネストが一方的にオーレリアに纏わりついているに過ぎない。
「契約」とは双方の同意の元に結ばれる約定だ。アーネストはオーレリア自身に側に居ることを許して欲しかった。
例え彼女が嫌がっても離れるつもりはないが、許してくれるなら――。
***
オーレリアが十歳になり初潮を迎えた夜、アーネストはオーレリアの前に跪いた。
「殿下。どうかお側に仕えることをお許し下さい。我が剣と命は貴女のもの、私のすべてを貴女に捧げます」
深いチョコレート色の瞳をこれ以上ない程蕩けさせて甘く見つめてくる男に、幼い頃は怯えていたが今はすっかりそれに慣れてしまった。アーネストの過保護を心地良いと感じる程だ。
「許す」
オーレリアは鷹揚に頷くと、じっとアーネストの瞳を見つめた。
「そなたのその瞳の色も見納めか」
「契約」を結ぶと銀の侯爵家の名の通り、その瞳は銀色に変化するという。
その色は神秘的で美しく、王侯貴族たちから憧れの眼差しを向けられているが、オーレリアはアーネストの今のチョコレート色も美しいと思う。
「名残惜しいな」
「勿体ないお言葉、身に余る誉れです。ですが私は一刻も早く貴女の下僕になりたい」
「………」
……やはりその凄まじいまでの執着にはどうにも慣れることが出来ないオーレリアであった。
***
ーー儀式。
それは秘めやかに執り行われた。
オーレリアはアーネストから神酒の入った小さなグラスを渡され一息に呷った。アーネストも同じように神酒を呷る。
「………っ」
一口分の量とはいえ、初めて口にする酒は強烈で小さな身体には刺激が強かった。ふらつく身体をアーネストが支えてくれる。
跪くアーネストの顔が目の前にある。
オーレリアはアーネストの両肩に手を置いてそっと額に口付ける。
祝福、あるいは呪いの口付けだ。
しかしアーネストはうっとりとオーレリアの唇を受けた。
アーネストはそっと自身の夜着を解き胸元を露わにした。
「殿下、どうぞ」
アーネストにきらきらと期待に満ちた瞳を向けられて、オーレリアはうっと怯んだが、仕方なく頷く。
胸元に顔を寄せ、かぷりと小さな歯を立てる。
アーネストの心臓をオーレリアに捧げる、という儀式だ。
オーレリアは自身の血を溶け込ませた聖水に指を浸して、黒の魔力を練り上げながらアーネストの露わになった心臓の上に印を描く。
アーネストはオーレリアの手を取り、大切な宝を慈しむように小さな指先に恭しく口付けを落とす。
暗闇にボゥと銀色の光が灯り、すぐに消える。
アーネストの心臓の上には銀色の蔦模様の円形印が刻印されていた。オーレリアの左手の中指の付け根には指輪の様な蔦模様が浮かぶ。
「これで……私は貴女のものです……殿下」
アーネストはうっとりと呟く。
「……殿下、どうぞお眠りください」
アーネストはオーレリアの身体を抱き上げるとそっと寝台に横たわらせた。
「眠って……よいのか?」
深夜ということもあり、オーレリアは先ほどから既に半分夢心地だった。
「構いません……その方が殿下にとって負担も少ないでしょう」
「では……あとは……まかせる……」
アーネストのどこまでも優しい声を子守唄に、オーレリアはすぅと眠りに落ちた。
アーネストはオーレリアが眠ったことを確認すると、アーネストもオーレリアの足元に膝を付いた。
先程飲んだ神酒には互いの血が一滴ずつ落とされている。
血の契約だ。
オーレリアに何かあった場合、アーネストは印を通じてすぐに駆けつけることが出来る。
それは不思議な感覚だった。
アーネストの心臓はオーレリアに委ねられた。
それは隷属に近い契約だった。生きるも死ぬもオーレリアの気持ち次第なのにちっとも嫌ではない。むしろ漸く心臓を得たような、人形に鼓動が宿ったような気分だった。
オーレリアに契約印が刻まれた瞬間、アーネストの身体に変化が起きた。オーレリアの魔力が流れ込んでくる。自身の魔力と溶け合い、変容する。
瞳の色がチョコレート色から銀色へと変わった。
視界が変わる感覚。見えている景色にもう一つ層が重なる。
(あぁ……これは……――)
感覚が研ぎ澄まされる。
オーレリアに纏わりつく黒い魔力。忘れ去られた古の記憶。
流れ込む情報量の多さと、甘い魔力の酩酊感、血の匂い、宿願成就の陶酔、様々な感情がない交ぜになり、アーネストはオーレリアが横たわる寝台に上半身を預けたまま、意識を失った。
儀式は本編よりもう少し先の時間軸になります。




