32、エリス、はじめての
桎梏の魔術は人を縛りつける魔術だ。通常それは牢などに施され、虜囚を閉じ込めるものだが、ウィルフレッドは自分とオーレリアを繋いだ。
ウィルフレッドは魔力を自在に操れるので、距離は幾らでも操作できるのだが敢えて5メートル以上は離れられないと断言した。
「リア、今夜は大人しく僕の側に居ろ」
三十分程して目覚めたオーレリアにウィルフレッドはニヤリと少し意地悪く笑った。
桎梏の鎖は目には見えない。
だからオーレリアには今一つ自分が囚われの身という実感が湧かなかった。
だが例え実感があったとしてもそれは罰というよりは褒美ではないだろうかと首を傾げる。
「妾は兄さまの側に居られて、その…嬉しいです……」
恥ずかしくて少し俯きながら言った直後、オーレリアはウィルフレッドに抱きしめられていた。
「……殿下。食事が冷めます」
室温までも下がりそうな冷たい声に、オーレリアの火照った頬は少しだけ赤味を薄くした。
その後は三人で仲良く(?)食事をした。
問題はその後、入浴をどうするかだった。
*
「勿論、僕とリアが一緒に入る」
「許可できるわけないでしょうが」
「桎梏の鎖で離れられない」
「解除すればいいだけでしょう」
「明日の朝まで出来ない。そう刻印した」
「な」
確信犯である。
*
オーレリアは離宮ではいつも侍女に任せていたので一人で入浴をしたことがなく、一人は不安だった。
かといってお忍びで滞在している以上、侍女を頼むわけにもいかない。
ウィルフレッドに頼むのなど論外だ。彼だって人の髪を洗うなどやったことがないだろう。
オーレリアはエリスに頼むことにした。
「エリス、髪を洗って欲しい」
「――は?」
かつて神童とも言われた少年が、言葉の意味を理解出来ずにぽかんと口を開いたまま固まったのは人生で初めてのことだった。
「一人で洗える自信がないのだ。あと、背中もどうやって洗えばいいのかわからない」
オーレリアは真顔で言った。
基本的に他人に傅かれる生活を送っている王族に羞恥心はあまりない。ましてやオーレリアはまだこどもだ。
エリスの中性的な美貌も相まって、彼が異性であるという認識は薄かった。
彼ならなんとなく手先が器用そうだな、程度の軽い気持ちでエリスに白羽の矢を立てたのだ。
しかしエリスが硬直したまま十秒が過ぎ、1分が過ぎ、5分が過ぎた辺りで気付いた。
(あ、エリスも人の髪を洗ったことなどないのでは?)
彼は侯爵家の嫡子だ。普通に使用人に傅かれる立場だった。
(困らせてしまったな)
オーレリアは反省して前言を撤回した。
「すまない、妾が浅慮であった。……あぁ、ガイがいたな」
ガイならば幼い妹のニーナの世話を焼いたことがあるだろう。
「ガイにたの」
「いけません!!」
エリスの硬直が解けた。
けれどその後の言葉が続かない。
「殿下。そのお役目、私がお引き受けいたしましょう」
申し出たのはアーネストだった。
桎梏の鎖に繋がれたウィルフレッドとオーレリアは仲良く二人一緒に入浴した。
けれどアーネストの有無を言わせない笑顔によって二人は浴槽の端と端に離された。
浴槽には薔薇の花びらが隙間も見えない程浮かべられ、芳醇な香りが漂っている。
アーネストは丁寧にオーレリアの髪を洗った。
その手つきは意外にも繊細でとても気持ちがいい。温かいお湯と、お腹がいっぱいだったことも相まって、オーレリアはうとうとと舟を漕ぎ出した。
そのあとのことはよく覚えていない。気が付くと朝で、オーレリアはふかふかの寝具に包まれていた。
(……良く寝た……しかし…なんだか、暑い……?)
薄ぼんやりと目を開くと、目の前には黒い柔らかそうな毛。
一瞬黒い犬が寝台に潜り込んでいるのかと思った。
「……ん……」
しかしオーレリアが身動ぎした瞬間、ぎゅっと身体が拘束された。
「!?」
よく見ると黒い毛はウィルフレッドの髪の毛で、オーレリアは彼に抱き付かれていた。
オーレリアの胸元にウィルフレッドの頬がくっついている。
「……りあ……」
いつもよりも舌っ足らずな、甘い声音で名を呼ばれ、オーレリアの胸がドキンと鳴った。
その鼓動が聞こえたのか、胸元にくすりと笑声が零れる。
「……朝から、リアの心臓は元気だね……」
「―――――――――!!」
(……だ、誰のせいですか!)
抗議の声を上げようとしたオーレリアだったが、ウィルフレッドが甘えるように頬を摺り寄せてきたのできゅんとしてしまった。
(兄さまが甘えている……!)
恐る恐る髪を撫でてみる。柔らかい、ふわふわ。
ふふっと胸元で笑われるとくすぐったい。
「に、にいさまうごかないで」
ぎゅっとウィルフレッドの頭を抱きしめると、腹部に回っていた彼の腕もぎゅっと力を強めた。
「リア……ずっとこうしていたい」
優しい声で言われて、オーレリアの胸が歓喜に満ちる。
「あぁ、リアの心臓が大変なことに」
くすくすと、柔らかい笑い声が寝具の中に落ちる。きっとほっぺたも真っ赤になっている事だろう。ウィルフレッドはオーレリアの顔が見たくなって身体をずらした。
案の定、オーレリアの頬は真っ赤に色づいていた。とても美味しそうだ。
オーレリアはぎゅっと目を瞑って胸元を押さえていた。そうしないと心臓が飛び出しそうだったからだ。
ウィルフレッドはあまりにも美味しそうな頬を蜜蜂が蜜に誘われるようにぺろりと舐めた。
「!?」
ぱちりと大きく目を見開いたオーレリアと目が合った。
(かわいい……)
愛しさが募ってちゅ、ちゅとオーレリアの鼻先、額、こめかみと口付ける。
「………―――!!??!!」
「ウィルフレッド殿下。……そこまでです」
冷やりと肝が冷える殺気にウィルフレッドは動きを止める。黒の魔術で扉は封印していたはずだが、いつの間にか首元に冷気の刃が忍び寄っていた。
アーネストだ。
相手がエリスや侍従なら無視したが、アーネストでは分が悪い。
「殿下が発熱寸前です」
アーネストがさっとオーレリアを抱き上げる。オーレリアは気を失っているようだ。
ウィルフレッドは気まずげに目を逸らした。
やり過ぎた自覚はある。ちょっと寝起きでリミッターが緩んでいたのだ。
(リアが可愛すぎるから……)
「ウィルフレッド殿下はご公務へお戻りください」
ウィルフレッドは小さく溜息を吐いて渋々起き上がった。
ウィルフレッドには国境での結界強化の任務がある。
宿泊予定の町までオーレリアと共に戻ったが、彼はこの先の東の砦へ向かわねばならない。
ウィルフレッドは深く息を吐いて感情を落ち着かせると、仕方なく立ち上がった。
アーネストに抱き上げられたオーレリアの手を取り、手首にちゅっと口付けを落とす。
オーレリアの手首に刻印されていた蔦模様がすぅと消える。
「……任務に戻る。リアを頼む」
「御意」
ウィルフレッドは任務が終わった後、離宮に立ち寄ることを告げてオーレリアと別れ、護衛と共に東の砦へ向かった。
オーレリアはその後しばらくしてから漸く目を覚まし、エリスたちと共に王都へと戻るのだった。




