27、竜
オーレリアは気怠いながらも、温かい海水に身を委ねているような安心感と心地よさを感じていた。
力強く温かい腕がしっかりとオーレリアを包んでいる。そこは絶対的な庇護領域で、この中にいる限り、オーレリアの身は安全だ。
この二十日間、ずっと感じていた不安がすっかり消え去っていた。
彼の不在からずっと無意識に強張っていた身体から力が抜けていく。
この温もりを失いたくなくて、オーレリアは小さな手でぎゅっとアーネストの服を掴んだ。その仕草にアーネストは息を飲んだ。
「………殿下」
優しい声が耳元に落ちる。
「もう離れません。お側に居ります。ずっと」
目を開けると、アーネストが愛おしそうに瞳を細めて自分を見つめていた。
「…………うん」
身体も心も限界まで弱っていたせいなのか、オーレリアはこくりと頷いた。
「アーネストは………妾のものだ」
「…………殿下!」
アーネストの瞳に歓喜が迸る。これ以上ないくらい甘い眼差し。これまでであれば、オーレリアを竦ませていたほどの過剰な親愛。けれどこの時のオーレリアは極限まで血糖値を下げた飢餓状態に近かった。アーネストのとろりとした熱を帯びた瞳がむしろ心地よかった。
アーネストの額が熱を測るかのようにそっとオーレリアの額に触れた。
身体中を苛んでいた熱がすぅと引いていく。黒い魔力が収束していく。
(あぁ……気持ちいい……安心する……)
まるでひんやりと冷たい布巾を額に当てられているかのよう。オーレリアが安らかに眠りに落ちようとしたその時、キュイイィィ、と高い音が響いた。
「……なんだ……?」
オーレリアはぱちりと目を開き、その時漸く目の前の異常事態に気付いた。
体長10メートルはありそうな身体を鱗に覆われた大型の生物。背中には羽がある。それが6体、オーレリアとアーネストを囲むようにずらりと並んでいる。
「――――姫さま、竜です!」
コリンの声に、オーレリアはりゅう、と反射的に呟く。コリンを見ると、彼は油断なく剣を構えていた。
「殿下。ご心配には及びません」
オーレリアを包み込んでいたアーネストの腕に力が籠り、抱き上げられた。その動きに、膠着状態が解かれたように、全てが同時に起こった。
竜たちの背後からひょこりと何かが飛び出すのと、アーネストが剣を鞘から抜き放つのと、オーレリアが手を伸ばすのが同時だった。
「アーネスト、待て」
「……殿下!?」
「姫さま!!」
オーレリアの小さな手がアーネストの剣を持つ手に触れ、動きを止めた。その一瞬の間に何かがオーレリアの目の前まで迫っていた。
コリンは為すすべもなくそれをただ見ていることしか出来なかった。
キュイ、と甘えるように鳴いたそれが鼻先をこつんとオーレリアの掌に押し当てた。反射的にアーネストが半歩下がっていたため、かすっただけだったことが幸いした。
それにとっては親愛を示す穏やかな動作だったのだが、オーレリアにとっては力強く体当たりされたような衝撃だった。どん、と後ろに吹っ飛びそうになるが、アーネストの鋼のような身体がしっかりと抱えてくれていたお蔭で衝撃をやり過ごすことが出来た。
「殿下、御無事ですか」
アーネストが蒼白になってオーレリアの顔を覗きこむ。小さな腕をそっと握って怪我がないかを確かめるために軽く引いたり曲げたりする。
「大丈夫、ぶつかっただけだ」
オーレリアの掌が赤く腫れていることに気付いてアーネストの表情が強張る。オーレリアはその不穏な様子に慌てて掴まれていた手でアーネストの手をぎゅっと握った。
「大丈夫だから。それよりあれは……こども?」
オーレリアの疑問に答えるようにそれがキュイイィィと鳴いた。
他の竜の十分の一程度の体積しかないが、アーネストの身長と同じくらいの高さはある。明らかに子供だが、その大きさと力強さは十分脅威だった。だが不思議とオーレリアは恐怖を感じなかった。
成体の竜は赤黒いが、小さな竜は緑がかった茶色をしていた。
子竜の円らな瞳は好奇心に満ちており、オーレリアをじっと見つめている。
「妾は弱い。……おまえ、もっと加減しろ」
オーレリアが窘めるように竜に話しかけると、子竜は「キュイ?」と鳴きながら首を傾げた。
「寄るな、殺すぞ」
近寄ろうとする子竜にアーネストが殺気を放つ。子竜は全身を硬直させ、オーレリアに救けを求めるように怯えた瞳を向ける。
「アーネスト、落ち着け」
オーレリアの命令に、アーネストはあっさりと従う。途端にヒリヒリと刺さるような殺気が消えて、コリンは息が楽になったような気がした。
近くに居ながら動くに動けず状況を見守るしかなかったコリンは固唾を飲んではらはらしていた。
(下手に動いたら……竜を刺激しそうだ。だけど…なんか竜が大人しいな)
オーレリアとアーネストを囲む成竜たちはまるで命令を待っているかのように行儀よく座り彼らを注視している。
オーレリアは気怠い中で意識が落ちそうになるのをなんとか堪えて竜を見た。
(これが結界内で暴れたため、アーネストが応戦したと言っていた……)
それに伴いウィルフレッドまでもが招集されたのだ。
(……妾の大切な人を二人も引き離された)
考えるとちょっとむっとする。
オーレリアは八つ当たり気味に命じた。
「お前たち、黒曜国で暴れるな。山へ帰れ」
「キュイイィィ……」
子竜が淋しそうに鳴くが、オーレリアは毅然と命じた。
「帰れ」
(ほ、絆されぬぞ!)
内心はかなり心を揺さぶられていたが。
オーレリアの命令に子竜は名残惜しそうにしながらも他の成竜に促されてふわっと飛び立った。頭上で一周旋回すると、ちらちらとオーレリアを振り返りながらもゆっくりと飛び去っていった。その背はあきらかにしょんぼりしていた。
(う………、しかし妾に竜は飼えぬし………)
オーレリアは竜のことを何も知らない。だが、対峙してみて竜が賢い生き物で、自分の言葉をきちんと理解していることを感じた。それでも。
(竜は野性の生き物だ)
山へ帰した方がいい。
頭ではそう分かっていても、懐いてくれた子竜を手放すのは少々淋しい。
(ああ、でも……今は何も考えずに……眠り…たい)
猛烈な眠気がオーレリアを襲っていた。気が抜けたのだ。未だアーネストの腕にしっかりと抱きかかえられており、その安定感・安心感は最高だった。
オーレリアはそのまますとんと眠りに落ちた。




