23、異変
エリスは敢えてオーレリアを止めなかった。
アーネストが出発してからのオーレリアの落ち込みようを見ていたので、ここで止めるよりは好きにさせた方がいいと思ったからだ。
行くことを決意したオーレリアの表情を見れば、止められるはずもなかった。
(アーネスト殿が竜にやられるはずがないし)
寧ろやっと少しだけ元気になったオーレリアに安堵するエリスだった。
オーレリアの命により慌ただしく馬車が整えられた。
同行するのはコリン、ジェローム、エリスとガイ、そしてルーファスの近衛十二人だ。彼らは元々アーネストの代わりにオーレリアを警護するために遣わされた者たちだ。オーレリアが移動するなら彼らも移動する。空っぽの離宮を警固する必要はない。ただしオーレリアが不在であることを表に出すわけにはいかないので通常の警固をやめるわけにもいかず後の者はそのまま残る。
大柄のジェロームが馬車に乗ると窮屈なので騎馬で行く。十二人の近衛も騎馬で付き従う。
コリンは万が一の時にオーレリアの盾となるため馬車に同乗する。ガイは本来であれば馬車に同乗できる身分ではないが、高い魔力を買われての同行であり、まだ騎士たちの早駆に付いて行けないためやむを得ず許された。
馬車が走り出してすぐにジェロームは異変に気付いた。
(速度が速い……?)
ジェロームの目論見はなるべくゆっくり走らせてウィルフレッドに追いついて貰い、オーレリアの気を変えて貰うことだった。
(御者には言い含めてあるのに)
「姫さま?」
最初にオーレリアの異変に気付いたのはガイだった。
顔色が悪い。オーレリアは軽く目を閉じて馬車の背凭れに寄りかかっていた。
エリスとコリンもすぐに異常を察知した。
「馬車に酔いましたか?」
答えはない。
蒼白と言っていいほど白いその貌には冷たい汗が浮かんでいた。具合が悪いことは一目瞭然だった。
「リア、失礼します」
額に触れると燃えるように熱い。
「馬車を止めろ!」
エリスは険しい表情で御者へ命令する。けれど返ってきたのはあり得ない答えだった。
「と……止まりません!先ほどから馬の様子がおかしいのです!」
「なんだと!?」
エリスは馬車の小窓を開け、瞠目した。馬車全体が黒い魔力に覆われていた。
(リアの……黒の魔力か!?)
黒い魔力は馬を興奮状態にさせて馬車を猛スピードで走らせていた。けれど馬車自体にも魔力がかけられているためか、揺れはなく、速さを感じさせない。
実際には景色があり得ない速度で後ろに流れており、護衛の近衛の姿は影も形も見えない。振り切ってしまったのだ。
「リア!止めてください!」
「ダメだ、気を失ってる!」
ガイの返事にエリスは思わず顔を顰めた。
オーレリアの魔力が暴走を起こしかけている。
こういう事はウィルフレッドの領分だ。黒の魔力は最強。自分がどうにかできるものではない。けれど今はウィルフレッドはおらず、ガイは制御が不安定。魔力を操れるのは自分だけだ。
(俺に止められるか……!?)
出来なくてもやるしかない。
「ガイ!リアをしっかり抱えていなさい!絶対傷付けるな!」
「はい!」
「コリンは馬を落ち着かせろ!」
「エリスさま、無茶振りきついですよ!!」
言いつつもコリンは器用に細く開いた扉の隙間から身体を滑らせ御者台へと飛び移った。
エリスは水と風の魔力持ちだ。幻影魔術はそれらを組み合わせた蜃気楼のようなもの。
(馬車を止めるには風で勢いを殺すしかないが……)
馬車はかなりの速度で走っている。止め切れるのか。
エリスは目を閉じ、己の体内を流れる魔力に意識を集中した。
薄い風の幕を何層も作り、段階的に馬車の速度を落とす。幸い馬車が走っているのは平原なので、速度を落とすことだけに集中できる。それでも馬車は止まらない。
エリスは巨大な気泡を作り馬車の前方にぶつける。気泡の密度が高すぎると馬車が粉砕するので柔らかめの水風船をイメージする。
繊細な魔力制御を要し、エリスの額に汗が浮かぶ。
馬車が気泡に触れた途端、壁にぶつかったかのように馬車の速度が落ちた。
なるべく馬車を包み込むように受け止めたので馬車が木端微塵になることはなかったが、急激な減速による衝撃は殺しきれず、ガイは吹っ飛ばされた。
ガツンと肩を馬車の壁にぶつけるが、腕の中のオーレリアはしっかりと抱え守りきった。
気泡の中の密度を徐々に高め、馬車は泥に嵌ったかのようにゆっくりと進む。
(もう、少し…っ)
エリスの額には玉のような汗が浮かび、表情は苦し気だった。
風の壁が押されている。今ここで魔力を途切らせるわけにはいかなかった。
「コリン!馬は……」
「体力の限界が近い!止まりそうです!」
のろのろと十数メートル進んだところで漸く馬車が止まった。馬が倒れたのだ。
エリスは肩で大きく息を吐いた。
(なんとか堪えた……)
魔力切れ寸前だった。
「リアの様子は……」
向かいの座席に目をやるとガイは未だ気を失っているオーレリアをしっかりと腕に抱えていた。
「頼むよ姫さま……目を覚ましてくれ」
黒い魔力は未だじわじわとオーレリアから溢れだしている。
エリスはまずい状況だなと眉根を寄せた。
馬が倒れる前にコリンが手綱を切ったお蔭で馬車が倒れることは免れた。けれど馬が倒れてしまったので馬車は動かせない。
さらに護衛を振り切ってしまったため、この場に居るのはコリンとガイと御者と自分のみ。しかもエリスは魔力切れ寸前で使い物にならない状態だ。コリンは大丈夫そうだが一人では心許ない。ガイは魔力制御に波があるので戦力として期待することは難しい。オーレリアに危機が迫った場合は全力で護ろうとするだろうから、いざという時は賭けるしかないが。御者のロブも一応騎士なので多少は戦力になるだろうが、コリンやジェロームのような名の通った剣士ではない。戦力としては些か心許なかった。
エリスは残った魔力で結界を張り、馬車ごと見えないように隠した。
「ガイ……、コリンに伝えなさい。馬車は結界で不可視にしてあります。後続のジェロームたちが見えたら合図するように……」
エリスはそれだけ言うと、軽く目を瞑った。気を失う寸前だが、なんとか意識だけでも保とうと全力で疲労感に抗う。だがそれ以上は口を開くことも億劫だった。
ガイは頷くとそっと腕の中のオーレリアを馬車の座席に横たえ、コリンに伝えるため外に出た。
コリンはガイから伝言を聞くと頷いた。
「わかった。ロブと二人で外の見張りをする。ガイは姫さまを頼むな」
コリンに頭をぽんと撫でられて、ガイはしっかりと頷いた。
ロブとコリンは馬車の前と後ろに分かれて見張りをするようだ。
馬車が止まっているのは荒野の真ん中だった。近くに街らしき影は見えず、所々に巨大な岩が転がっている。黒曜国を囲む山脈に近い位置なのだろう。
盗賊などの心配はなさそうだが、魔獣や野獣との遭遇はありそうだ。




