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19話「図書館棟のルールー」


机の上に山積みされた本の隙間から、ひょこりと小さな影が顔を出した。


「おやおや」


その声と同時に現れたのは、背の丈が私よりも少し低い、小柄な女性だった。


厚みのあるレンズの眼鏡越しに覗く瞳は好奇心に満ち、肩に掛かった白衣は本人の身長に対して少し大きすぎるのか、袖口が指先を半分ほど隠している。

髪は淡い色合いで、きちんと整えたつもりなのだろうが、後頭部にわずかな寝癖が残っていて、それが妙に親しみやすかった。


彼女の名前は――ルールー。


この巨大な図書館棟を管理し、学園でも指折りの蔵書量を誇る人物だ。


「あはは、君たちも二年生になったからね。授業内容で分からないところでもあったのかな?」


そう言って気さくに笑う姿は、どう見ても私たちと同年代、下手をすれば歳下にさえ見える。

初めて彼女に会った時、私も完全に同級生だと勘違いした。

……きっと今でも、生徒の何割かは本気でそう思っているだろう。


「違いますよ、ルールーさん。今日は委員会があるじゃないですか。それで来たんですよ」


ナナセが少しだけ肩の力を抜いた笑顔でそう答える。


「あらら、そうだったかな? いやーごめんねぇ。最近忙しくてさ、すっかり忘れてたよ」


そう言って頭をかきながら、冗談交じりに続ける。


「もう歳は取りたくないねぇ」


……歳、ね。

本人曰く『もう長くこの職に就いてる』らしいけれど、具体的な年齢を聞いたことはない。 同じ女性として、人から年齢を詮索されたくない気持ちは分かるし、私も敢えて触れないでいた。


そんなことをぼんやり考えていると、ふと周囲の静けさが気になった。

いつもなら、委員会の時間帯には先輩たちの姿が見えるはずなのに。


「あのー……ルールーさん。他の先輩たちは? まだ来てないんですか? 私とナナセが一番乗り?」


「ああ、その通りさ」


ルールーさんは机の上に置かれたコーヒーカップを手に取り、一口だけ啜る。


「どうやら今日は一年生も三年生も、少し遅くなるみたいでね。もう少し待っていてくれるかい?」


「はい、大丈夫です」


ナナセが素直に頷く。


「とはいえ、待ってるだけじゃ君たちも暇を持て余すだろう?」


そう言って、ルールーさんは近くに積み上げられた本の山を指差した。


「一部だけ先に運び込んできたんだ。どんな本が新しく入ったのか、見てみるかい?」


「良いんですか?」

「もちろんだとも」


ルールーさんはにやりと笑って続ける。


「今回、ナナセくんが希望していた北と南の大陸の家庭料理のレシピ本も、何冊か入ってきているよ」


その言葉を聞いた瞬間、ナナセの目がぱっと輝いた。


「本当ですか!?」


次の瞬間には、彼女は本の山に駆け寄り、宝探しでもするかのように次々と背表紙を確認し始める。


(……はぁ。私には分からない世界ね)


本に囲まれてあんなに幸せそうな顔ができるのは、ある意味才能だと思う。


「はは、シリカくんは相変わらず本は苦手かい?」


ルールーさんはそう言って、私の方を見る。


「じゃあ、紅茶でも淹れようか」


そう言うが早いか、彼女は迷いのない手つきで準備を始めた。


茶葉の缶を開ける音、湯を注ぐ静かな音。

動きに無駄がなく、長年染みついた習慣のような、洗練された所作だった。

立ち上る湯気とともに、ふわりと甘く、それでいて深みのある香りが広がる。

小さな皿には、紅茶に合いそうな焼き菓子が添えられていた。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


カップを受け取り、一口だけ口をつける。

舌に広がる優しい渋みと、後から追いかけてくるほのかな甘さ。

不思議と肩の力が抜けていく。


(……こういう時間は、嫌いじゃないかも)


図書館特有の静けさの中、時間がゆっくりと流れていく感覚。


「ねぇねぇ、シリカちゃん。見て見て」


何冊かの本を抱えたナナセが、弾むような声で戻ってくる。


「このお菓子、すっごく美味しそうだよ。今度一緒に作ってみようよ」


「うーん……美味しそうだけど、難しくない?」


「失敗したっていいんだよ。何度でも挑戦すれば、できるようになるよ」


「ナナセくんは相変わらずだねぇ」


ルールーさんが微笑ましそうに言う。


「あ、それとね……」


ナナセは少しだけ間を置いてから、一冊の本を差し出した。


「シリカちゃんが読めそうな本も見つけてきたよ。このシリーズ、子供にも人気で読みやすいんだ。新米魔道士の冒険譚の新作」


「え……?」


思わず、紅茶を持つ手が止まる。

確かに、冒険譚なら最後まで読めるとは言った。

でもそれは、“本を読む習慣がない私”なりの精一杯の譲歩であって、積極的に読みたいわけじゃない。


――ちらり、とナナセの顔を見る。


そこには迷いのない、心から本を楽しんでいる人の笑顔があった。


私の一言を覚えていて、わざわざ探してきてくれた。

その純粋な好意を、突き返せるはずもない。


「あ……ありがとう」


そう言って手を伸ばした、その瞬間だった。

指先がわずかにズレ、

本はするりと私の手をすり抜けて床へ落ちる。

ばさり、と乾いた音。

衝撃でページがめくれ、そのまま開いた状態で止まった。


「―――!?」


私とナナセは、同時に息を呑んだ。

床に落ちた本の表紙に記されたタイトル。


――『ヤンバーの冒険と伝説のりゅう』


そして開かれたページに描かれていたのは、

黒く巨大な体躯、三本の角、額に埋め込まれた魔石を持つドラゴン。

昨日、学園を騒がせた存在。

あの恐怖と混乱の象徴。

――『冥界の竜神』そのものだった。



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