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詰みかけ転生領主の改革(旧:詰みかけ転生領主の奮闘記)  作者: 氷純
第五章 伯爵領初年のジーラ同盟騒動

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第十六話 道標は輝き出す

 イレーネオが出て行った後、一人の老人が紅茶を運んできた。

 老人はチャフの前に紅茶を置き、無言でチャフの対面に腰掛ける。

 にこにこと好々爺然とした笑みを浮かべて、チャフを見つめている。

 特に名乗りもせず、話しかけてくる様子もない。


「……なんだ?」


 居心地が悪くなって、チャフは老人に訊ねた。


「いえ、安心しただけですよ」


 意味深長に言い残し、老人が席を立つ。

 フェリクスに目を留めると、すっと目を細め、ポケットから封筒を取り出した。


「この手紙をソラ様にお渡しください」


 怪訝な顔をするフェリクスに押し付け、老人は満足げな笑みを浮かべて去っていった。

 何がなんだか分からなかったが、独特な雰囲気に流されて口を挟めなかった。

 ──変な奴ばかりだな。

 大樹館よりはマシかと思い直し、チャフは紅茶に口をつける。


「不味い……」


 素人が淹れたとしか思えなかった。

 一口で懲りて、紅茶のカップを置いた時、今度はメイドが顔を出した。


「お待たせしました」


 応接室へお連れします、とメイドは一礼してから申し出る。

 フェリクス達をちらりと見たメイドの言いたい事を察し、チャフはフェリクスだけを連れていく。

 護衛一人くらいは見逃してくれるらしく、メイドが扉の前から退き、廊下への道を開けた。


「頑張ってくださいよ、若様」


 護衛達に次々と発破を掛けられ、チャフは笑みを返した。

 フェリクスを後ろに従え、メイドを追う。

 廊下にイレーネオの姿はない。すでに帰ったのだろう。

 応接室は少し離れたところにあった。待合室の前からは死角になる位置だ。

 予想通りに飾り気がない応接室のソファに、くすんだ銀色の髪を結わえた娘が座っている。

 部屋に入ったチャフに険のある眼差しを注いでくる娘、イェラが口を開いた。


「本日のご用件をお聞かせください」


 距離を感じる口調で言葉をぶつけられ、チャフは小さく深呼吸した。


「ソラ卿との対話を願いに来た」


 イェラが不愉快そうに顔をゆがめた。


「対話の余地があるとお思いですか?」


 イェラが言う通り、ジーラ商会連合には対話に応じるメリットがないように思える。

 座して待ち、金を蓄え、王家に話を持って行けば利益が確定するのだから。

 だが、チャフは気にしなかった。

 チャフの前にいる交渉相手はジーラ商会連合ではなく、イェラなのだから。


「交渉の余地は十分にある」

「戯言を披露するのが趣味なのですか?」


 イェラが皮肉げに口端を上げる。

 チャフは怯む事なく、イェラの向かいに腰を下ろした。


「帰りが遅くなると、ソラ卿に心配を掛けてしまう。持って回った言い方は無しだ」

「どうぞ、ご勝手に」


 チャフの言葉に素っ気なく返して、イェラはソファにもたれかかった。

 イェラの態度を咎めるどころか、チャフは苦笑する。

 余裕を感じる反応を見て、イェラは不機嫌に唇を尖らせた。

 ますます苦笑が深まるが、チャフは真面目な顔を取り繕う。


「まず、本音を聞かせてほしい。ソラ卿をまだ悪徳領主だと思うか?」

「当たり前です。実の父すら罠に掛ける相手を、悪徳以外の何だと言うんですか?」


 イェラが不快感も露わに眉を寄せる。

 チャフはまぶたを閉じる。

 浮かんでくるのは荒れ果てたかつてのクラインセルト領だ。


「故人の悪口は言いたくないが、クラインセルト伯爵は悪政の限りを尽くした。この土地が荒廃した元凶だ。そして、ソラ卿は領地を建て直した」

「──論点が逸れています。如何なる悪人であっても、犯した罪によってのみ裁かれるべき。濡れ衣を着せるなど、倫理の欠片もない所業です。それとも、邪魔者を排除する事は許されるとでも?」


 イェラの質問に、チャフは息を吸って力強く答えを返す。


「許されはしない。だが、目的が正義なら、人々の幸福であるのなら、悪徳ではない」


 チャフはイェラを正面から見据え、曇りのない瞳で鋭い視線を突きつける。


「イェラ、子爵領で布の廉売騒動がなぜ起きたか、分かっているのか?」

「それは……」


 イェラが苦しそうに瞳を逸らした。

 だが、チャフは追撃する。


「廉売騒動の背景には、ジーラ商会連合の成立があった。従業員を守るため、大手商会は必死で活路を探したんだ。……イェラには予想がついていたはずだろう?」


 確信を持って、チャフはイェラの返事を待つ。

 イェラは商会連合設立の立役者だ。

 規模の大きさが武器になる事を理解していなければ、商会を連合させるという発想は浮かばない。

 そして、弊害にも気付いていたはずなのだ。

 未来が見えていて、あえて目を瞑った。優先航行権を得るための交渉材料、失業者を生み出すために。

 だからこそ、イェラは自身を唾棄すべき拝金主義者と呼んだのだ。

 イェラは何時までも答えを返さず黙秘を続ける。

 それが、ソラとの根本的な違いだった。

 チャフはため息を吐く。


「イェラ、君がソラ卿に向けている感情は──同族嫌悪だ」


 チャフはイェラの感情を言葉にする。

 イェラが身を守るように俯き、自らを抱くように腕を交差させた。

 ──ソラ卿は胸を張って見せたが……。

 覚悟の違いだと言い捨てるのは、酷な気がした。

 だが、人を率いるならば胸を張っていなければいけないのだ。

 チャフはソラを見て、そう学んだ。


「イェラ、このまま商会連合が拡大したなら、貴族との闘争が待っている。傭兵を集めているからには、気付いているんだろう?」


 チャフは静かに問いかける。

 イェラが悔しそうに唇を噛み締めている事に気付き、チャフはフェリクスに目配せした。

 護衛として、あまり良い顔はしなかったが、フェリクスは素直に応接室を出ていってくれた。

 チャフは再び、イェラに話し掛ける。


「貴族と争えば、遠からず武力衝突が起こる。結果として勝つ事はできるかもしれない。だが、民が不幸に見舞われる事は間違いないだろう」


 チャフが語る未来予想図は、多くの者が描き、責任ある者達が回避しようとしている不幸だ。

 今ならばまだ、回避できる不幸なのだ。

 イェラが回避するために動けば、必ず避けられる。

 イェラが行動しないのは、同族嫌悪で目を曇らせ、目標を見失っているから。

 目標を見続け、共に先頭を歩む者がいないから。


「イェラ、王都でオレが取れなかった手を、もう一度伸ばして欲しい」


 唾棄すべき拝金主義者の頭上に輝く星として、チャフはイェラに手を差し出した。

 イェラは俯いたまま、ゆっくりと口を開く。


「……あなたは、私の味方ですか?」


 か細い声での質問にチャフは首を振る。


「オレは正義の味方になりたいだけの──」


 困った顔で笑いながら、チャフは続ける。


「ただの偽善者だ」


 聞きようによってはあんまりな言葉だと、チャフも思う。

 イェラがクスリと笑った。


「……本当に、あなたはお人好しな偽善者ですよ。人をこんなにやり込めて、私の前を歩こうとするんですから」


 少し潤んだ瞳でチャフを見つめ返し、イェラが差し伸べられた手を取った。


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