聖女様の面接(2)
湯気と食欲を誘う香りが真冬の身体を打ち付ける。
白く輝くご飯、甘い味噌の香り漂うワカメと油揚げの味噌汁、見目麗しい鯖の味噌煮、宝石のようなだし巻き卵、ピンと艶やかな皮を見せつけてくる茄子と胡瓜の浅漬け。
真冬は、目を、唇を、全身を震わせて目の前に並べられたご馳走を見る。
「油濃いものが苦手で和食中心なんだけど」
三角巾代わりのタオルを外したアキがアーモンド型の目を細める。
「良かったら食べて」
そう言って柔らかく口元を綻ばせる。
真冬が連れてこられたのは猫カフェ"Ca-Syuu"の2階。
アキの居住スペースとなっているらしい空間には最低限の家具や食器に少し広めのキッチンが整備されている。壁にはナツが描いたと思われる猫達のイラストが何枚も飾られ、そこに紛れるように黒髪の……恐らく真冬と同じ年くらいの時のアキが同じように黒髪の5歳くらいの男の子を笑顔で抱きしめている写真が飾られている。
「い……いいんですか?」
「育ち盛りに食事を与えない以上の悪行がこの世界に存在するとでも?」
アキは、真剣な表情でじっと真冬を見て……口元を綻ばせる。
「それにいつも作り過ぎてしまって私一人では食べ切れず腐らせてしまうというフードロス時代にあるまじき罪を犯してるの。私の罪を軽くする為にも食べて欲しい」
真冬は、面接の時と違うクールだけど優しい雰囲気を漂わすアキを見て、目の前のご馳走を見る。
お腹がずっとキュルキュル鳴り続け、羞恥に耳まで赤くなる。
「さあ、遠慮なく食べなさい」
「い……いただきます」
真冬は、両手を合わせて丁寧にお辞儀する、
割り箸を静かに割り、湯気上がる味噌汁のお椀を持ってそっと啜る。
大きな目から涙が一筋流れる。
「美味しい……です」
真冬の吐息と共に出た幸せな言葉。
アキは、アーモンド型の目を細める。
「おかわりあるからね」
真冬は、涙を飲み込んで食事をした。
鯖の骨を丁寧に取り、身を解して味噌出汁に浸してご飯と一緒に食べる。
美味しい。
鯖と味噌の旨味ご飯の甘みが口の中に広がる。
浅漬けの胡瓜の歯応えが弱くなった顎を喜ばせる。
だし巻き卵の程良い甘味と出汁の深みが合わさり膨らんでいく。
真冬は、綺麗な姿勢と所作で品良く、しかし止まることなくひたすらに食べ続けた。
アキは、緑茶を啜りながらアーモンド型の目で嬉しそうに食べる真冬を見守った。
「ご馳走様でした」
全ての食事を欠片を残すことなく真冬は丁寧に手を合わせてお辞儀する。
その顔に満ち満ちとした生気が戻ったようにアキには見え、小さく笑みを浮かべた。
「お茶飲む?」
「いえ……あの……」
真冬は、恥ずかしそうに遠慮する。
「私も飲みたいから気にしないで。それに美味しそうに食べてくれたお礼だから」
そう言ってアキは柔らかく微笑む。
「いえ、本当に美味しかったです。カフェで出したら売れるんじゃ?」
「それじゃあ猫カフェの意味がなくなるよ」
アキは、苦笑する。
「そうですか……」
残念そうに真冬は顔を顰める。
アキは、ふふっとアーモンド型の目を細めて小さく笑う。
「それじゃあお茶を……」
そう言ってアキは椅子から立ち上がる、と。
店舗に扉がゆっくりと開き、私服に着替えたナツが入ってくる。
真冬は、ナツを見て大きく目を見開く。
正確にはナツに起きている異変に。
「店、閉めてきました」
「ありがとう。スタッフ達は?」
「全員ブラッシングを終えて満足そうにゲージに戻っていきました。夜食と水も新しくして」
「あげ過ぎてない?」
「少し盛った程度ですよ。てかあれだけ動いてるんだから多少多くても問題ないでしょ?」
「太ることを気にしてるんじゃなくて健康を気にしてるの。今や猫も高齢化よ。20歳まで生きるなんてザラなんだから元気にしてあげないと」
そう呟いてケトルの中の水を確かめた後、スイッチを入れる。
「猫も介護が必要となる時代ですね。ヘルパーとか入るのかな?」
「世話なんか幾らでもするからいいわ」
アキは、ふんっと息を吐く。
そんな二人の掛け合いを見ながらも真冬はナツの異変に、いやナツの肩の上に乗っているモノから目を離せなかった。
それに気づいたナツが真冬に目を向ける。
「どうした?」
「いや……その?」
「店長のご飯美味いだろ?昔から料理上手だから」
「和食限定だけどね」
ケトルがピーッとお湯が沸いたことを告げる。
アキは、自分の分と真冬分のカップを用意し、茶葉を準備する。
「あの……ナツ君」
真冬が恐る恐る声をかける。
「ナツ君?」
ナツは、血色の瞳を顰める。
「あ……ごめんなさい。なんて呼んでいいか分からなくて……」
「名字で呼べば良くね?」
「……名字知りません」
真冬は、気まずそうに小声で言う。
ナツは、目を丸くするも直ぐにその理由を理解する。
「そっか。みんな俺のこと氷結病患者としか呼ばないもんな。三春以外。名字なんて知らないか」
そういえばマンションの表札にも名字は貼ってない。
アキのアーモンド型の目が険悪に歪む。
「国家公安委員会」
「何をどう秘密裏に処理するつもりですか?」
ナツは、半目でアキを見る。
「別に虐められてないですから。無駄に日本のCIAを動かそうとしないで」
「それがナツのため世のため」
「世の中より俺の方が上になってるよ」
ナツは、呆れながら真冬に視線を戻す。
「で……俺がどうかした?」
「えっと……その……」
二人の漫才に呆気を取られていた真冬は言葉を忘れてしどろもどろする。
「そ……その子?」
ナツは、怪訝に呟き、横を見る。
「雅のことか?」
ナツの首と肩の上で黒猫の雅が襟巻きのように絡みついていた。気持ちよさそうに緑と青のオッドアイを細め、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「こいつ寂しがりやでさ。他の子みたいにゲージで寝られないんだ」
ナツは、血色の瞳を優しく細めて肩に乗った雅の頭を撫で、喉を摩る。
雅は、気持ちよさそうに顎を上げて喉音を強める。
「ナツが帰るまではああやって肩に乗って、夜は私と一緒のベッドに寝る。まあ、夜行性だから夜中はずっと起きて部屋中を走り回ってるんだけどね」
アキもアーモンド型の目を細めて愛しげに雅を見る。
おいおいっ僕の秘密をバラすなよと言うように雅は大きく口を開けてアキを睨む。
微笑ましいやり取りと光景。
しかし、真冬が聴きたいのはそこじゃない。
「なんで……」
真冬は、恐る恐る人差し指を雅に向ける。
雅のオッドアイがじっと真冬の指先を見る。
「なんで……凍らないんですか?」
真冬の驚きと微かな怯えの混じった声にナツとアキと雅は同時に首を傾げて、目を合わせ、「「あーっ」」と得心を得たようなポンと手を叩く。
「猫は凍らないんだ」
「へっ?」
真冬は、思わず空気の抜けるような声を出す。
「なんだっけ。猫の体毛には氷結病患者の氷結作用を妨げる効果があって触れても凍ることはないんだと。難しいことは良く分からないけど」
「分からないと言うよりも解明されてないと言うのが正しい」
アキは、真冬の前にそっと湯呑みを置く。
緑茶の清涼で甘い香りが鼻腔を擽る。
「何せ猫の細胞や組織、DNAを調べてもその糸口すら見えてこないらしい。同じ猫科でもライオンや虎は凍ってしまうようだから。まさに遺伝子のブラックボックスだ」
アキは、自分の分の湯呑みをそっとテーブルに置く。
「それが分かれば……氷結病の治療方法の確立も夢じゃないらしいのに……」
「でも、ちゃんと恩恵は受けてるよ」
ナツは、COLDとプリントされた手袋を見せるように両手を上げる。
「不凍繊維は猫の体毛を混ぜて作られてるんだ。そのお陰で凍らないし凍らせない。お陰で生活が凄く楽になったらしい。まあ、俺が生まれる前の話しだけど」
ナツは、手袋を見て、雅を見る。
「お前達のお陰で俺らは人並みの生活が送れてるよ。ありがとな」
そう言って雅の喉を優しく摩る。
雅は、"そうだろう、そうだろう。僕を敬いたまえ"と言うように自慢げに顔を上げて目を細める。
「まあ、ちっちゃいトリビア程度に覚えといてくれ」
「でも、これが知られたら病気への印象も和らぐんじゃ……」
猫は凍らない、猫の毛を使った物を着れば大丈夫。
それを知るだけでも世間の捉え方も変わるのでは。
「ないない」
ナツは、きっぱりと否定する。
「マスクと手洗いすれば感染しないと言われても排除、監禁されるんだ。猫に触れられる程度で和らぐ訳ない」
そう言って口元を綻ばせる。
そのどこか感情を布で隠したような笑みに真冬はチクッと胸が痛んだ。
「それより……」
ナツは、ふーふーっと息を吹きかけながらお茶を啜るアキに目を向ける。
「採用の件はどうなったんですか?」
ナツの言葉に真冬は目を丸くする。
そうだった……。
私……その為に来たんだった。
久しぶりにお腹を満たされた幸福感にすっかりと忘れていた。
「お前……忘れてたろ?」
それに気づいたナツは半目で真冬を見下ろすと何故か雅も同じように半目になって真冬を見る。
二人の責めるような視線に真冬は恥ずかしくなって頬を染めて俯く。
「て言うかお前?今までちゃんと食べてたのか?」
「た……食べてましたよ。コンビニのお弁当とか……最近はお金がなくてカップ麺ばかりだったけど……」
ナツの脳裏に一昨日のディスカウントストアの件が浮かぶ。
「昼は?」
「えっ?」
「学校の昼だよ。お前、弁当持ってきてるとか言ってたよな?アレ……嘘か?」
「……はいっ」
真冬は、躊躇いがちに頷く。
「お昼はほとんど食べません。その……お金がもったいないから」
「それなのに……俺に金返そうしたり、栄養補助ゼリー買ってきたりしたのか?」
「それは……人として当然だし……その……これ以上惨めになりたくなかったので……」
そう言って真冬は唇を悔しそうに噛む。
ナツは、血色の瞳をギュッと萎める。
「親は?」
ナツの言葉に真冬の肩がビクッと震える。
「親はこのこと知ってるのか?」
「……知りません」
真冬は、きゅっとデニムの上でギュッと右手を握る。
「親は……私のことなんて興味ありませんから」
「おま……」
「ナツ」
言いかけたナツの言葉をアキが制する。
アーモンド型の目を小さく揺らめかせてじっと真冬を見る。
「質問いい?」
アキの言葉に真冬は驚いて顔を上げる。
「貴方……犬派なのよね?」
「はいっ」
「飼ったことは?」
「ありません」
アキの鼻頭に皺が寄る。
「つまり頭の中のイメージとして可愛い動物=犬だけど、猫派になる可能性も十分にあると言うことね」
「は……はいっ多分」
真冬は、チラリとナツの肩の上の雅を見る。
「雅ちゃん……とっても可愛いです」
「お世辞じゃなくて?」
「はいっ実はさっきからメロメロになりそうでした」
「抱っこしたい?」
「はいっもの凄く。ナツ君が羨ましくて仕方ありません」
その言葉が嘘偽りでないことは声のトーンで分かったり
「そうっ。じゃあもう一つ質問」
「はいっ」
「うちは氷結病患者がスタッフとして働いてるけど貴方はそれでもいいの?」
「はいっ」
真冬は、即答する。
なんとなく予想していた答えだったがそれでもこんなにあっさりと答えるとは思わずアキはアーモンド型の目を見開く。
「怖くない?」
「それは人としてですか?それとも病気として」
「両方よ。この子、顔は悪くないけど無駄に背は高くてデカいし、ぶっきらぼうじゃない」
「おいっ」
ナツは、思わず突っ込む。
「病気抜きにしても怖くない?」
「怖くないです」
真冬は、再びあっさり答える。
「ナツ君は……その……とても優しい……です」
少し恥ずかしくなったのか語尾が段々と弱くなっていくがそれで気持ちは伝わってくる。
「病気は?」
「触れなきゃいいんですよね?それに対策もばっちりだし。学校でだって一度も問題を起こしたことはありませんし」
ナツは、驚く。
学校で自分に興味なさそうにしていた真冬がちゃんと見ていたことに。
「それじゃあ人としてのナツも氷結病患者のナツも貴方は平気ってことね」
「はいっ」
真冬は、はっきりと答える。
アキは、アーモンド型の目をじっと向ける。
「採用」
真冬の目が大きく見開く。
「ナツ……あんたの高校ってバイトの手続きとか必要だったわよね?」
「まあ、簡単な書類提出は必要だけどそこまで面倒じゃないです」
「保護者欄は?」
「書いてくれればって感じでした」
「緩いわね。まあ問題ないならいいわ。明日から来れる?」
「は……はいっ」
真冬は、声を震わせて頷く。
「シフトは何日入れる?」
「毎日でも大丈夫です」
「それだと私が労基に訴えられるから週5にしなさい。場所はこの3号店。時給はポスターに書いてある通り。制服は支給。それと……」
アキは、ぎゅっと目を細める。
「賄いを出すわ。仕事終わりはうちで食べなさい」
真冬の目が大きく見開く。
「ついでに朝ご飯とお昼ご飯もお弁当で持たせるからしっかりと食べなさい。時給からも引かないから安心しなさい」
「それは……」
悪いです……と言いかけたがアーモンド型の目から放たれた圧で防がれる。
「仕事内容はナツから教わって。いいわねナツ」
「はいっ」
ナツが頷くのを見てアキは、クールに微笑む。
「それじゃあ明日からよろしくね。真冬ちゃん」
「は……はいっ」
真冬は、表情を輝かせて大きく頷いた。




