バイト募集
ピンポーン。
ピンポッ。
ピンポッ。、
ピンポッピンポーンッ。
インターフォンがけたたましく鳴り響く。
予想していたこととは言えあまりの粘着的なしつこさにナツは、げんなりしながら受信機を確認することもなく玄関に向かう。
玄関を開けると予想通りの人物が立っていた。
「……こんにちは」
洗い晒し過ぎたパーカーに色褪せ過ぎたデニムを履いた真冬が気まずそうに視線を横に反らしてぽそっとした声で挨拶してくる。
「何か用か?」
我ながらぶっきらぼうだな、と思いながら声をかける。
彼女が訪ねてくる理由なんて一つしかないだろう。
「ほっぺ……」
真冬は、辿々しく言葉を発する。
「ほっぺ……大丈夫ですか?」
予想した通りの言葉にナツは思わず苦笑する。
「……なんですか?」
ナツの苦笑を馬鹿にされたと捉えたのか?真冬はむっと頬を膨らます。
「あーっ悪い悪い」
全然悪いと思ってなさそうな軽い口調で言って青くなった頬を触る。
「こんなの殴られた内に入らねえよ」
嘘だった。
さすが三春と同じ野球部で鍛えてるだけあって歯こそ欠けなかったが口の中はしばらくは血の味でいっぱいで今も鈍い痛みが続いている。
「先生達は?」
彼女の前から消えた後に教師に捕まって職員室に連行されたのを誰かが彼女に密告したらしい。ナツは思わず舌打ちする。
「それこそこの痣を見せたら無罪放免だ。いくら氷結病被害が起きたからって被害者を罰することはしない」
それもまた嘘だった。
教師達は疑いもせず自分が手を出して殴ったと勘違いし、ナツを問い詰めた。
氷結病患者だからと言う理由だけで。
だから、タブレットの映像を見せた時は職員室の全員が驚きを隠しきれず、気まずそうにナツを見て「だが問題を起こしたのは間違いないからな。反省文を明日までに書いてくるように」と言って半ば強引に追い出された。
「よかった……」
ナツの言葉を信じたのか?真冬はほっと胸を撫で下ろす。
「心配してくれてたんだな」
「当たり前です」
真冬の大きな目が真っ直ぐナツを見る。
「私を助けるために怪我をしたんです。心配しないはずはありません」
「……そうか」
「今日は本当に助かりました」
真冬は、丁寧に頭を下げる。
「あんなの初めてで……本当に助かりました」
「そりゃそうだ。滅多に起きることじゃないからな」
そう言ってナツは苦笑する。
彼女くらい綺麗で人気もあったらささいな異性トラブルはあるだろうがそれでも今日のようなことは異常だろう。
「三春にも心配されました」
「三春が?」
ナツは、目を丸くする。
「はいっ。話しかけられるとは思わなかったので驚きました」
恥ずかしそうに頬を赤らめて目線を左に反らし指をモジモジする。
「あの男子がやったことを物凄く怒ってました」
「そりゃ……まあな」
同じ野球部。しかも勝手に三春にも嫉妬して暴行した挙句、恋恋慕して振られた相手を暴行しようとしたのだ。
怒らないはずがない。
「三春に言われました。貴方に感謝しろって」
真冬は、ポケットからスタンドパウチのチューブを取り出す。どこのコンビニでも売ってる栄養補強ゼリーだ。
「飯がなくなったと言ってたので」
「よく聞いてたな」
「今、持ち合わせがないのでこんな物しか買えないんですが……良かったら」
真冬は、恐る恐る差し出す。
ナツは、じっと栄養補強ゼリーを見る。
「いらね」
ナツのぶっきらぼうな言葉に真冬は目を震わせる。
「やっぱりこれじゃ……ダメですか?でも私本当に今持ち合わせがなくて……」
「そうじゃねえよ」
ナツは、肩を竦めてポケットからスタンドパウチのチューブを取り出す。
「俺、これしか食えねんだ」
ナツの言葉に真冬は目を丸くする。
「よく見ろ。パッケージが違うだろ。NOT COLD。不凍液だ」
「不凍液?」
「氷結病患者専用の食い物兼飲み物。これ以外を口に入れたら腹の中で凍って死ぬ」
真冬の目が驚愕に震える。
「だから好意だけ受け取っとく」
ナツは、無造作に不凍液をポケットに突っ込む。
「そいつは三春にでもやりな。仲直りのきっかけになるんじゃないか?」
そう言ってナツはドアノブを握る。
「じゃあな」
「ま……まって!」
真冬は、慌てて玄関を押さえる。
「なんだよ」
ナツは、苛立ち、唇を歪める。
「もうすぐバイトだから急いでんだけど」
「バイト……ですか?」
「そうだ。遅れたら店長にドヤさせる」
「でも、まだお礼が」
「だから、いいって」
「よくありません!二度も助けられて何もしないなんて人として恥です!」
「だからいいんだよ!」
強引に閉めようと思えば閉められる。
でも、ナツの力で思い切り閉めたら真冬がズッコけるか壁にぶつかって怪我をする映像が浮かんで締めることが出来ない。
どうするか……と思った時、天啓が下りる。
ナツは、玄関を引くのを止める。
真冬は、急に軽くなった玄関に引っ張られてよろけそうになる。
ナツは、ポケットからスマホを取り出しアプリを起動する。
「どっちがいい?」
スマホの画面に標示された二つのイラスト。
コンセプトこそ違うがどちらにも金髪の女性と沢山の猫が描かれている。
「これは?」
「バイト募集のポスター」
ナツは、真冬の鼻先までスマホを持っていく。
「2パターン作ったんだがどっちがいいか決められない。どっちがいい?」
「これ……貴方が描いたんですか?それにバイトって……猫カフェ!?」
真冬は、心底驚き声を上擦らせる。
「うるせえ」
ナツは、頬を赤らめて拗ねたよう言う。
「どっちがいい?」
照れながら言うナツ。
真冬は、そんなナツの顔を見て、スマホを見る。
「こっちです……」
そう言って右の絵、黒猫と三毛猫に挟まれた金髪の女性が美味しそうにラテを飲む絵だ。
「なんで?」
「女の人が猫に挟まれてラテを飲んでるのが幸せそうだから……行ってみたいと思っちゃいます」
「バイト募集だ。客引きじゃない」
「行ってみたいと思うってことは働いてみたくなるの同義ですよ」
真冬は、マジマジとスマホを見る。
「美味しそう……」
ぽそっと呟く。
ナツは、スマホを真冬から避ける。
真冬は、名残惜しそうにスマホを見る。
「これで恩返しは終了だ」
ナツの言葉に真冬は目を丸くする。
「じゃあな」
今度こそピシャッと玄関が閉められる。
真冬は、あっと言って玄関に手を伸ばすがもう遅い。
玄関が開くことはなかった。
真冬は、手持ち無沙汰になった手を唇に持っていく。
「猫カフェ……バイト」
真冬は、ぽそりと小声で呟き、開かない扉を見つめながらその場を離れた。
猫カフェ"Ca-Syuu"は今日も大忙し。
真冬とのアレコレがあっていつもよりも入りが5分遅れたナツは急いでバックヤードで制服に着替え、濃紺のエプロンをかけて店に出る。
店ではスタッフ達が既に働いており、訪れたお客を甘やかし、甘やかされていた。
「「「雅様ぁぁ!」」」
単位は大丈夫なのかと心配になるくらい店に通う女子大生3人。
「コッチ、コッチ」
キャットタワーに乗ってうたた寝するサバトラを畳を叩いて呼ぶ幼児にそれを見守る母親。
「こら読むのを邪魔するな」
膝に乗せた白猫に戯れつかれながら本を読む老紳士。
いつもと変わらない柔らかで平和な光景。
遅刻する!と焦って走ってきたのが馬鹿らしく感じてしまう。
「ナツ」
背後からの声に振り返ると濃紺のエプロンを付けた金髪ショートの美人……アキが立っていた。
「店長すいません。遅れました」
ナツは、ぺこりっと頭を下げる。
「そんなのはいい。それより……」
アキは、青くなったナツの頬に手を伸ばし、触れるか触れないかで止める。
「頬が腫れてる」
アキは、一歩前に出てナツの顔をじっと見る。
「何かあったの?」
「ちょっと学校で色々と……」
ナツは、ゴニョゴニョと口を濁す。
アキのアーモンド型の目が釣り上がる。
「文部科学省」
「ワンブレスで最高機関を動かそうとしないで」
ナツは、呆れ顔で突っ込む。
「でも、顔が……」
「大したことないですから。それより……」
ナツは、スマホを取り出し、アプリを立ち上げ、イラストを見せる。
真冬にこっちがいいと言われたイラストだ。
「これでいいですか?」
「……家で描いたの?」
「は……はいっ。ちょっと時間がなかったもので」
「仕事の持ち帰りはいただけないわ。そんなことする暇があるなら遊ぶか勉強に費やしなさい」
「はいっ……すみません」
「家で使った時間を後で教えて。バイト料に上乗せするから」
「いいですよそんなの……」
「い、い、わ、ね!」
「……はいっ」
ナツは、弱々しく頷く。
アキは、不満そうにしながらスマホに表示されたイラストを見て……アーモンド型の目を丸くする。
「この真ん中の女の子……私?」
「はいっ」
ナツは、小さく笑む。
普段、誰にも見せないような優しい笑みを。
「世界で一番大切な人だから……どうしても描きたくて……」
「……そう」
アキは、視線を左に逸らし、くるりと背中を向ける。
金髪から覗いた耳が林檎のように真っ赤になってる。
「印刷して入口と外に貼っておいて」
「サイズは?」
「A3二枚重ね」
「分割苦手なんですけど」
「時間かけてもいいわ。よろしく」
そう言い残してアキは接客に向かう。
気に入ってくれたみたいだな、とナツは肩を竦めてバックヤードに戻った。
苦労して印刷してラミネートを施し、入口と外の壁にポスターを貼ってから業務に戻る。
ナツの業務は裏方が主だ。
バックヤードに控えたスタッフ達にご飯を上げ、保水タンクの水を変えていつでも綺麗な水を飲めるようにする。
次に店に出るスタッフを丁寧にブラシし、喉と首筋を撫でてリラックスされる。
スタッフ達もナツの指先&ブラシテクニックに一目を置いてるらしく進んでナツの膝の上に乗って愛でられ、肩に乗り、背中を引っ掻いて催促する。
アイドルのマネージャーかホステスのボーイと変わらないなあと思いながらも丁寧に丁寧にケアをする。
だからといって相手にするのはスタッフばかりではない。人間の相手だってきっちりとする。
人間のフードやドリンクの注文が入れば手際よく準備をする。コーヒー、紅茶、ジュース類は仕込みこそディスペンサーが行うが原料は店長が丁寧に厳選し、クッキーやケーキ類もスタッフが異食しても問題ない素材に拘ったものだ。
そして最も人気があるのは3Dラテ。
ミルクの泡を丁寧に泡立てエスプレッソに猫の模様を描いたリアル過ぎるラテは1番人気で氷結病患者が一つ一つ丁寧に作ってると謳っても"まあ、店長が大丈夫と言ってるから"と誘惑に負けて注文していく。
つくづく人間って……と思う。
そんなことをしているうちにあっという間に時間は過ぎていき後三十分で閉店と言う時に……それは起きた。
「ナツ」
閉店前の片付けの為にスタッフの毛をコロコロで取り、セルフカウンターに置かれたカップを片付けていると唐突にアキに声を掛けられる。
「なんですか?店長」
ナツは、作業の手を止めて振り返る。
アキは、入口を……その横にある円型に十字の格子の走った窓を指差す。
ナツは、導かれるように血色の瞳を向けて絶句する。
夕闇に染まった窓に人影が映っていた。
ウェーブの入った長い黒髪の見窄らしいパーカーを着た少女の姿が。
「星上?」
予想もしなかった見知った影にナツはたじろぐ。
「知り合い?」
アキは、眉を顰めてナツを見る。
「学校の……同級生です」
同級生という言葉にアーモンド型の目が険悪に尖る。
「ナツを殴った奴……報復に来た?」
「違います」
ナツは、即座に否定する。
「なんですか?その平成な発想は?」
「それは差別。令和にだって報復ものは多数存在する。むしろ多い」
「ああっ異世界転生とかザマァ系ってやつですか?最近のはよく分からなくて……」
「神漫画ばかり読んでるからそうなる。もっと広い視野に目を向けなさい。ブームにアンテナを張るのは経営の基礎よ」
「下手な理由つけてますけど結局好きなだけでしょ?ハーレム系とかにハマらないで下さいね」
アキは、アーモンド型の目をギュッと萎めて真冬を見る。
「で、あの子は何をしに?」
「さあ?」
本気で分からないので首を傾げる。
確かに猫カフェでバイトしてるとは言ったし、ポスターのデモも見せた。店の名前もそこに書いてあったのでそれを覚えていたのだろう。
さすが学年一位だ。
でも、ここに来る理由が分からない。
店に入りたいならさっさと入ってくるだろうし、借りを返しにきたと言う感じでもない。
どちらかと言うと何かに困っているような、どうするべきかと悩んでチラチラと覗き込んでる印象だ。
「とりあえずもう新規のお客さんは受け付けられない。申し訳ないが帰ってもらいましょう」
猫カフェ"Ca-Syuu"では閉店30分前には新規の客の来店を断っている。店の都合ではなくスタッフの都合だ。
人間以上に働いてくれるスタッフに過剰なストレスをかける訳にはいかない。
「俺が行ってきます」
「大丈夫?」
「はいっ。悪い奴では全然ないので」
「そうっ。じゃあ、任せるわ。何かあったらすぐに呼ぶのよ」
「はいっ」
ナツは、小さく頷いて出入り口に向かい、スタッフ安全用の一の扉を開き、二の扉を開いて外に出る。
「星上」
ナツが呼びかけると真冬は心底驚いたように目を丸くしてこちらを見る。
どうやらナツに気づかれているとは思わなかったらしい。
「あの……どうして?」
「どうしてはこっちだ」
ナツは、肩を竦めふうっと息を吐く。
「なんでここにいる?」
「えっと……その……」
真冬は、恥ずかしそうにお腹の前で指を組んでモジモジする。
「見せてもらったポスターにお店の名前があったから」
やっぱり……ナツは血色の瞳をギュッと萎める。
「これ見ろ」
ナツは、入口の横に貼られたA3を2分割にしてラミネートされたバイト募集のポスターを指差す。
「あんたが選んでくれたお陰で無事採用された」
「みたい……ですね」
真冬もナツが差したポスターを見て口元を緩める。
「恩はもう返された」
「はいっ……」
「もう気にすることはない」
「そう……ですね……」
歯切れの悪い真冬にナツは怪訝な顔をする。
「他の何かあるのか?」
「えっと……その……」
真冬は、大きな目を反らす。
「ひょっとして店入りたいのか?だったら今日はもう閉店だからダメだ。明日もやってるから……」
「そうじゃない……です」
真冬は、恥ずかしそうに声を出す。
ナツは、意味が分からず困惑する。
真冬は、お尻に手を回しデニムのポケットに入れていたものを取り出す。
それは白地の封筒で表面には丁寧な文字が書かれている。
「履歴書在中?」
ナツは、封筒に書かれた文字を読んで目を瞠る。
「バイト……したいです」
真冬は、恥ずかしそうに、しかしはっきりと大きな目を向けて言う。
ナツは、驚きのあまり声を失ってしまった。




