応援
真冬が横ヨコスタジアムに着くと周囲は静まり返っていた。
凍りついたスタジアムの外壁、惚けた顔で天を見上げる人々、切なく鳴き響く声、そして岩のような氷壁を|登る雪色の髪をした少年……。
「ナツ君……」
真冬は、周囲の人々と同じように呆然と横ヨコスタジアムの影を見上げる。
ナツは、逞しい両手で氷の岩を掴み、剥き出しの足で身体を支えて氷壁を登っていく。
彼が氷岩を掴む度に、足で踏み締める度に白い塵が吹き荒れ、氷の欠片が落ちてくる。
ナツの視線の先、白く凍てつき、真冬の胴よりも太い氷柱の下がる鉄の網棚の上で茶トラの子猫が縮こませた小さな身体を氷の腕に抱きしめられて切なく鳴いている。
ナツは、あの子を助けようとこんな無茶で無謀で常軌を外した行動をしているのだ。
「ナツ君、やめて!危ない!」
真冬は、必死に叫ぶ。
ナツの動きが止まる。
血色の瞳が地上を、真冬を捉えると右手を氷壁から剥がして人差し指を口元に当てる。
静かにしろ。
騒ぐと猫が落ちる。
ナツの意図が言葉となって真冬に落ちる。
真冬は、叫ぶのをやめる。
ナツは、右手を氷壁に戻し再び登っていく。
どうしよう……どうしたら……。
真冬は、今にも破裂しそうな心臓を必死に押さえつけて自分に出来ることはないか考える。
……何もない。
自分にはナツを追いかけて氷壁を登る力もなければナツと猫を同時に助けることが出来るような画期的な策略もない。
ただ……見ていることしか出来ない。
真冬は、あまりにも悔しくて情けなくて右手をギュッと握りしめる。
「ナツ君……」
真冬は、血を吐くようにナツの名を呟いた。
「おいっあんた!」
唐突に背後から声をかけられて振り返ると怒りの形相を浮かべた人達が真冬を取り囲んでいた。
真冬と同じ年くらい若者から中年、高齢者達。みんな一様に憎しみに満ちた目で真冬を睨む。
「あんた……あの氷結病患者の知り合いか!」
中年の男性が氷壁を登るナツを突き刺すように指差す。
「なんの恨みがあってこんなことをする!」
恨み?
男の言ってる意味が分からず真冬は戸惑う。
「あいつのせいで試合が台無しになったんだよ!」
怒号が砲丸となって真冬を打つ。
それで真冬は理解する。
彼らは、ショートヘア達と同じように何らかの理由でスタジアムに入れない、しかし、球児達を応援したくて集まった人々。
しかし、ナツの行動で試合が潰れてしまい、怒り狂っていた矢先にナツを呼ぶ真冬を見つけて街灯に群れる蛾のように集まったのだ。
「あいつのせいで全部台無しだ!」
「球児達が今日と言う日の為にどれだけ頑張ったと思ってる!?」
「私なんて今日の為に毎日願掛けしたのよ!」
「彼らの思いを……努力を返せ!」
人々は、怒りの形相を浮かべて真冬に詰め寄る。
真冬は、恐怖にたじろぎ、命の危険を感じた。
それでも必死に彼らを見据え、口を開く。
「ナツ君は……あの子……猫を助けようと行動したんです」
真冬は、震える声で彼らに訴える。
「試合を止めようなんて欠片も思ってません。思うはずがありません」
「猫?」
1人が眉を顰めて凍てついた鉄の網棚を、その上で氷に抱かれ震える茶トラの子猫を見つける。
しかし……。
「だから、何だよ?」
「えっ?」
真冬は、言葉を失う。
「確かに大変だけどそれが何でスタジアムを凍らせることに、試合を止めることに繋がる」
「だからナツ君はあの子を助けようと……」
「救助を待てばいいじゃない」
もう1人の女性がフンッと鼻息を漏らしながら言う。
「助けるのなんて試合が終わった後でもいいでしょ?それに……」
女性は冷たく目を萎める。
「所詮、猫じゃない」
真冬は、心臓が千切れそうになった。
「彼らの情熱とどこから来たかも分からない汚い猫の命、比べるまでもなくない?」
女性が言うと何人もが「そうだ」「そうだ」と声を上げる。
なにっ?
なんなの……この人たち?
本当に同じ人間なの?
真冬の身体がカタカタと震え出す。
今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られ、大きな目に涙が溜まる。
「おいっ泣き出したぞこいつっ」
「泣きたいのは球児達よ」
「ったくふざけんなよな。こいつといい、氷結病患者といいよ。あっひょっとして……」
男は、握った右手で左手の平を叩く。
「これ自作自演だろっ?」
真冬は、涙に濡れた目を見開き男を凝視する。
「お前ら態と猫をあそこに置いて、態とスタジアムを凍らせたんだろ!?」
真冬は、男が何を言ってるのか分からなかった。
「ネットに動画でも上げるつもりだったんだろ?"氷結病患者、子猫を救う"みたいな」
「うえっ?マジかよ!?」
周囲から引いた声が上がる。
「うわっめっちゃフェイク動画じゃん」
「何のために?」
「注目集めたかったんじゃない?ほら氷結病患者ポジティブキャンペーンみたいな」
「うわっその為に猫犠牲にしたの?かわいそ」
「そんな馬鹿みたいなことの為に球児達の夢を……!」
男の思いつきをまるで真実かのように言う人々。
真冬は、お腹の奥が熱くなるのを感じた。
涙に濡れた目で彼らを睨み、震える唇で声を上げようする、と。
「ふざけんなよテメェら」
真冬の背後から鋭い怒りの声が飛んでくる。
空気が静まる。
彼らの顔が驚愕に固まる。
真冬の横を白い影が抜ける。
紺色の野球帽、帽子の隙間から覗く明るい茶色の毛、精悍で整った顔立ち、そして背番号に3と書かれ、左胸に四季折高校と書かれた土に汚れたユニフォーム。
「三春?」
真冬は、幼馴染の怒りに震える整った顔を見て呆然と呟く。
彼らも予期せぬ応援していた球児の登場に言葉を失う。
「俺の親友がんなくだらねえことするはずねえだろが。ボールの変わりにお前らの顔面打ち据えるぞこらっ!」
そう言って無手の左手でバットを振るフリをする。
「しっ親友……!?」
「貴方何言って……」
「お……俺たち必死で君たちを応援してたんだぞ!?君達の無念晴らそうと……」
「誰が頼んだよっんなこと!」
三春は、顔を歪ませて吠える。
彼らは、恐怖に顔を引き攣らせる。
「てめえらみてえな鬼畜に応援されても何にも嬉しくねえ」
三春の目が冷たく彼らを見据える。
「失せろ」
彼らは、ひっと短く悲鳴を上げて一目散に散っていく。
真冬は、呆然と去っていく彼らの背中を見る。
「ったくよぉ」
三春は、肩を竦めてふんっと鼻息を吐く。
「怪我はないか真冬?」
そう言って真冬の顔を覗き込んでくる三春はいつものちょっとヤンチャなイケメンスマイルに戻っていた。
「うんっ大丈夫。別に何かされた訳じゃないから」
「嘘つけ」
馬原は、ギュッと目を萎める。
「その顔で何もされてない訳ないだろ?」
「それは……あの人達がナツ君と猫ちゃんに酷いこと言うからで……」
「そっか……」
三春は、くしゃっと切なげに顔を顰める。
「辛かったな」
「……はいっ」
真冬は、人差し指で涙を拭う。
「三春は……なんでここに?」
「なんでって……そりゃあなあ」
三春は、氷壁となったスタジアムを見上げる。
「急にスタジアムの一角が凍れば嫌でも親友殿の顔が浮かぶだろ?まあ、これは流石に想像の斜め上を行き過ぎだけどもな」
そう言って苦笑いを浮かべる。
「試合は……どうなったんですか?」
「中止だよ。まさにコールドゲームだ」
自分で上手いこと言ったと思ったのか三春はドヤ顔で笑うが真冬は笑えなかった。
「まあ、それはどうでもいいんだけど」
「どうでもいいって……」
「たりめえだろ。俺の夢と小さな命。どっちが大事かなんて比べる必要なくないか?」
真冬の目が大きく震える。
「それに俺達は間違いなく勝ってた。誰にも文句は言わせない。親友殿のこともな」
「三春……」
真冬は、ぎゅっと胸が締め付けられた。
そうだ……。
こんな人だから私は好きになったんだった……。
「じゃあ、そう言う訳で……」
三春は、天を見上げると両手を口元に当てて小さなメガホンを作る。
「かっ飛ばせえ!ナーツッ!」
冷えた空気に炎を巻き起こすような大声に真冬は目を剥き、周囲の人達が一斉振り返る。
「気合いだ!気合いだ!ナーツッ!一発逆転ホームラン!」
「ちょ……ちょっと三春!」
真冬は、顔を真っ赤にしてユニフォームの裾を引っ張る。
「かっ飛ばせってなにっ?ホームランって!?」
真冬にグイグイ引っ張られて三春は不機嫌そうにメガホンを解く。
「しゃあねえだろ。俺らに出来るのなんて応援だけなんだから。それに野球の応援文句しか俺知らねえし」
「普通に頑張れでいいでしょそこは!?」
「うっせえなあ。じゃあお前が応援してやれよ」
「えっ?」
「お前の応援が1番届くんだよ。ささっとやれ!」
そういうって再びメガホンを作って再びナツを応援する。
「フレッフレッナーツッ!フレッフレッナーツッ!盗塁、走塁、満塁だぁ!」
三春の声はどこまでも響き、轟き、周囲を熱くしていく。それはきっとナツの耳と心にも届いて……。
真冬は、ぎゅっと右手を握りしめる。
ナツ君は……私を見てくれるっていった。
気づいてくれるって言った。
なら……今度は私が……!
天を仰ぎ、小さな両手で小さなメガホンを作り、思い切り息を吸って……叫ぶ。
「頑張れぇ!ナツ君!!」
真冬の叫びは、熱と冷気の伴った空気に乗って高く高く昇っていった。
背中が熱く打たれる。
ナツは、進みを止めて下方を見ると真冬と泥だらけのユニーフォームを着た三春が手でメガホンを作って必死に必死に叫んでいた。
「フレーッ!フレーッ!ナーツッ!ガッツリ飛ばしてホームラン!」
何でホームランなんだよ!?
「ナツ君!ナツ君!頑張ってっ!ナツクゥッ!?」
舌噛んだな。慣れない大声出すから。夕飯食えねえぞ。
「まったく……あいつらは……」
ナツは、呆れたように血色の瞳を萎め、口元を綻ばせる。
俺のせいで試合が潰れたのに……。
また、不安にさせたのに……。
2人の周囲の人間たちは相変わらず氷よりも冷たい侮蔑と差別、そして憎しみに満ちた目でナツを見上げ、更には2人にさえ怒りの目を向ける。
それなのに2人は周囲に意識もくれずひたすらにナツに声援を送る。
「勝ちいけ!勝ちいけ!ナーツッ!」
「ナツ君!もう少しでシュ!頑張って!頑張って!」
それだけで……身体に力が湧いた。
「後で必ず詫びる」
ナツは、氷の岩に張り付いた右手を剥がす。
「まってろ」
右手を伸ばし、氷の岩の先を掴む。左手と足で身体を支えて身体を引き上げ、左手で更に先の氷の岩を掴み、身体を引き上げ進んでいく。
茶トラ猫の元に。
冷汗を吹き出す手足が氷に張り付き、逆さまになっても落ちることはない。しかし、それでも重力が千切れる訳ではないので身体に地球の重さがぶら下がる。加えて登山経験なんてない身体は手足の筋肉は千切れそうに痛み、血が背側に降りて血が偏り目眩がする。酸素もいくら吸っても足りない。
それでも2人の声援がカンフル剤となってナツの身体を刺激し、ナツに力を与えてくれる。
ナツは、奥歯を噛み締めて氷の岩を掴み、前へ前へと進んだ。




