四季折高校の聖女様(2)
放課後。
部活にいく三春と別れ、ナツは自宅へと帰る。
ナツが住んでいるのは四季折高校と猫カフェ"Ca-Syuu"のちょうど間、閑静な住宅街に建てられた古い賃貸マンションの5階だ。今時ロートロックもなく、エレベーターも狭くて時折り嫌な音を立てる。通路もLEDに切り替わってないので薄暗い。3LDKでそれなりの広さがあり、古さに見合った格安家賃でもなければ若者が住もうなんてとても思わないようなマンションだ。
ナツは、不凍繊維の中敷を縫い込まれた特製の制服を脱ぐと素早く私服に着替える。
少しでも間を置くと周囲が凍てついてしまって後で処理が面倒になるからだ。
時計を見ると15時半。
バイトの入りが16時半。
普通の高校生なら隙間時間でゲームをやるか動画配信でも見るところだろうがナツが開いたのはテーブルの上に置かれた参考書だった。
星上真冬には及ばないがナツも高校では特待生として常に成績上位一桁台に名前が書かれていた。ナツの名前になど誰も気付かないのか、それとも敢えて注目していないのか騒がれることはほとんどなく、三春が「凄えじゃんお前!」「赤点取ったらやべえんだよぉ!お助け下せえーナツ様」と調子良く泣きつかれて一夜漬けの勉強に付き合わされるだけだ。
それでもナツは良かった。
特に行きたい大学も進路もある訳でなく、単に特待生特権である学費免除の為に勉強してるだけなのでそれで三春の役に立つなら越したことはないと思っていた。
中間は終わったばかりだが三春の為にヤマ張る程度のことはしておいてやるか、とテーブルに転がっていたシャーペンを拾い上げる、と。
インターフォンが鳴った。
ナツは、シャーペンを置いて怪訝そうにドアを見る。
ナツの家を訪ねてくる人なんて1人を除いて誰もいない。そしてこの時間にその1人が来ることもない。
ネット販売もここに住んでるのはナツと知ってるから頼んでなくても置き配だ。怪しい勧誘業者すら来ない。
インターフォンが鳴る。
ナツは、面倒に感じながら立ち上がってインターフォンの受信機を覗いて……血色の瞳を大きく見開く。
黒髪の女の子が映っていた。
昨日と同じ格好して。
その幽鬼のような暗く覇気のない印象に響めきながらもナツは、モニターのスイッチを付けたまま玄関に向かい、施錠を解して開く。
玄関が開いた瞬間、女の子は驚いた顔をしてナツを見る。
反応がなかったから家にいないと思ったのだろう。
「どうかしたのか?」
ナツは、血色の瞳を萎めて女の子を見る。
「えっと……その……」
女の子は、動揺しながらも右手に持ったスマホをナツに差し出す。
「IDを教えてください」
女の子の言葉の意味が分からずナツは眉を顰める。
「昨日のお金を返したいからIDを教えて下さい!」
昨日の夜とも日中とも違う苛立った声にナツは目を瞠る。
「いらない」
ナツは、ぶっきらぼうに返す。
「大した額じゃない。俺が好きにやって好きに払っただけだ」
「そんな訳にはいきません」
女の子は、強い目でナツを見る。
「貴方にお金を出してもらう道理なんてありません」
女の子は、ぐいっとスマホを向ける。
「教えて下さい」
頑固だな。
ナツは、ふうっと肩を竦める。
「友達の知り合いだから助けた」
「えっ?」
「同級生だから助けた」
女の子の唇が小さく震える。
「隣人だから助けた。それじゃあ駄目か?」
ナツは、血色の瞳をぎゅっと縮める。
「聖女様」
その瞬間、女の子の目が大きく震え、綺麗な唇がギュッと紡がれる。
「……分かりました」
女の子は、スマホを下ろす。
「お言葉に甘えてさせていただきます」
ぺこりっと綺麗に頭を下げる。
「でも……こんなことは二度としないで下さい」
「分かった」
「三春にも……言わないで下さい」
「……分かった」
ナツの言葉を聞いて女の子はもう一度、深く頭を下げるとナツの顔を向けないまま踵を返し……隣の部屋へと向かい玄関を開けて中に入っていった。
"星上"と手書きの表札の書かれた部屋に。
「高級タワマン……ねえ」
ナツは、掠れた声で呟き、スマホを見る。
時刻は、16時を過ぎていた。
「遅刻だな」
ナツは、嘆息まじりに呟き、玄関を閉めた。
星上真冬が隣に住んでると知ったのは四季折高校に入学して三ヶ月、ちょうど今くらいの夏の始まりだった。
彼女が隣に住み出したのは高校の入学式の前日、ナツと同じ日だった。
引っ越すための少ない家具や荷物を家の中に運んでいる時に同じように部屋に荷物を運ぶ人影を見た。顔は見えなかったが長い髪で顔を隠した地味で暗い雰囲気を漂わせた……スウェットとデニム越しにも分かる華奢な身体付きから若い女性だと言うことは何となく分かった。
きっと自分と同じように学校に通う為に近くに引っ越してきた大学生、もしくは同じような高校生かもしれないとは思ったがそれ以上は深く知ろうとは思わなかった。
好き好んで自分の隣に住むような輩がまともな人な訳がない、そう思ったから。
氷結病患者が近隣に住む場合、不動産業者は賃貸者及び物件購入者に知らせる義務がある。
個人情報はどうなってるんだ、と思うところだがそれだけこの病気が世界的に危険視されていると言うことであり、万が一にも氷結病患者か近くにいることを隠して事件があった場合、その責任の一端を紹介した不動産業者が負うことになる。法律的にも氷結病患者か近隣に接する際は注意喚起の為に知らせてもいいとなっているので違法でもない。
その代わり氷結病患者が物件の購入及び賃貸したい場合は断れないことになっているし、国からもしっかりと補助が出るので所定の物件なら格安で借りられるし、近隣、しかも隣りに住む者も同じ条件で借りられ、物件のオーナーにも補助金が入ると言うというオプション付きだ、と、言うかそうでないと貸そうとなんてする訳がない。
しかし、それだけのただ同然の甘々条件を出しても住まないのが人である。金や住処よりも命が大事とナツが住む前には大概の住居者が退去したと聞いた。残っているのはやむに止まれぬ事情のある者ばかり。
だから、そんな物件に、しかも隣にまともな人間が住むはずないと思ったしあっちも自分と関わろうとなんて思ってないだろう。
事故物件の隣も事故物件。
そう思ってすれ違うのも避けて過ごしてきた。
そんな彼女とすれ違うことになったのは本当に偶然だった。
それは一学期の中間試験当日のこと。
試験中も猫カフェのバイトを入れていたナツは家に帰ってから勉強を始めた。特待生維持の為に日頃から勉強してるのでバイトしたからと言って慌てることはないのだがそれでも万が一がないと言い切れないので寝不足にならない程度に勉強をした。
朝もいつもより早く起きて学校に行って予習しようと玄関を出たら……。
「あっ」
「あっ」
隣の玄関が同時に開き、反射的に顔が向き、目が合い、絶句した。
そこにいたのはナツの知ってる地味な暗い雰囲気の女性ではなく、綺麗に髪を整え、薄い化粧をし、皺一つない四季折高校の制服を着た西洋風の美しい顔立ちに清楚でお淑やかな雰囲気を漂わせた美少女、入学当時から騒がれ、いつしか聖女様と呼ばれるようになった"星上真冬"だったからだ。
真冬もまたナツが顔を出したことに驚いて大きな目を丸くする。
彼女の場合は隣に住んでるのがナツと知ってたはずなのでいることに驚いたのではなく、こんな時間に顔を出したことに驚いたのだろう。
真冬は、綺麗な顔を気まずそうに顰めながらもぺこりっと頭を下げてそそくさとエレベーターのほうに向かう。ナツもらしくなく動揺した気持ちを抑えながらもエレベーターに向かう。
「あ……一緒に乗っていいか?」
「ど……どうぞ」
そう言って二人で気まずい雰囲気のままにエレベーターに乗り、エントランスに着くと無言で降りて、そのまま無言で別れた。
それが彼女との初の絡みであり、恐らく最後の絡みだとナツは思った。
同じマンションの隣だったと言う事実は試験で簡単なケアレスミスを連発するくらいの動揺する事象だったがそれだけだ。
彼女の態度から自分と関わりたくないのは明らかだったし、自分も関わりたい訳ではない。
ただの同級生の隣人。
関係を結ぶこともないままに卒業すれば何もなかった様に消えてしまう。
そう思ってたのに……。
(まさかまた関わりが出来るなんて……な)
ナツは、自分の席でスマホを弄りながら奥の方で女子生徒に囲まれて笑顔を浮かべて談笑する真冬を見る。
何を話してるかは分からない。
ただ彼女を囲む女子生徒達が熱心に真冬に語りかけ、真冬は柔らかに唇を動かして答え、笑い、それを遠くから男子達が羨望といやらしさの混じった目で見る。
一年生の頃から変わらない図式。
しかし、彼らの視線とナツの視線は微妙に違う。
華やかでお淑やかな愛されし聖女様。
見窄らしくも自尊心の高い異端の聖女様。
相反した二人の真冬をナツは血色の瞳でじっと見つめていた。
「ナーッツ」
背後から明るい声が飛んでくる。
振り返ると三春がニャァとした笑ってナツを見下ろしている。
「なにジロジロ女子見てんだよこのスケベ」
「誰がだ?」
ナツは、ジロッと三春を睨む。
「いやいや見てたろ。あの女の園よ。いやらしく」
楽しそうに言いながらしゃがみ込んで両手をナツの机に置いて顎を乗せる。
「で?誰がいいんだ?」
「お前なあ」
ナツは、呆れたように言って……気付く。
三春の首筋にみみず腫れのような赤い痕があることに。
「それは?」
ナツは、血色の瞳をぎゅっと細める。
ハルは、首筋を見られていることに気づき、首に手を当てる。
「なんかなってるか?」
「腫れてる。引っ掻かれたような線も走ってる」
「ああっ」
三春は、大きく嘆息する。
「どおりで痛えと思った」
「野球の練習……じゃなさそうだな?」
「当たらずとも遠からずだな」
三春は、肩を竦める。
「チームメイトに戯れられた」
「戯れられた?」
ナツは、顔を歪め、血色のひとみを小さく震わせる。
「俺のせいか?」
「なんでだよ?」
三春がはあっ?と言うように顔を歪ませる。
「俺と一緒にいるのが気に入られなくてやられたのか?」
「んな訳ねえだろ?」
三春は、はあっとため息を吐く。
「自分にどんだけ価値があると思ってんだよ?もしそうなら今じゃなくて一年の頃に既に絡まれてるはずだろ?」
言われればそうだ。
高校からとはいえ三春との付き合いは長い。
もし、野球部の名誉や対外的視点からの絡みだったら一年の時からやられてないとおかしい。
「それにもしお前関係で手ェ出したなんて知られたらお前黙ってないだろ?」
「当たり前だ」
ナツは、剣呑な声で言う。
もし、自分のせいで誰かが傷ついたとしたらやり返すなんて愚行はしないまでも黙ってるつもりはない。
「だろ?」
三春は、肩を竦める。
「あいつらもそれが分かってるから手ェ出したりしねえよ。お前が思ってる以上にお前は恐れられてるみたいだからな。色んな意味で」
そう言って三春は苦笑する。
ナツは、それ以上何も言わず小さく唇を歪める。
「見せろ」
「んっ?」
「首……見せろ」
「ああっ」
三春は、首から手を離す。
ナツは、じっと赤く腫れた三春の首筋を見る。
「ひやっとするぞ」
ナツは、COLDとプリントされた右の手袋を外す。
その瞬間、周囲の空気の温度が下がる。
周囲が騒つき、ナツに視線が集中する。
しかし、ナツはそんな視線など微塵も気にせず手袋を外した右手を三春の首筋に向け、パチンッと指を弾いた。
刹那。
ナツの指先から白い粒が飛び、三春の首筋に触れる。
三春の首筋を白い膜が貼る。
三春は、目を瞠る。
周囲から響めきが起きる。
その中には真冬もいて大きな目を震わせてナツを見る。
「痛みが取れるまで貼っとけ」
ナツは、手袋を嵌める。
温度が元に戻る。
「おーっ天然冷感湿布……いやスプレーか?」
三春は、楽しそうに笑い、霜の湿布に触れる。
「あんま長い時間放置するなよ。低温火傷を起こすから」
「りょ!」
三春は、右手の人差し指と中指を立てて額に当てておっさん臭いポーズする。
「いやーナツうちのマネやらね?絶対重宝するぞ」
「そんなことしたらどこの大会からも敬遠されるぞ」
そう言って三春と反対方向に目を向ける。
同級生達が氷の粒を食らった訳でもないのに凍った表情で二人を、ナツを見る。
「化け物……」
「気持ち悪い」
「マジ氷結病患者じゃん」
奇異と差別の混じった小さな声が耳に入り込む。
三春は、唇を歪めてぎっと同級生達を睨むと一斉に目を逸らさせる。
それに腹を立てた三春は更に何かを言おうとする、が。
「やめろ」
ナツが冷静な声で言う。
「別に俺は気にしてない。そう見られるのが分かってやった」
「だけど……」
「前も言ったろ?一生涯ついて回るものを一々気にしてられないって」
ナツのあまりに冷静で平坦な声に三春は悔しそうに唇を紡ぐ……が。
「分かった」
三春は、小さく息を吐いて表情を緩める。
同級生達も三春の表情が緩んだことにホッとしたのか、何事もなかったように目を反らす。
真冬は、最後までじっとこちらを見ていたが……やがてみんなの会話に戻っていった。
「で……」
ナツは、血色の瞳で霜の湿布を見る。
「何があった?」
三春は、一瞬、何を聞かれているか分からない表情をするが直ぐに思い出す。
「大したことじゃねよ。ただの嫉妬だ」
「嫉妬?」
ナツは、眉を顰める。
「ああっ俺とあいつが付き合ってるのかって」
あいつ……。
三春があいつと呼ぶのは一人しか思い浮かばない。
ナツは、同級生とのおしゃべりを再開した真冬をちらりと見る。
三春も小さく頷く。
「どっかで俺とあいつが幼馴染って知ったみたいでな。問い詰められてコレだ」
三春は、苦笑して霜の湿布に触れる。
「まあ、直ぐに他の奴らが気付いてくれて止めてくれたからこの程度ですんだけどな」
「短絡だな」
ナツは、驚きと呆れの混じり合った声で言う。
「本当だぜ。幼馴染=両想いカップルってどんなラノベ話しだよ」
三春も同じように呆れて肩を竦める。
「あいつと俺が付き合う訳ないだろ。気持ち悪い」
「そこまでか?」
三春の本気で嫌そうな態度に流石のナツも驚く。
「前も言ったろ?今のあいつはただの人形だって。見てくれだけ良くて話せば都合の良い肯定が返ってくるだけのAI搭載のロボット人形。恋愛感情なんて……ある訳ない」
三春は、同級生に話しかけられてお淑やかな笑みを浮かべて答える真冬を見る。
側から見れば女の子達が楽しそうに話す癒しの場面。
しかし、三春にはまったく別の物として映っている。
「まったく……なんでああなっちまったかな?」
そう呟いた三春の声はどこから寂しそうだった。
ナツは、それ以上何も言うことも出来ず同じように彼女に視線を送った。
一瞬、彼女もこちらを見ていたような気がしたが……直ぐに気のせいだと思い、スマホに視線を落とした。




