氷壁(1)
建物外に出ると目の前の横ヨコスタジアムから再び歓声が上がる。
スタジアムの外にいる人たちも中の様子が気になるのか壁を見上げ、ゲートの前に立つ警備員達も意識が外から中に向かっている。
そんな中、ナツと真冬だけがスタジアムから意識を外し、周囲に鋭く目を回していた。
「どこを探しましょうか?」
「検討もつかねえな」
ナツは、雪色の髪を掻いてボヤく。
「加藤木さんが言うには外に出てる可能性は低いってことですけど……」
「猫に常識は通用しねえよ。学んだろ?」
「そうですね」
真冬は、神妙に頷く。
ナツは、血色の瞳を左右に、そして横からヨコスタジアムへと向ける。
「真冬は、建物の周辺探してくれるか?俺はスタジアムの方を見てくる」
「あんな騒がしいところ……行きますでしょうか?」
真冬は、眉根を寄せてスタジアムを見る。
「猫は、常識に囚われない。だろ」
ナツは、そう言うとスタジアムに渡る信号に向かう。
「見つかったら連絡くれ」
「はいっ」
真冬は、ナツが信号を渡るのを見送ってから建物の周辺の捜索を開始した。
建物の間、街路樹の茂み、ゴミ箱の中、木の上、少ない経験の中で猫が逃げそうな場所を探すも見つからない。
もっと遠く行っちゃっなのかな?
それともやっぱり建物の中?
様々な不安と考えが過るが答えなんて出ようもない。
猫は、常識に囚われないのだ。
もっと突飛な、人間には思い付かないようなところにいる可能性も十分にある。
人間の思いつかないところ……思いつかないところ……。
真冬は、周りの視線なんて気にせず、両手を組んでうんうんっ唸っている、と。
「聖女様?」
唐突に聞こえた女の子の声に真冬は振り返る。
そこにいたのは白色のブラウスを着たショートヘアの一重の少女……私服なので一瞬分からなかったが同級生の三沢だ。
「三沢さん……」
「どうしたの?」
三沢の後ろから見覚えのあるサイドテールの同級生の女の子が顔を出し、げっと顔を歪める。
よく見ると2人だけじゃなく連なるように私服姿の男女の同級生がおり、真冬を見て表情を固めている。
ついこの間まで決して見られなかった表情に真冬は心の中で苦笑する。
「ひょっとして……野球の試合見に来てたの?」
サイドテールが恐る恐る真冬に尋ねる。
「いえ、この近くで行われてる猫の譲渡会のお手伝いにきてます」
猫の譲渡会という言葉に同級生達が小さく騒つく。
「譲渡会って……」
「なに?夏休みまで聖女様アピール?」
「私たちがこんな肩身の狭い思いしてんのに?」
コソコソと悪態を吐く同級生達の声が耳に届く。
真冬は、特に気にすることなく無視していたが……。
「やめなよ。みんな」
三沢が一重の目で彼らを睨み注意すると同級生達は視線を逸らして黙る。
真冬は、驚いて彼女を見る。
「貴方たちは、野球の応援……って訳じゃなさそうですね?」
彼女達は全員私服。つまり四季折高校の生徒として応援に来た訳ではない。でも、ここにいるということは……。
「私たちは……スタジアムに入れないので……あんなことしちゃったから……」
あんなことと言うのがナツを糾弾し、退学に追い込んだあの事件であることは容易に想像が付いた。
あの事件の後、坊主頭は当然の如く退学になり、少年院こそ入らなかったが警察の監視下に置かれていると言う。そして彼に誑かされて事件に協力した同級生達も夏休みが始まるまで自宅謹慎、つまり停学になった。
その間、クラスには真冬と三春、そして事件に関わらなかった数名しかいなかったので必然的に学級閉鎖状態になりちょっと前の感染症騒ぎの時のように自宅学習となった。タブレットを持ってなかった真冬が大混乱の末にアキに泣きついてお古のタブレットをもらって何とかその場を凌いだのは別の話し。
「もう謹慎は解けたのでしょ?なら遠慮なく応援にいけばいいのでは?」
「いけないよぉ」
三沢は、暗い顔で首を横に振る。見ると他の同級生達も同じ顔をしているので何となく察しがついた。
彼女達の停学理由は学則違反とか学内での揉め事と言ったテンプレート的な内容ではない。下手をすれば1人の生徒の尊厳を傷つけ、命を奪いかけたような事件の片棒を担いだのだ。
相手が氷結病患者だからと笑って済ませられる類ではない。
きっと散々に叩かれ、白い目で見られ、恐らく家族からも蔑まれていたことだろう。
それでもスタジアムの前まで来たのは……。
「でも、応援はしたいなあ……と思って。その……同じ学校の仲間だから」
三沢は、顔を俯かせて真冬を上目遣いに見る。
その言葉に真冬はお腹の奥が熱くなるのを感じる。
「それって……ナツ君は仲間じゃないってことですか?」
真冬は、自分でも驚くほど冷ややかな声で言った。
「だから……謝りにも来なかったってことですか?」
突き刺すような真冬の言葉に三沢は目を反らす。
「……ごめんなさい」
三沢は、弱々しく謝る。
「でもさ、聖女様!」
三沢の後ろから男子が声を上げる。
「俺たちだって怖かったんだよ。あんな化け物が一緒のクラスにいたこと……」
化け物?
「そうよ……私たちいつも怯えてたの。いつか凍らされるんじゃないかって……」
凍らされる?
「そんな時にあいつが氷結病患者は実の姉を氷漬けにしたって言われて……記事まで見せられて……そんなの信じても仕方なくない?」
仕方……ない?
「そうだよ。だから俺たちの行動は間違ってない」
「聖女様さえ邪魔しなければ今頃……」
恨みがましい目が真冬に投げつけられる。
しかし、真冬はその視線を痛くも感じなければ怖くも感じなかった。むしろそれが薪となって怒りを燃え上がらせるのに十分な燃料となった。
こんな奴らのせいで……ナツ君は……ナツ君は……。
「ナツ君……退学するって」
しかし、心の怒りに反比例して真冬の声は冷ややかなほどに静かだった。
同級生達が騒めく。
「退……学?」
「えっマジで?」
「うそっやった。じゃあ俺たち許されるんじゃ……」
「静かにして!」
三沢が声を上げて同級生達を黙らせる。
「ナツ君は……みんなのこと一度だって悪く言ったことはありませんよ」
同級生達の目が震える。
「ねえ……ナツ君がみんなに何かしましたか?」
「え……っ」
「なにか……って?」
「凍らせるぞとかって脅しました?悪戯に凍らせたりしましたか?自分から誰か凍らせめしたか?してない。してないですよね!?」
同級生達は何も言えなくなる。
「みんな病気ばっかり見てナツ君のこと何にも知らないですよね?頭いいことも、絵がとても上手いことも、ぶっきらぼうだけどとっても優しいことも、自分が1番辛いのにそれでも相手を思う強い心を持ってることも……なにも……なにも……なにも……!」
真冬の目が同級生達を貫く。
同級生達は息を飲み、後退る。
「私も……学校辞めます」
真冬の言葉に三沢の一重の目が揺れ、同級生達も動揺する。
「貴方たちとなんかと1秒も一緒にいたくないです。見たくないです。空気を吸いたくないです」
真冬は、お腹に手を深々と頭を下げる。
「もう金輪際私とナツ君に関わらないで下さい。お願いします」
真冬は、頭を上げると同級生の間を通り抜ける。
「さようなら」
真冬は、振り返りもせず離れていく。
同級生達は、一様に顔を伏せ、三沢は「待って」と言うように手を伸ばすが真冬に触れることはなかった。
真冬は、同級生達のことを頭の隅に追いやり再び猫の捜索をしようとした。
絶叫が響き渡る。
それも1人じゃない。
何人もの悲鳴が道路の向こうから、横ヨコスタジアムの方から聞こえてくる。
真冬は、反射的に振り返り、絶句する。
横ヨコスタジアムが凍る。
スタジアムを囲む円型の壁を白い霜が染みのように広がり白い塵を撒き散らす。その上を氷の結晶が鎧のように包み込み氷壁と化していく。
その場違いな世界の変貌に飲み込まれながらもこんなことが出来る唯一の人間の姿が脳裏に浮かぶ。
「ナツ君!?」
真冬は、呆然と愛しい人の名前を呟いた。




