譲渡会とスタジアム(4)
譲渡会場は、横ヨコスタジアムの裏側の大きな道路の向かい側の小さな雑居ビルの2階の大きなテナントにあった。
"譲渡会準備中。猫達が飛び出すことがありますのでご用の方はインターフォンを"
曇りガラスの扉に貼られたA4の紙に印字された文字を読んで真冬はインターフォンを押す。
『はいっ?』
低い男性の声が返ってくる。
「猫カフェ"Ca-Syuu"です。お手伝いに参りました」
真冬は、インターフォンに丁寧に答える。
扉が開く。
鼻下に黒と白が混ざった髭を生やした五十絡みの丸眼鏡をかけた男が姿を現す。
左胸に小さなネームプレートが付いており"加藤木"と書かれている。
「いらっしゃい。待ってたよ」
加藤木は、人好きのする笑みを2人に向ける。
「僕は、この譲渡会を運営するNPO法人の代表で加藤木といいます」
譲渡会を開催する人物の1人だけあってとても優しそうな雰囲気に真冬の緊張が解れていく。
「君が進藤さんの言ってた新人さんかな?」
「はいっ。星上真冬と申します。どうぞよろしくお願いします」
真冬は、両手をお腹の前で組んで丁寧に頭を下げる。
その美しい佇まいに加藤木の眼鏡の奥の目が丸くなり、その後、嬉しそうに細まる。
「さすが進藤さん、バイトなのに教育が行き届いているね」
「はいっ。店長にはお世話になりっぱなしで頭が上がりません」
真冬は、和やかに答える。
加藤木は、微笑ましく真冬を見つめ、後ろにいるナツに目を向ける。
「ナツ君も久しぶり。また大きくなったね」
「はいっ。加藤木さんもお元気そうでなによりです」
ナツは。柔らかく口元を綻ばせて加藤木に頭を下げる。
普段、ぶっきらぼうなナツからは想像も出来ない柔らかな対応に真冬は目を丸くする。
それに気づいたナツはぶっきらぼうな表情に戻して真冬を見る。
「加藤木さんとは子どもの頃……姉ちゃんに引き取られてから面識があるんだ。うちのカフェもとてもお世話になっている」
真冬は、えっ……と大きな目を丸くしてナツを見る。
加藤木がナツを小さい頃から知ってることにも驚いたがそれ以上にナツが彼の前で"姉ちゃん"と言ったことに驚いた。
「姉ちゃんと呼ぶようになったんだね」
加藤木は、嬉しそうに目を細めてナツを見る。
「進藤さん、喜んでるだろ?」
「あ……あの……」
真冬は、大きな目を震わせて加藤木を見る。
「なにかな?」
加藤木は、優しい笑みを浮かべて聞き返す。
「あの……加藤木……さんはナツ君と店長さんの関係を知ってるんですか?」
「まあね」
加藤木は、小さく苦笑する。
「若くして起業した才女とは言え大学卒業したばかりの子が10歳の子どもを引き取るなんて変だな、と思ったんだ。特にその……氷結病患者をね」
加藤木は、躊躇がちに言ってナツを見る。
「デリケートなことだから足を踏み入れるべきではないと思ったが今後の付き合い方が変わってしまうかもしれないからね。そう言うと彼女は困った顔をしながら答えてくれたよ。あの時は……本当に申し訳ないことをした」
加藤木は、謝罪するように目を伏せる。
「いえ、当然のことですから。それに加藤木さんはこのことを誰かに言いふらしてる訳ではないので」
「当たり前だろ。それぐらいの常識は持ち合わせてる。それに……」
加藤木は、ナツの肩を叩く真似をする。
「ナツ君のおかげで君達のことをほんの少しだが学ぶことが出来た。それだけで感謝だよ」
"君達"と言うのが進藤姉弟だけでなく"氷結病患者"を指しているのだと真冬は察した。
胸が温かくなる。
ナツのことを理解してくれる人がいる。
こんなに……こんなに嬉しいことはない。
これが広まればきっとナツ君も……。
真冬の胸に希望が灯る。
しかし、その希望は直ぐに砕かれる。
「さあ、立ち話もここまでにしてこちらにどうぞ」
「はいっ」
真冬は、和かに答えて会場の中に入る、と。
突き刺さるような視線が真冬達を襲う。
加藤木と同じネームプレートを付けた譲渡会のスタッフ達、ほんの一瞬前まで会場内に設置された大きめなゲージの中にいる猫達の世話を微笑ましくしていたはずなのにナツを見た瞬間、表情を固まらせ、恐怖と侮蔑、そして憎々しい目で睨んでくる。
その負の感情の壁に真冬はゾクっと背筋を震わせ、後退りそうになる。
「すまないね」
加藤木は、真冬の様子に気付き、小声で囁きかける。
「みんなにも伝えてるんだけど……中々……ね」
加藤木は、申し訳なさそうに言う。
その瞬間、真冬は自分の考えがいかに甘いものか思い知らされる。
氷結病と言う氷壁がどれだけ大きく、分厚く、危ういものかと無理矢理に認識させられてしまう。
ナツが虐げられ、アキが闘ってきたものの凄まじさに怖気付きそうになる。
私は……出来るのだろうか?
立ち向かえるのだろうか?
こんな……形も伴わない恐怖に。
それでも……私は……。
真冬は、ギュッと右手を握りしめる。
「それじゃあミーティング始めようか」
加藤木は、柔らかい笑みを浮かべて言う。
「はいっ」
「はいっ」
ナツと真冬は同時に小さく頷き、加藤木に付いて行った。




