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譲渡会とスタジアム(2)

 休憩時間になり、花と一緒にバックヤードに戻るとナツがキッチンで淹れたてのアイスラテに泡立てたミルクをそっと乗せて猫の形を作り、針のような鉄棒の先をエスプレッソで濡らして柄を描いていた。

 大きな身体、分厚い手袋をした手からは想像も出来ない緻密で繊細な動き。そして何より血色の瞳に力を入れ、真剣な表情で作業に取り組む凛々しい姿に真冬は心を奪われる。


 ああっ好き。

 大好き。


 自分を見てくれる、気づいてくれると言ってくれたあの日から、いやきっともっと前から彼を好きになり、そこから一度も色褪せることはなく、その想いは膨らんでいくばかり。

 この気持ちが消えることは決してない。

 だからこそ辛い。

 だからこそ悲しい。


 私は……彼を……。


「真冬?」

 ナツは、血色の瞳をラテから外す。

 ラテの泡は花と同じキジトラの柄と優しい顔が描かれていた。

「ラテ取りに来たのか?」

「ううんっ休憩にきました」

「そうか」

 ナツは、夏限定3Dアイスラテをそっと銀のトレイに乗せて小さな受け渡し口のカウンターに置き、「ラテ出来ました」と言うとアキが無言でトレイを運んでいく。

 ナツは、小さく雪色の髪を掻く。

「また、喧嘩したんですか?店長と?」

 さっきの3人の時にも思ったが今日の店長は不機嫌だ。

 普段ならお客さんが騒いだ程度であんな風に怒りを露わにもしなければスタッフ(猫)に当たることなんてない。

 そうなると理由は一つしかない。

「まあ……そうさな」

 ナツは、うんざりしたように肩を竦める。

「退学を取り消せと言われた」

「無期限停学です」

 真冬は、むっと口をへの字に曲げてナツを睨む。

「ナツ君は退学にはなってません。無期限停学です!」


 俺……学校やめる。


 ナツの口からその言葉を聞かされた時、真冬は頭が真っ白になった。

 恐らく三春もだろう。

 雅や花、スタッフ(猫)達も言葉の意味こそ理解出来ないが2人(真冬と三春)の反応にただ事ではないと感じ大声で鳴いた。

 唯(ただ)1人、アキだけが「文部科学省爆破」と日本で最も危険な発言でカフェを震撼させたかと思うと制止も聞かずに猫カフェとスタッフ(猫)をナツと真冬に任せて高校へと飛んでいき、閉店と同時に戻って「ナツゥ!」と怒りの叫びを上げ、仕事終わりのご飯と水を楽しんでいたスタッフ(猫)達が一斉に咽せた。

 アキの話によるとこうだ。

 警察の取り調べ、WHOからの聞き取り調査を終えてようやく帰ろうとした時、校長を始めとした役員がやってきて事件に巻き込まれた労いと学校側の対応の不備で不快な想いをさせてしまったことを謝罪した。

 謝罪した上でこう言った。


 もう……学校には来ないでくれ。


 学校はナツがまったく悪くないと判断した上でこう結論を出した。

 全ての元凶は氷結病患者(コキュートス)だ、と。

 だから、学校には来ないで欲しい、と。

 そして提示されたのが退学ではなく無期限停学。

 学校には足を踏み入れない。

 その代わり単位数関係なく進級はさせる。

 卒業資格も渡す。

 特待生扱いも変わらないし在宅での勉強と成績次第では望む大学への推薦も書く。

 額面通りに受け取ればまさに破格の提案だろう。

 しかし……。

「貴方たち本気で言ってるんですか!?」

 ナツの後ろで聞いていたWHOの女性職員、美幸が声を荒げる。

「貴方がたが言ってるのは明確な排除と差別です!」

 ようは甘い餌を与えて邪魔者を追いやろうとしているだけだ。

 自分たちの権利利権、そして平穏を脅かす者を。

「それが教職につく人間のやることですか!?」

 美幸に怒りの声をぶつけられても役員達は表情を変えなかった。むしろ視線で"余計なこと言うな馬鹿女!"と憎々しく訴える。

「いいよっ美幸さん」

 ナツは、右手を伸ばして美幸を制止、血色の瞳を役員に向ける。

「やめます」

 ナツから放たれた言葉に美幸は驚愕し、役員達も絶句する。

「俺……学校やめます」

「ナツ君!」

 美幸は声を上げるがナツはやめない。

 言葉の意味を飲み込んだ役員達の顔に欲に汚れた歓喜が浮かぶ。

「その代わりまふ……星上(せいじょう)さんと宗方君のへの罰(ペナルティ)は無ししてください。2人は……俺を守ってくれただけなので」

 それを聞いた役員達は些か驚いた。

 学年一の才女と野球部のエース、2人がいたのはたまたまだと思っていたのでまさか友人関係とは思わなかったのだ。それに元より学校の大切な顔とも言える2人を処罰する気なんて毛頭なかったがそれを利用しないなんて邪な考えを持たない役員はその場にいなかった。

「分かった。あの2人は放免する。心配ないでくれたまえ」

「よろしくお願いします」

 ナツは、静かに頭を下げる。

「必要な書類は後日、メールで送るので記載して返信してくれ」

 それは現代なら珍しくもないやり取りだが氷結病患者(コキュートス)が書いた書類なんて触れたくないという感情がありありと出ていた。

 それを理解した上でナツは頭を下げる。

「分かりました」

 役員達の顔に安堵が浮かぶ。

 美幸の顔が怒りに歪む。

「いこう」

 ナツは、役員達に踵を返しその場を去った。


 話しを聞き終えた瞬間、真冬は怒りに震えた。

 学校にもだが何よりもナツに腹が立った。

 つまりナツは真冬と三春を守る為に学校を辞めようとしたのだ。そんな自己犠牲……真冬も三春も喜ぶ訳がないと知りながら。

 真冬は、生まれて初めて人の頬を叩きたいと言う衝動に駆られた。

 しかし、その後、アキが学校に乗り込み、どんな交渉してたか分からないが退学を無期限停学に戻させた。

 しかも夏休み明けに再度本人の確認して復学したいと申し出れば再び通えるようにまでした。

 アキとしては不服で本当なら停学自体を取り消したかったがナツが一度退学の意思を示したことを突っ込まれ、それ以上進まなかったと言う。

 アキは、ナツに復学の意思を学校に示すように言った。

 しかし、ナツは「俺はもう戻るつもりはない」とぶっきらぼうに否定した。

 それ以来、姉弟に戻ったはずの2人はことあるごとに喧嘩し、今日のようなことを繰り返している。


「冷蔵庫に姉ちゃんが作った炒り雑魚(じゃこ)のおにぎりが入ってるぞ。あと昨日の肉じゃが」

 ナツは、ラテの鉄棒で小さな冷蔵庫を指す。

「ナツ君は、休憩しないんですか?」

「ラテ2つ作ったらする」

 そう言ってグラスに氷を落としてコーヒーマシーンにラテを注ぐ。

 3Dラテ自体はアキも作れるがナツの技術には遠く及ばない為、基本はナツ中心に作っている。その為、基本は労働基準法に準じて1時間の休憩を目安にしているが注文次第で休憩が遅くなることもあれば合間に作ってその分残りを何処かで取ることになる。

 ちなみに真冬は不器用過ぎてどうやっても狸にしかならなかった。

 真冬は、冷蔵庫から炒り雑魚のおにぎりと肉じゃがを取り出すと小さな電子レンジでおにぎりを20秒、肉じゃがを1分温める。

 肉じゃがの出汁と炒り雑魚の塩の効いた香りが漂い、休憩していたスタッフ(猫)達が目を覚まして寄ってくる。ちょっと前の真冬なら愛想振りまいて".ちょーだい"してくるスタッフ(猫)達にオロオロしたが成長した現在はスタッフ(猫)達の圧を避けて口に運ぶ。


 美味しい。


 白米の甘味と雑魚の塩味と食感。そして刻まれた大根の葉の歯応えが顎を喜ばせ、舌を泣かせる。

 一晩、冷蔵庫に寝かせて味の染み込んだじゃがいもとお肉も格別だ。

 真冬は、幸せな気持ちになりながらご飯を食べる。

 そんな真冬をスタッフ(猫)達は羨ましそうにしながらも嬉しそうに丸い目を細めた。

 スマホが震える。

 真冬は、ポケットからスマホを取り出して画面を見る。

 三春からのメッセージだ。

 その内容を読んで真冬は表情を輝かす。

「嬉しそうだな」

 頭の上から聞こえた声に真冬は、ビクッと肩を震わす。

 ナツは、血色の瞳で真冬を見下ろし、テーブルに3Dアイスラテを置く。

「雑魚と肉じゃがには合わないだろうが」

「ううんっナツ君の淹れてくれたラテは何にでも合いますよ」

 真冬は、ニコッと微笑んで言う。

「機械だけどな」

 ナツは、真冬の隣に座る。

 それだけで心臓がドキンっと跳ねる。

「コーヒーの味なんてわかりゃしないのに給仕をしてる俺ってどうなんだ?って思う時があるよ」

 エプロンのポケットから不凍液のパックを取り出して蓋を開けて口に付ける。

「でも……不凍液を使えば食べられるんですよね?」

 以前、アキの言っていたことを思い出しながら言う。

「不味くなるから絶対嫌だ」

 ナツは、不凍液から口を離して真冬を睨む。

「お前だって食べたいと思ってた食い物に嫌いなドレッシングとか辛いヤツかけられたら嫌だろ?」

「でも、一瞬で身体の傷が治るかも?」

「こいつに少年の心をときめかせて、つまみの小袋に紛れたナッツを死ぬほど食わせた仙人の豆みたいな効果はねえよ」

 久しぶりの某漫画トークの突っ込み返しに真冬は思わずくすりっと笑ってしまう。

「ナツ君にもそんな頃が?」

「いや、あの漫画を知った時には病気が発症してたから経験はない。でも、三春辺りはしてそうだな?とは思う」

「正解です。節分にあるなるとお外に投げるより口に放り込んで"傷が治った!"とか叫んでエネルギー波を撃ってました」

 その頃の三春を思い出して真冬は楽しそうにエネルギー波を撃つ真似をする。

 お淑やかな真冬の突拍子もない行動にスタッフ(猫)達は目を丸くする。

「らしいな」

 ナツは、苦笑を浮かべて不凍液を啜り、スマホを指差す。

「さっきのは三春からか?」

 ナツの言葉に真冬は目を丸くする。

「なんで分かったんですか?」

「顔がとっても嬉しそうだったからな」

 ナツは、揶揄うように笑う。

「良かったな。好きな奴とメッセージ交換できて」

 

 好きな奴。


 その言葉に真冬は、ちくんっと胸が痛む。

 ナツは、未だ真冬の好きな相手が三春だと思ってる。

 真冬と三春が幼馴染の関係に戻ったことをとても喜んでいる。


 違うよ。そうじゃないよ。


 私が好きなのはナツ君だよ。


 そう叫びたい。

 でも、言えない。

 あの時は、過去の自分を振り切り、新たな恋を自覚した。そしてアキと言う絶対に勝てない恋敵がいたから半ば玉砕するつもりで告白しようとした。

 でも、アキが恋敵でなく最愛の人の姉だと知り、しかも真冬がナツと出会えたことを祝福してくれた。

 それでも真冬は自分の気持ちを伝えることができなかった。

 見られなくなるからではない。

 気づかれなくなるからではない。

 きっとどんな関係なってもナツは真冬を見てくれる。気付いてくれる。

 しかし、それ以前にナツは真冬を恋愛対象としては見ていない。と、言うよりも誰とも結ばれる気なんてない。

 

 ナツ君は……自分が幸せになることを考えていない。


 病気(氷結病)のせいで。


 むしろ自分のせいで誰かが不幸になることを恐れている。

 自分のせいで誰も幸せにならないなら躊躇うことなくこの世界から姿を消す。

 今回、退学を選び姉(アキ)に何を言われようと取り消さないのがその証拠だ。

 誰かが不幸になるくらいなら永遠の孤独を選ぶ。

 それが分かっているから真冬は自分の想いを伝えることが出来なかった。

「三春はなんだって?」

 ナツに声をかけられ、真冬は思考の海から戻る。

「あ……っえっと決勝戦進出だって。次勝てば甲子園だって」

「そうか……良かった」

 ナツは、口元を緩ませて言う。

 それが本当に本当に喜んでいる笑みだと真冬は分かる。

「もうすぐ……夢叶うな。あいつ」

 甲子園出場は三春の夢。

 それを知ってるからナツは三春がお咎めなく野球部を続けられたことを喜んでいた。

「試合はいつなんだ?」

「今度の日曜日です。場所は……凄い!横ヨコスタジアムだ」

 横ヨコスタジアムは地元プロ野球チームの本拠地として知られるファンの聖地であり、地元の観光名所でもある。

「本当に凄いな。見にいくのか?」

「ナツ君は?」

「俺が行ったら試合どころじゃなくなるだろ?テロ爆弾が仕掛けられたのと変わらない騒ぎになる」

 ナツは、自虐的に言って唇の端を釣り上げる。

 真冬は、ぎゅっと右手を握る。

「じゃあ、私も行きません。1人で行くのも気まずいし、ここのバイトもあるので」

「喜ぶと思うけどな」

 ナツは、チューッと不凍液を啜る。

「それじゃあデートは決勝が終わってからか?」

「デ……デートなんてしませんっ!」

 真冬は、顔を真っ赤にして叫ぶ。

 スタッフ(猫)達の視線が真冬に集まる。

「なんで私が三春とデートなんてするんですか!?」

「お祝いとか言って誘えばいいだろ?負けたら……は考えたくないけど。せっかく仲良し幼馴染に戻ったんだ。チャンスを逃すのはもったいないぞ」

 ナツの口調から本気で言っていることが分かり、真冬は泣きそうになった。告白しないと決めたのは自分だが最愛の人から違う相手と結ばれることを願われるのはどんな拷問よりもきつかった。

「俺のことなんて気にせずにな」

 ナツが切なげに血色の瞳を萎める。

「署名……集めてるんだって?」

 ナツの言葉に真冬は目を瞠る。

「俺の退学を取り消すように」

「だから退学じゃなくて無期限停学です!って……なんでそれを……?」

「三春から聞いた」

 ナツは、自分のスマホを取り出して真冬に見えるように翳して口の端を釣り上げる。

「同級生や他の生徒、三春のチームメイトにまで声かけて電子署名を集めてるって……」


 バカ……っ!


 真冬は、かつての想い人であり現親友のデリカシーの無さに初めて悪態を吐く

「で……何票集まったんだ?」

「……2票です」

 真冬は、恥ずかしさと怒りの滲まじった声で言う。

 ちなみにその2票は真冬と三春だ。

 それが容易に想像出来たナツはぷはっと吹き出した。

 真冬は、更に顔を赤くしてむっとナツを睨む。

「……ありがとうな」

 唐突なお礼の言葉に真冬は驚く。

「2人の気持ち……とても嬉しい」

 そう言ってナツは口元を綻ばせる。

「でも、これ以上やらなくていい。お前達の立場が悪くなるぞ」

 ナツの言葉に真冬は電子署名を送った時の同級生達の反応を思い出す。

 ほとんどは無記名の無反応。

 しかし、時折り混じるコメントの中には……,


 私を巻き込むな。


 氷結病患者(コキュートス)がいなくなるなんて喜ばしいんじゃ?

 

 クズが自分からいなくなるって言ってんだろ?ラッキーじゃん。

 

 えっ聖女様、あんなの庇うの?いくらなんで偽善が過ぎない?


 そんなに自分を良く見せたいの?引くんだけどぉ。


 聖女様!やっぱりあの悪魔に脅されてるんですね!僕たちが救い出します!


 などのナツを誹謗する言葉とそれを擁護する真冬への非難の言葉が飛び交っていた。言わないが恐らく三春の方も似たようなものだろう。

「無駄なことはやめろ。お前達も学校通えなくなるぞ」

「……構いません」

 真冬の言葉にナツは血色の瞳を見開く。

「三春はどうか知りませんが、ナツ君が学校に戻らないなら私も戻りません。一緒に退学します」

「馬鹿野郎!」

 ナツは、声を荒げテーブルを叩く。

 真冬は、ビクッと肩を震わせ、スタッフ(猫)達は飛び跳ねる。

「意味わかんねえこと言うな!」

「分からなくないと思いますよ。ナツ君が退学する=私も退学する。簡単な図式です」

「なんでそうなる!?」

「ナツ君がいない学校に価値を感じられないからです」

 ナツのいない学校。

 ナツのいない教室。

 ナツがいなくなって喜ぶ同級生(クラスメイト)達。

 そんなの……絶対に嫌だ。許せない。

「ナツ君が復学しないなら私は退学(やめ)る。それだけです」

「特待生だぞ。学年一位だぞ。このままいけば国立の推薦だって夢じゃない」

「それはナツ君だって一緒でしょ?」

「俺は、元々進学するつもりはない。カフェを手伝ってくつもりだ」

「それ自体は否定しません。店長は、ナツ君と働く為に猫カフェを作ったんですから。でも、それをナツ君の将来を犠牲にする言い訳にはしないで下さい」

 ナツは、頭が良い。

 要領もいい。

 絵の才能だってある。

 ナツにはこれから先たくさんの道がある。

 それを病気(氷結病)のせいで、周りの偏見で、自分達(真冬と三春)を守る為に潰して言い訳がない。

「それはお前も一緒だろ?」

 ナツは、血色の瞳を絞め真冬を睨む。

「ようやく前を向くことが出来たんだ。進むことが出来るんだ。俺なんかの為にそれを塞ぐな」

「……訂正してください」

「えっ?」

「"俺なんか"って言葉、訂正して下さい」

 真冬は、大きな目に怒りを湛えててナツを睨む。

「私の大切な人のこと……これ以上悪く言わないで下さい」

 気弱にオドオドしてた真冬からは考えられない強い瞳にナツは気圧される。

「……馬鹿」

 ナツは、拗ねた子どものように呟く。

「はいっ私、馬鹿ですので」

 真冬は、にっこりと微笑む。

 ナツは、ちっと舌打ちし不凍液を啜る。

 真冬もそれ以上何も言わず炒り雑魚のおにぎりを食べた。

 そんな様子をスタッフ(猫)達はじっと見つめた。


 休憩時間を終え、真冬は未だ拗ねた状態のナツを尻目に店内(フロア)に戻ろうとする、と。

「真冬ちゃん」

 アキがバックヤードに入ってくる。

 アキに気が付いたらスタッフ(猫)達が嬉しそうに駆け寄っていく。

「はいっ店長」

 真冬は、礼儀正しくお腹の上に手を置いて背筋を伸ばす。

「真冬ちゃんにお願いがあるの」

「なんでしょうか?」

 新しい業務かな?と思い身構える。

 聖女様とあだ名されるほどの品のある所作に持ち前の明晰な頭脳で大概のことはこなせる真冬だが手先や身体を動かすことには自信がないのでそれ系だったらどうしようと不安になる。

「今度の日曜日なんだけど……譲渡会に行ってきてくれないかしら?」

「譲渡会ですか?」

 真冬は、アキの言葉を反芻し、ナツは不凍液を啜ったまま視線だけを2人に向ける。

 猫カフェ"Ca-Syuu(かしゅう)"は保護猫団体と連携している関係で定期的に団体の運営する譲渡会の手伝いに行っている。

 基本はお店をナツと真冬に任せてアキが行っているのだが……。

「本当は私が行きたいんだけど……その……外が暑くてね」

 アキは、珍しく言いづらそうに語気を弱め、お腹を摩る。

 アキは、身体を弱い。

 過去に氷漬けにされた後遺症で内臓の幾つかが損傷している。日常生活は問題ないし、持ち前のバイタリティで普段はそんな様子を微塵も見せないが近年、日本を襲う酷暑は彼女にとっては拷問に等しく店の外を掃き掃除するだけで目眩を起こして倒れそうになるのを何度か見ていた。

「今回は、少し場所が遠くてね。お願い出来ないかな?」

「それは全然構わないのですが、私でいいのでしょうか?」

 譲渡会がどう言うものかの知識くらいはあるが実態はまるで知らない。

 いきなり行って出来るものなのだろうか?

「参加者とのコミュニケーションや引き渡し作業はあちらのスタッフ達が行うわ。真冬ちゃんはいつも通り猫達の世話をしてくれればいいの」

「それなら……なんとか……」

 スタッフ(猫)達のお世話をするようにでいいのなら何とかなるかもしれない。それでも知らない人達ばかりいる所に行くのは少し緊張する。

「大丈夫よ。お供もいるから」

 アキは、アーモンド型の目をナツに向ける。

「ナツっあんたも真冬ちゃんと一緒に行きなさい」

「本気か?」

 ナツは、血色の瞳を萎めてアキを睨む。

「俺なんかが言ったら譲渡会が恐怖のアミューズメントパークになるぞ」

「メインは真冬ちゃん。あんたはただのフォロー。目立つのが嫌なら隠れてなさい」

「んな無茶な」

 姉からの無理難題にナツは雪色の頭を掻く。

「それに散々私の言うことに逆らってるんだから一つくらい言うこと聞きなさい」

 その言葉にナツはぐうの音も出なくなる。

 それを見てアキは、満足そうに唇を綻ばせて視線を真冬に向ける。

「それじゃあ後で必要な情報を送るから見ておいて」

「はいっ」

「真冬ちゃんにとってもいい経験になるわ。それに」

 アキは、そっと唇を真冬の耳元に持っていき、吐息と共に小さく囁く。

「貴方ならナツの心を動かせるかもしれない」

 真冬の目が大きく震える。

「ついでに自分の心も縫い付けて来ちゃいなさい」

「へっ?」

「貴方が義妹になるなら大歓迎よ。頑張ってね真冬ちゃん」

 真冬の頬が真っ赤に熟し、ぼんっと頭が弾ける。

 アキは、満足そうに真冬から離れる。

「それじゃあよろしくね」

 そう言ってアキは去っていき、その後ろをスタッフ(猫)達が追いかけていく。

 ナツは、怪訝な顔でアキと呆然と立ち尽くす真冬を見る。

 真冬は……そのまま昇天した。

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