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これはどこにでもある姉弟の話し(5)

 それからアキはWHOに連絡し、ナツの姉であることを伝え、彼を引き取る意思があることを伝えた。

 WHOは驚いた。

 氷結病患者(コキュートス)を手放したいと言う声はあれど引き取りたいなんて言う声は皆無だったから。

 アキは、これまでの経緯を事細かに説明した。

 その上で氷結病患者(コキュートス)のことを理解し、彼を養える環境を整え、将来的なビジョンについても伝えた。

 彼らは更に驚いた。

 氷結病が発見され、難病指定されて数十年、治療法を確立するよりも困難とされた氷結病患者(コキュートス)の未来への筋道を少女の面影をが残る20を超えたばかりの彼女が形作ったのだから。

 拒否する要因なんて何一つとして見つからなかった。

 それなのに……。

「ダメです」

 WHOの職員は首を横に振った。

 アキは、アーモンド型の目を大きく見開く。

「WHY!?」

 動揺したアキは思わず使い慣れた英語で返してしまう。

「ナツ君が拒否してます。貴方に会うことを」

 アーモンド型の目が大きく震える。

 そして思い出す。

 記憶を取り戻した時に言われた両親とナツの最後の言葉を。


 僕のこと……思い出しても忘れてね。


「ナツ……」

 アキは、涙と共にナツの名を呟く。

「ナツ君は、恐れてます。貴方に会うことを。貴方を……もう一度凍らせてしまうことを」

「そんなこと……!」

 アキは、声を荒げて椅子から立ち上がる。

 その勢いにパイプ椅子が音を立てて床に倒れる。

「そんなこと二度と起きません!その為にずっと氷結病患者(コキュートス)について勉強してきました!貴方も納得してくれましたよね!?」

「はいっ見事としか言いようがありません。WHO(うち)の氷結病患者(コキュートス)専門の顧問になって欲しいくらいです」

「だったら……!」

「これは知識の話しでも体制の話しでもありません。ナツ君の心の話しです」

 WHOの職員は荒ぶるアキを冷静に見つめる。

「ナツ君はPTSDを患ってます」

「PTSD!?」

「心因的外傷ストレス傷害。貴方ほど聡明な方なら分かるでしょ?そしてその原因も」

「私を……氷漬けにしたから?」

 震えるアキの言葉にWHOの職員は静かに頷く。

「大好きなお姉さんを氷漬けにしたくない。だから会いたくない。忘れて欲しい。それが……ナツ君の想いです」

「ナツ……!」

 アキは、その場に崩れ落ち、床に頭を埋めて泣く。

 WHOの職員は、同情するようにアキを見下ろし、少しでも慰めようと彼女の肩に手を置こうとして……。

 ガシッ!

 アキの細い手に手首を掴まれる。

 驚くWHOの職員。

 アキは、涙に汚れた顔でWHOの職員を睨みつけ、縋るように肩を掴む。

「……会わせて」

「えっ?」

「ナツに会わせて!」

「だから、それは!」

「会わせろ!」

 アキは、思い切り身を起こす。

 WHOの職員は、体勢を崩しそのまま床に倒れ伏し、アキに馬乗りされる。

「ナツに会わせろ!」

 アキは、吠える。

 外に控えていた他の職員達が雪崩れ込み、アキを引き剥がそうと手を伸ばすがWHOの職員が「やめろ!」と止める。

 WHOの職員は、怒りと絶望に汚れたアキを見上げる。

「ナツ君は会いたくないと言ってます」

「会わせろ!」

「それはナツ君の意思に背くことです。代弁者として許可出来ません」

「会わせろ!」

「ナツ君を想うなら引き下がるべきです。それが……お互いの幸せのためで……」

「嫌だ!」

 アキは、叫ぶ。

「嫌だ!嫌だ!嫌だ!」

 それは20歳を過ぎた女性とは思えない駄々っ子のような叫びだった。

「ナツと私の幸せをあんたが決めんな!私の幸せは……ナツに会うことだ!ナツと一緒に暮らすことだ!ナツをを……」

 熱い涙がWHOの職員の顔に落ちる。

「ナツを……ナツを幸せにすることです」

 アキは、クシャクシャに顔を歪めてWHOの職員の胸に頭突きするように埋める。

「お願いします……ナツに……ナツに会わせて下さい……」

 アキは、大声で泣きじゃくった。

 WHOの職員はじっとアキの金色の旋毛と、震える細い身体を見る。

「……分かりました」

 WHOの職員は、そっとアキの背中に手を置く。

「ナツ君に……会わせます」

 WHOの職員の言葉に他の職員達が騒めき、規律違反だと叫ぶが「責任は私が取ります」と言うとみんな押し黙った。

「貴方の想い勝ちです」

 WHOの職員は笑う。

 アキは、顔を上げてアーモンド型の目を震わせる。

「ナツ君に会いに行きましょう」

 アキは、涙に濡れた顔で大きく頷いた。


 WHOの職員に案内された部屋の扉を開けると雪色の髪に血色の瞳をした少年が立っていた。

 少年と呼ぶには些か大人びた整った顔立ちと雰囲気。子どもの身長はよく分からないが10歳という年齢にしては高い方だろう。その代わり肉付きはあまり良くなく肌も青白い。

 だが、ナツだ。

 そこにいるのは間違いなく愛しい弟(ナツ)だった。

「ナ……ツ」

 ナツに会う為に洗面所で綺麗にした顔に再び涙が一筋落ちる。

 今すぐ駆けつけたい。

 抱きしめたい。

 湧き上がる衝動に駆られるをぐっと堪え、涙を拭って笑みを浮かべる。

「久しぶりだね。ナツ」

「……そうですね。アキさん」

 10歳とは思えない大人びた口調と冷徹な声色。

"アキさん"と言う言葉にアキは打ちのめされそうになる。

 ナツが本当に自分を遠ざけようとする、拒否しようとしている事が分かり、崩れ落ちそうになるのを必死に答える。

「俺……会わないって伝えてもらったはずですけど……なんで来たんですか?」

「私がお願いしたの。貴方に……どうしても会いたいから」

 アキは、動揺する心を押さえ込み必死に笑う。

 ナツは、唇を歪めて舌打ちする。

「あの人……本当余計なことばかり」

 あの人と言うのがあのWHOの職員だと言うことは容易に想像がついた。どうやら今日以外にもナツに干渉して世話を焼いてくれているようだ。

 ナツの周りにも優しい人たちがいたことにアキは胸を撫で下ろす。

「じゃあ、もう目的は叶いましたよね?どうぞお帰りください」

 ナツは、冷徹な言葉をアキに叩きつける。

 アキは、怯みそうになる心を縛りつけ、笑みを深める。

「いいえ。叶ってないわよ。私の夢は貴方と一緒にまた暮らすことだもの」

 アキは、手を伸ばし、足を踏み出す。

「凍るよ」

「近づいたくらいで凍らないわ。私を遠くから大騒ぎする馬鹿者と一緒にしないで。それに……」

 アキは、大股で近づきナツの肩にパンっと手を置く。

 血色の瞳が大きく震え、青白い顔が更に青ざめる。

「な……なにを……」

「貴方が着てるのは不凍繊維。氷結病でも凍らない猫の毛で作られたもの。特にこれだけ分厚ければ凍(こご)えはしても簡単に凍(こお)りはしないわ。それに……」

 アキは、両手を伸ばしてナツをぎゅうっと抱きしめる。

 ナツの表情が戦慄が走り、手袋に包まれた手でアキを突き飛ばす。

 アキの手がナツの背中から離れる。

「強くなったねナツ。もう立派な男の子だ」

 アキは、嬉しそうに微笑む。

「なんのつもりですか!?」

 ナツは、怒りに顔を歪ませて怒鳴る。

「何って証明したのよ。貴方を抱きしめても大丈夫だって」

 アキは、両手を広げて自分の身体を見せる。

 アキの体にはどこにも凍った場所は見られない。

 ナツは、血色の瞳を大きく震わす。

「私ね。猫カフェをやってるの。今日もスタッフ(猫)達の世話をしてから来たからあの子達の毛が大量にくっついてるのよ」

 そういって服から黒い毛を一本取ってふうっと息をかけて飛ばす。

「凄いでしょ?氷結病なんて恐るるに足らないわ」

 そう言ってにかって笑う。

 嘘だった。

 確かに毛に覆われていた部分は凍ってない。

 しかし、その内側には薄い霜が走り、身体を動かす度にパキパキと音を立てて割れてる。猫の毛と抱きついたのが数瞬でなかったら再び氷漬けになっていた。そして何よりアキの奥底に眠った氷漬けになると言う恐怖が再び湧き起こり身体と心が震えそうになる。

 でも、見せない。

 ナツには……絶対に見せない。

 アキは、頬の内側を齧ってトラウマを押さえ込み、ナツに笑顔を向ける。

「私は大丈夫。だから……一緒に帰ろうナツ」

 アキは、ゆっくりとナツに右手を差し出す。

 ナツは、唇を噛み締め、差し出された右手を見る。

「なんで……」

 ナツは、声を絞り出す。

 泣く寸前の子どものように。

「なんで……そんなに俺と暮らしたいんですか?」

「貴方が大切な弟だからよ。決まってるじゃない」

「でも……俺は氷結病患者(コキュートス)ですよ。世界で1番嫌われて恐れられてる氷結病患者(コキュートス)ですよ?」

「私は世界で1番貴方が好き。世界中が嫌おうが関係ないわ。それにさっきも言ったでしょ?氷結病なんて怖くないって」

 アキは、震える膝に力を入れてナツに笑顔を向ける。

「俺は……貴方を氷漬けにしました。許させない罪を犯しました。貴方を……死なせるところでした」

「生きてるから別にいいでしょ?それに結構気に入ってるのよ。この髪色」

 アキは、パサァと金髪を掻き上げる。

「弱った身体も刻まれた痕も貴方が私を助けてくれた証と思えばこんなに誇らしいことはないわ」

「だけど……」

「ナツ……私のお店ね。猫カフェ"Ca-Syuu(かしゅう)"って言うの」

「"Ca-Syuu(かしゅう)"?」

「どういう意味か分かる?」

 アキの質問にナツは首を横に振る。

「ごめんなさい。英語はまだ習ってなくて……」

「これは英語じゃない。日本語よ」

「えっ?」

 ナツは、血色の瞳を丸くする。

 アキは、ポケットからスマホを取り出すとメモアプリを立ち上げ、文字を打つとナツに見えるように画面を近づける。

 スマホの画面には小さくこう書かれていた。


"夏秋(かしゅう)"と。


「夏は夏結(ナツ)の夏。秋は秋希(アキ)の秋。それで夏秋(かしゅう)。いい名前でしょ?」

 アキは、悪戯っぽく笑う。

 ナツは、食い入るようにスマホの画面に書かれた文字を見る。

「な……んで?なんでそんな……名前に?」

 ナツは、声を震わせて聞く。

「決まってるでしょ?」

 アキは、優しくアーモンド型の目を細める。

「ナツがいつでも帰って来れるように。ナツと一緒に暮らせるように。いつかナツと一緒にこの店で働けるように。そう願いを込めて付けたの」

 血色の瞳が大きく震える。

 涙が一筋、二筋と床に落ちて凍る。

「ナツ……」

 アキは、優しく微笑む。

「一緒に帰ろう」

 その瞬間、ナツは膝をついて大声で泣いた。

 アキは、ゆっくりとしゃがんでナツの背中に両手を回してそっと抱きしめた。

 猫の毛がついた服の下で霜が走る音がしたが構わない。

 アキは、優しく優しくナツの背中を撫でた。

「……条件があります」

「なあに?」

「一緒に暮らしても……俺を弟扱いしないで下さい」

「なんで?」

「どんなにねえ……アキさんが受け入れてくれても周りは違います。氷結病患者(コキュートス)の家族ってだけで差別と偏見を受けます」

「難しい言葉を知ってるのねナツは。でも大丈夫。私はそんなの気にしないから」

「俺が気にします。これ以上……姉ちゃんが傷つくのを見たくない」

 

 姉ちゃん……。


 数年ぶりに呼んでくれたその言葉に凍える胸が熱くなる。

「これは……これは弟としての一生のお願いです。どうか……もう弟扱いしないで下さい。お願いです……アキさん!」

 ナツは、涙に濡れた血色の瞳でアキを見上げる。

 その真剣で、切ない願いを秘めた瞳にアキは唇を噛み締める。

"もう一度、姉ちゃんと呼んで"

 その切なる想いを必死に飲み込む。

「分かったわ……」

 アキは、ぐっと喉を鳴らして頷く。

「私は貴方の里親で貴方は私の養子。それでいい?」

「……はいっ」

「弟扱いはしない。でも精一杯の愛情を貴方に注ぐ。それでもいい?」

「それって……宣言するものなんですか?」

「そうしないと貴方嫌がりそうでしょ?」

「ショタと勘違いされますよ?」

「だから、なんでそんな言葉知ってるのよ?でも、それでと構わないわ。弟だろうとなんだろうと貴方が大好きなことには変わりないんだから」

 アキは、震える唇で微笑み、悴む両手でナツを抱きしめる。

「お帰り……ナツ」

「ただいま……姉ちゃん」

 それがナツが最後に口にした"姉ちゃん"という言葉だった。

 それ以降、ナツがアキを"姉ちゃん"と呼ぶことはなく、姉としてアキに接することはなかった。

 アキもまたナツを弟して扱うことはなく、しかし、精一杯の愛情を注いだ。

 ナツ10歳。

 アキ22歳。

 歪な姉弟の物語りが再び動き出した瞬間だった。

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