これはどこにでもある姉弟の話し(4)
アーモンド型の目から涙が一筋零れ落ちる。
「ごめんなさい」
アキは、細い人差し指で涙を拭う。
「あの時の事を思い出すと気がついたら涙が流れるの。もう何年も前の事なのに……いい大人が情けないわね」
そう言って恥ずかしそうに苦笑する。
「そ……そんな事……」
そう言いながらも真冬も声を絞り出すだけで精一杯だった。
アキが語った話しがあまりにも衝撃的過ぎて感情が付いていけない。
泣けばいいのか?
怒ればいいのか?
それとも両方なのか?
ただそんなあやふやな感情の中でも理解したことがある。
「ナツ君は……知ってたんですね?店長が……記憶を無くしてたこと……」
僕のこと……思い出しても忘れてね。
そんな台詞、アキが記憶を無くしている事を知らないと吐けない。
それに"忘れてね"ということは……。
「ナツ君は……店長に罪の意識を持っていた。自分がしでかしてしまった事を理解してた」
真冬の言葉にアキは小さく頷く。
「頭が良いって残酷よね」
アキは、苦しげにアーモンド型の目を萎める。
「ナツがどうやって私が記憶を失ったのかを知ったのか今でも分からない。勘なのか?それともWHOの誰かに聞いたのか?ナツももう覚えてないらしいわ」
「そんな……」
「両親もナツの言葉を聞いた瞬間、罪の意識に苛まれたらしいわ。ナツに自分から自分を捨てるよう言わせてしまった……って」
「ざけんな」
その声が三春だと真冬は直ぐに気付けなかった。
それだけ三春の声は怒りに冷えていた。
「だったら捨てなきゃいいだろ!?拾い直せばいいだろ!?罪の意識や後悔なんて誰でも持てるんだよ。それを行動に起こした段階でもう罪人なんだよ!」
「三春……」
真冬は、目を震わせて三春を見る。
本当なら嗜めないといけない、実の娘の前で彼女の両親の事を悪く言ってはいけないと注意しないといけない。
でも、言えなかった。
真冬もまた、両親に捨てられる痛みと孤独を知っていたから。
いや、それよりも酷い。
真冬には最初から親の愛なんてなかった。
でも、ナツは違う。
ナツは、たくさんの愛情を注がれて育った。
それなのにあまりに理不尽な理由で全てを失った。
自分から全てを捨てさせられたのだ。
そんなの……。
「ひどい」
真冬の目から涙が一筋流れ落ちる。
憤り、悲しむ2人を見てアキはアーモンド型の目を細める。
「ありがとう。2人とも」
アキの言葉に真冬と三春は顔を上げる。
「ナツのことをこんなにも大切に思ってくれて。とても嬉しいわ……」
「そんなこと……」
「当たり前です」
三春は、強い眼差しでアキを見る。
「大事な親友を苦しめる奴を誰であろうと俺は許しません」
真冬は、目を大きく見開いて三春を見る。
本当に三春は変わらない。
まっすぐで……強くて……人想い。
そんな三春だから真冬は憧れ、惹かれていたのだと思い出す。
「その通りね」
アキは、苦笑を浮かべて肯定する。
「だから……私も両親を捨てたわ」
アキの言葉に三春と真冬は目を瞠る。
「両親の気持ちは理解出来ない訳じゃない。一変に変わってしまった世界に戸惑い、救いを求める気持ちも分かる。それでも……私を言い訳にナツを捨てたことを私を許さない。ナツのことを思い出させなかったことを許せない。だから私も捨てたの。あの2人のように」
アキは、ぎゅうっと右手を握りしめる。
「それから……どうなされたんですか?」
真冬は、眉根を寄せてアキを見る。
親と訣別すると言うことはこれまでの庇護を全て失うということだ。それがどれだけ大変なことかは真冬が1番良く知っていた。
しかし、その質問にアキはケロッと答える。
「起業したのよ」
「へっ?」
「最初の方で話したでしょ?起業したのよ。氷結病患者を雇う会社を作ろうと言った友人と……ね」
真冬は、目を大きく見開く。
両親と訣別した後、アキは直ぐ様友人に連絡を取った。
生活費は家庭教師か塾の講師でもして稼げばいい。
大学は成績はいつも上位をキープしてるので奨学金を申請出来るだろう。
住むところはシェアハウスしてる仲間の誰かにお願いすれば何とかなるはず。
それよりも今後のことだ。
日本にいるナツに会うにはどうすればいいのか?
会った後、自分の元に引き取ることが出来るのか?
引き取った後、どうすればいいのか?
それらを解決するためには氷結病患者に1番詳しいであろう友人に助言を仰ぐのが最適だと判断した。
アキが連絡しても友人は驚かなかった。
自分が準備した資料を見た時のアキの尋常ではない狼狽ぶりに何かあると察していた。
友人は、アキを自宅に招き、高級な緑茶を振る舞った。
和食しか受け付けないアキにとっては最高のもてなしだった。
アキは、友人に事情を話した。
友人は黙って聞いた。
そして全てを聴き終えてから自分の知る限りの知識を答えた。
「弟君を引き取ることは可能だよ」
友人の言葉にアキは希望に熱くなる。
しかし、次の瞬間、絶望に冷たくなる。
「経済的に弟君を養えると証明すればいい。養子縁組と一緒だ」
「そんな……」
友人の自宅に来るまでの間、自分の生活を送る為の計画は考えたがナツを引き取るまでの費用までは頭に入れてなかった。
「人1人、しかも氷結病患者を引き取るんだ。そこは最低ラインだよ」
「でも、ナツは弟……」
「その弟を捨てた家族の言葉にどこまでの説得力がある?」
友人は、冷たい目でアキを睨む。
アキは、胸に走る痛みに吐きそうになる。
「起業しなさい」
友人の言葉にアキは、アーモンド型の目を丸くする。
「なにを驚く?」
友人は、くすりっと笑う。
「我々は元々そう言う集いだったろ?まあ、君達に完全否定されてしまったけどね」
友人は、皮肉っぽく笑う。
アキは、申し訳なさそうに肩を竦める。
「でも……起業するって直ぐに出来る訳では」
あの時の集いだって今日、明日で成し遂げようと言うものではない。少なくても在学中に形を成し、何年間かのスパンを設けて発展させていくことを念頭に置いていた。
「それに資金だって……」
「クラウドファンディングという方法もある。行政の支援で起業をする方法もある。君の母国にもあったはずだ。それに……」
友人は、優しく微笑む。
「君は我々の中でも一際秀でた才覚を有してる。東洋人らしい勤勉さも柔軟な発想もな。少なくても人1人養うくらいなら十分に成し得るはずだ」
「そんなこと……」
勉強は出来る方だと自負してるがそれが商才に繋がる訳ではない。
それに友人の言葉を読み解くならナツを引き取るのに必要なのは氷結病患者を養える力のある保護者ということ。
そんなの……。
「氷結病患者のことを学びなさい」
友人の言葉にアーモンド型の目を瞠る。
この友人は読心術でも心得ているのか!?
「氷結病患者を学び、起業の為に動きなさい。それが弟君を引き取る唯一の近道だよ」
「そんな無茶な……」
「1人でやるんじゃない。ちゃんと手を貸すよ。と、いうか一緒にやらせて欲しい」
友人は、微笑む。
「とりあえずしばらくはここに住みな。部屋も空いてるしママは料理上手でね。日本食もお手のものだ」
友人は、優しくアキの肩を叩く。
「よろしく。共同経営者」
それからアキは必死に氷結病患者について学んだ。
病気の発症についてはウイルス感染、後天的遺伝子による異常、特異体質等々、様々な仮説が上がっているが原因は未だ不明。
身体は非常に健康で発症した者は生涯、氷結病以外の病気になることはない。
周囲を凍て付かせる要因は身体の中で行われる代謝によるもの。"冷凍汗"と呼ばれる汗と異なる無味無臭、目に触れることの叶わない分泌液のようなものが彼らの身体中から溢れ、触れたものを全て凍らせてしまう。発症当時はこの冷凍汗が大量に溢れ出てしまう為に周囲に甚大な被害を与えてしまう。氷結病が感染症のように扱われるのはこの現象が主な理由だ。逆に言えば落ち着いてしまえば触れる以外で相手を凍て付かせることはない。
通常の食物や飲料を口にすることは叶わず、餓死、脱水で死んでしまう氷結病患者が後を絶たず、この病気の発見が遅かったのそれが原因ではないかという説まである。
根本的な治療方針はなく、不凍繊維や不凍液を使った対処療法しかない。
そして……。
「猫は凍らない?」
アキは、氷結病の医学書の端に申し訳なさそうに小さく書かれた記事に注目した。
100年近くにおよぶ研究の中、猫だけは凍らないことを発見したと書かれている。不凍繊維と不凍液も猫の毛や体液を分析して精製したとも。
しかし、それ以上の成果はない為、医学書でも隅の方に書かれているようだ。
しかし、医学的には微細な発見でもアキにとっては巨大な川で大粒の砂金を見つけたようなものだった。
「猫カフェだ……」
猫をメインとしたコミュニティカフェ。
ここだったら氷結病患者も働けるはず。
アキは、早速、事業計画をまとめ友人に見せた。
しかし、計画書を見せた友人の反応はあまりに意外なもなだった。
「猫カフェってなんだい?」
その言葉に何年も住んでるというのに猫カフェという文化がこの国になかったことを知る。
そして衛生上の観点から氷結病患者が働く会社を作る以上に困難なのではないかと指摘される。
アキは、肩を落とす。
友人は、苦笑を浮かべてアキの肩を叩く。
「いや、とてもいいアイデアだと思う。さすがアキだ。自分じゃこんなの絶対に思いつかないよ」
「でも、起業出来ないんじゃ意味は……」
「それはこの国じゃ出来ないって意味だよ」
友人は、唇の端を釣り上げる。
「日本でやってみないかい?」
アキは、アーモンド型の目を丸くする。
友人は、自分のスマホを取り出して猫カフェを検索する。
「この国と違って日本じゃ猫カフェが文化として根付いている。日本だったらアキの理念と合致する」
日本……。
日本に向かうのはナツを迎えにいく時と思っていたのでこんな形で日本の名が出てくるとは思わなかった。
「さあ、さっそく形にしよう。出資者と募らないとね」
それからはとんとん拍子だった。
日本で猫カフェを開くに当たって必要なのは文字通りの猫の確保と店舗。当初は居抜きのテナントとペットショップと提携しようと考えたがそれだと当たり前過ぎて他の猫カフェと変わらない。
その為にアキが考えたのは古い日本家屋の活用と保護猫団体との提携だ。
超高齢化社会に突入した日本には空き家がコンビニよりも点在しており、行政も処理や活用に困っている。そこにアキ達が手上げし、リフォーム代と地域活性に役立てるとして格安で借りた。
猫は、譲渡会でも引き取られることのなかった猫達を引き取ることにした。人間の理不尽によって捨てられ、人間の理不尽によって選ばれなかった猫達。
そんな姿がほんの少しナツに重なって見えた。
クラウドファンディングに使って資金を集め、大学を卒業すると同時に本格的な開店準備の為に友人と5年ぶりに帰国した。
友人には資金の管理と運営の基礎作りを、アキはお店となる日本家屋の改装とスタッフ達の準備をした。
保護猫団体から引き取ったスタッフ達は全員アキを警戒した。
それでもアキは、猫達に人に慣れてもらおうと、危険な存在ではないと、自分が仲間であると知ってもらおうと半年間、彼らと寝食を共にした。
その結果、ずっと警戒していた猫達は徐々に懐いていき、与えられた食事を食べ、安心した寝顔で休み、気がつけばアキに身体を擦り寄せ、心を許した。
そして月日は瞬く間に流れ、猫カフェ"Ca-Syuu"一号店がオープンした。
店は、大盛況だった。
映画や古い国民的アニメでしか見たことない古き良き日本の情景に包まれた店内、丁寧な接客、そして愛想が良く可愛らしいスタッフ達。
その結果、一月目の売り上げは想定の3倍だった。
アキと友人は思わず拳を叩き合わせ、スタッフ達にいつも以上に豪華なご飯を提供した。
しかし、それがビギナーズラックであることをアキも友人も承知していた。
日本人は珍しいものに飛びつく生態だ。それはつまり飽きやすいことを意味している。
予想通り次の月には売り上げは2人の上げた予想値へと落ち着いていた。
だが、これでいい。
下手に爆発的ヒットの飽きられる一発屋になるよりも当たり前にあるコンビニのような存在にまで定着させることこそが生き残る為に必要な経営戦略なのだ。
そして実際にそうなった。
開店から半年で猫カフェ"Ca-Syuu"は見事に地域の一部として溶け込み、常連から新規と絶え間なく足を運んでくれる場所となった。
保護猫団体も猫カフェ"Ca-Syuu"を認め、猫の理想郷と謳ってくれるようになった。
クラウドファンディングで得た資金も半分以上返すことが出来た。
そして一年も立たない間に2号店の話しが出るようになった頃、友人が言った。
「もういいんじゃないか?」
それはもうナツを引き取るだけの条件が揃ったことを意味していた。
アキが記憶を失い、取り戻してから実に5年目の出来事だった。




