これはどこにでもある姉弟の話し(1)
それはアキが17歳、ナツが5歳の時に起きた。
きっかけは……やはり氷結病だった。
ナツがアキの元にやってきたのは彼女が12歳の時だった。
ナツは、生まれるはずのない子どもだった。
元々、不妊症であった2人の母親はアキを自然に身籠っただけでも奇跡とされ、アキを産んでからはもう子どもは出来ないと言われていたのでまさに二度目の奇跡だった。
アキも弟と妹は望めないと聞いていたのでナツの誕生を喜び、可愛すぎる弟を溺愛した。
ナツが生まれて1年後に母が仕事に復帰するとナツの面倒はアキが見た。両親はアキも受験を控えていたので保育園に預けるつもりだったのだが"自分が見る!"とアキが言い張るので仕方なく昼だけ保育園に預け、その後は任せることにした。もし勉強に差し障ったり、ギブアップしたら夜まで保育園に預ける事を条件に。
子育ては想像以上に大変だったがアキは弱音を吐く事なく、それどころか日を追う毎に可愛くなっていくナツを育てるのがとても楽しかった。
それなのに四季折高校よりもランクの上の進学校に入学出来たことに我が子ながら両親も舌を巻いた。
ちなみにその学校は真冬も狙っていたところだったが偏差値の高さから特待生が取れない可能性があったので断念した。でも、今はそれで良かったと思っている。
四季折高校でなかったら……ナツに会えなかったから。
そうしてアキは学業とナツの子育てを両立しながらの生活を楽しみ、ナツも成長していくに従ってお姉ちゃん子に育ち、アキも分を刻む毎に弟への愛を増していき、実の両親からもブラコン、シスコンと揶揄された。
しかし、そんな愛しい時は唐突に終わりを迎える。
その日、アキは5歳になったナツと家の近くの公園で遊んでいた。もうすぐ期末試験ということもありアキは単語帳とスマホに収めたテスト範囲の画像と睨めっこしながらナツとの遊びに興じていた。
やはり県内トップの進学校ということもあり試験のレベルも高く成績上位ではあるものの疎かにするれば赤点をとってしまう可能性があった。
そんなことになればナツと一緒にいられなくなる。
だから、ナツと遊んでいる時も隙あれば勉強し、頭が少し重たく、目がぽやっとしていた。
公園には県でも有名な大きな池があり、古い桟橋に停まったスワンボートやヨットが休日になると池面を走っていた。
ナツは、池が大好きで、しかしアキの言う事を聞いて足が触れるところまでは近寄らず嬉しそうに眺めながら家から持ってきたゴムボールでアキと投げっこをして遊んだ。
男の子とは言え5歳児の力は弱く、アキの元に届く時には失速して芝生の上に落ちそうになる前にアキが受け止めて「ナツ上手になったねえ」と笑みを浮かべて言うとナツも嬉しそうに笑った。
日常の……仲の良い姉弟の一場面。
しかし、その場面は狂い始める。
ナツがゴムボールを投げ、アキのところに届くと言う瞬間、突風が吹き、ゴムボールの軌道が変わる。
頭がぽおっとしていたアキは咄嗟に反応することが出来ず指先だけがボールに触れ、失速したボールは斜め向こうに飛んで芝生の上に落ち、そのまま池に落ちた。
アキは、慌ててボールを取りに行くも再び吹いた突風に煽られ、ゴムボールは奥へ奥へと流されていく。
ゴムボールが流されていくのを見て大泣きするナツ。
アキは、自分のミスでナツを泣かせてしまったことに胸が痛んだ。しかし、ボールは古い桟橋の端に引っかかって止まる。
「姉ちゃん取ってくるからここで待ってて!」
アキは、優しい笑みを浮かべてナツの頭を撫でる。
ナツは、ベソをかきながらも大好きな姉を信じて大きく頷く。
アキは、それを見てホッとする。そしてゴムボールを取りに行こうと桟橋に向かった。
この時、アキの頭が勉強のし過ぎで判断が鈍ってなかったら、ナツがボールを諦めて違う遊びに移れば運命は違っていたかもしれない。
アキは、桟橋を走った。
古い桟橋はアキが足を踏み締める度にキイキイ音を立てた。ぼおっとしたアキの視界には映らなかったが木の表面に所々亀裂が走り、足を踏み締める度に深くなっていった。
アキは、桟橋の端に着く。
ボールが桟橋の柱にぶつかりながら漂っているのが見える。
アキは、桟橋の端に膝を突き、ヘリをギュッと握りしめてボールを取ろうともう片方の手を伸ばす。
その瞬間、桟橋が崩れた。
雷鳴のような音を立てて桟橋が真ん中から割れて傾き、表面が屑山のように砕けて池に落ちていく。
アキは、何が起きたか理解できぬまま桟橋が割れた衝撃で宙に浮かび上がり、そのまま砕けた残骸と共に池に落ちていった。
何が起きたか理解出来ず、泳ぐことも出来ないアキは両腕をバタつかせ、水を大量に飲み、パニックに陥った。
……ちゃん!…………ちゃん!
遠くからナツの叫ぶ声が聞こえる。
しかし、アキはそれに答えることが出来ない。
水が口の中に入り吐き出さない。
意識が薄れていく。
身体が重く、沈んでいく。
「……ナツ……」
アキは、消え入りそうな声で世界で1番大切な弟の名を呼んだ。
意識が消えゆく中、世界が白くなっていくのが見える。
冷たい……冷たい……。
身体が動かなくなる。
全身が焼けるように痛い。
世界が宝石の中に閉じ込められたように煌めく。
揺らめく視界に血色の瞳が映る。
ナツの泣き叫ぶ声が聞こえる。
そのままアキは意識の底へと沈んでいった。
「目を覚ました時、私は病院のICUにいた」
アキが意識を取り戻した毎に大騒ぎする看護師。
バイタルを確認し、聞こえているかと確認する医師。
そして看護師に呼ばれてICUに飛び込み、歓喜の声を上げる見知らぬ40代くらいの男女……。
アキは、重く靄の張った頭で泣きすぎる男女を見て……呟く。
「だあれ?」
その時の絶望に満ちた男女の顔がアキの脳裏に張り付く。
「ここは……病院?」
アキは、キョロキョロ周りを見回す。
「私は……誰?」
真冬と三春は言葉を失う。
雅と花は、ちゃぶ台の上で身体を重ねるように寝転がりながらも目だけは3人に向ける。
「私は、記憶喪失になった。どう?ありきたりでつまらない話でしょ?」
そう言ってアキはアーモンド型の目を細めて笑うが真冬も三春も笑うことなんてとても出来なかった。
「氷の中から救出された私は記憶を失っていた。恐らく長い間、無酸素状態にいたのが原因らしいわ。脳に障害が出なかったのが奇跡だそうよ」
「全部……忘れたんですか?」
真冬が恐る恐る訊く。
アキは、首を横に振る。
「これが不思議でね。忘れたのは人に関することだけだったの」
「人に関すること?」
「そう。物であったり場所であったり、学校で学んだことはしっかりと覚えていた。だから病院も医師や看護師も理解出来た。でも……人に関する記憶は一つも残っていなかった。両親のことも、友達のことも、その人たちと関わったエピソードも何一つ。だから……」
アキは、小さく唇を噛み締める。
「ナツがそこにいないことにも気づくことが出来なかった」
嗚咽するようなアキの言葉に真冬は目を大きく震えた。




