愛しき人をただ想ふ
キジトラの花のまん丸の目に力のない真冬の顔が映る。
「みんなご飯ですよ」
真冬は、準備したドライフードの入った魚の絵の器と綺麗なお水を注いだプラスチックのお椀を並べる。
スタッフ達は、ステップを踏むように畳の上を走り自分たちの器に顔を突っ込んでドライフードをカッカッカと齧り、水を舐めるように舌で掬った。
真冬は、スタッフ達の可愛らしい食事姿に弱々しく唇を綻ばせた、
花と黒猫の雅はそんな真冬の様子を大きなランチバックに並ぶようにちゃぶ台の上にお尻を乗せてじっと見ていた。
猫カフェ"Ca-Syuu"の中は夏の迷家に紛れ込んでしまったかのように静まり返っていた。
開店まではまだ何時間もあるのでお客さんがいないのは当然だが本来いるべき人達がいない建物というのがこんなにも寂しさを感じるものなのだと真冬は初めて知った。
「みんながいるのに変だね」
真冬は、夢中でご飯を食べてるスタッフの頭を優しく撫でて苦笑する。
しかし、この寂しさが普段スタッフ達が埋める寂しさではないことは何となく分かっていた。
お客さん達がスタッフに求めているのは癒しと非日常。
日々の生活に疲れた心を癒し、束の間でも辛い日常を忘れて心を満たし、明日への活力にするためのもの。
しかし、真冬が求めているものは圧倒的なまでの現実的な欲。
愛しい人に会いたい。
それだけなのだ。
スタッフでは埋めることのできない重すぎる欲なのだ。
「ナツ君……」
真冬は、ここにはいない雪色の髪に血色の瞳をした少年の名を重い息と共に呟いた。
ナツは、今アキと共に警察にいる。
アキが爆弾発言をした直後に教師達が雪崩のように教室に入り込み、現状を見て愕然とした。
羽交締めにされた坊主頭、彼を取り押さえるサードマン、教師の登場に動揺しながらも素知らぬ顔の同級生、見たこともない金髪の美女、2匹の猫、そして聖女様を守るように中心に立つ氷結病患者。
首謀者は坊主頭。
あの状況を見れば誰の目にも明らかなのに教師達はあろうことかナツを睨んで「お前が何かしたのか!」と断罪するように攻め立てた。
その言葉に真冬は怒り「ナツ君は何もしてません!ナツ君は被害者です!」と叫び、「どう見たって悪いのはこいつだろ!」と三春も声を荒げた。
しかし、教師達は聞く耳など持たず三春を坊主頭から引き剥がし、ナツに攻め入るように詰め寄った。
真冬は、教師への怒りと失望にどうにかなりそうだった。
「警察庁」
アキの呟きに教師達が振り返る。
アキは、110と表示されたスマホの画面を教師達に見せる。
「冤罪が生まれそうなので第三者に入ってもらいましょう」
スピーカーオンになったスマホから警察のアナウンスが流れる。
教師と坊主頭の顔が青ざめる。
「弟を侮辱したこと……後悔させてあげるわ」
そう言ってアキは氷のように微笑んだ。
そしてナツとアキ、坊主頭、そして三春は駆けつけた警察に事情聴取を受けた後、警察に連れていかれた。
同級生達は職員室へ。
取り残された真冬はアキから雅と花を託され、「お店をお願い」と頼まれた。ナツにも「すぐ戻るから」と笑みを浮かべて言われ、追いかけたい気持ちをぐっと抑えて猫カフェ"Ca-Syuu"へと向かった。
出入り口の開く音がする。
真冬は、顔を上げ、雅と花もまん丸の目を向ける。
流れるような金髪のショートヘアが目に映る。
「ただいま」
アキがアーモンド型の目を細めて微笑む。
「店長!」
真冬の表情が電灯が灯るように明るくなる。
ご飯を食べていたスタッフ達が丸い目を輝かせてアキの元へ駆けて行く。
アキは、しゃがみ込んで嬉しそうに鳴くスタッフ達の頭と喉を撫でていく。
「お留守番ありがとうね。真冬ちゃん」
「いえ……そんな……」
「この子達にご飯も上げてくれたんだ……」
アキの目がちゃぶ台の上の雅と花、そして閉じられたままのランチバックを見る。
「貴方は、食べなかったの?」
「お二人が……戻ってからと思って」
真冬は、視線を下に向けて言う。
「気にしなくていいのに」
アキは、切なげに口元を綻ばせる。
「あの……ナツ君は……?」
真冬が呟やくと再び出入り口が開く。
ナツ君!?
真冬は、期待と喜びの混じり合った表情で出入り口を見て……大きな目を丸くする。
「ようっ」
明るい茶髪に陽気な笑顔が視界に飛び込む。
「今日は良く会うな」
「三春……」
真冬は、呆然と呟く。
三春は、「お邪魔しまーす」と言って店の中に入り、キョロキョロ中を見回す。
「おーっすげえ古民家。猫カフェに見えねえ」
「3号店のコンセプトは"懐かしき日常の一幕"だからね。現代では味わえないノスタルジックな風景に非日常を味わってもらってスタッフと戯れてもらうの」
アキがアーモンド型の目を柔らかく細めて説明する。
「あーっあの縁側でお茶を飲みながら猫を膝に乗せて撫でるみたいな?」
「さすがに安全対策で縁側には出れないけどそれに近いブースは作ってるよ。ちゃぶ台スペースもそうだし、和室スペース、擬似的な庭スペースもある」
「へえっ凝ってる。もっと早く来たかったなぁ」
「是非いらして。いつでも歓迎するよ」
そう言って和やかに2人が話している、と。
「あの……」
真冬が意を決して声を上げる。
「なんで三春がここに?それと……ナツ君は?」
真冬の焦りに駆られた質問にアキと三春は互いの顔を見合わせる。
「三春君は私が声を掛けたんのよ」
アキの言葉に真冬は驚く。
「刑事さんからの事情聴取が終わったんだけど未成年1人じゃ帰らせられないって言われてさ。うちの親、共働きだから夜まで来れないって言うのに……」
三春は、その時の事を思い出して拗ねらように唇に皺を寄せる。
「そしたらナツの取り調べが終わるのを待ってた店長さんと鉢合わせしてさ。事情を話したらそれなら私が一緒に帰ろうって言って警察と両親に話してくれたんだ」
「こう見えて私の身元はきっちりしてるからね。それに今回の事件に関与してる訳でもないので事務的な話しだけですんなり了承を得た」
アキは、小さく笑って言い、三春は「本当にありがとうございます」と頭を下げる。
「で、家に帰っても誰もいないならうち来たらってなったの。真冬ちゃんもいるしね」
「え……でも……それじゃあナツ君は?」
「警察よ」
真冬は、息を飲む。
恐怖と悲しみに身体がガタガタと震える。
そんな真冬にアキは優しい笑みを浮かべて近寄り、腰を下ろすと震える肩にそっと手を置く。
「大丈夫よ。ナツの冤罪は証明されたから」
アキの言葉に真冬の目が大きく見開く。
「じゃなきゃ、俺がここにいるわけないだろ?」
三春は、呆れたように肩を竦める。
「本当、ナツしか見えてねえなあ」
三春の呆れた言葉に真冬の頬が熱くなり、アキは苦笑する。
「同級生の子達が認めたのよ。坊主頭のあの子に唆されたって」
アキの言葉に真冬は耳を疑う。
「流石に警察が現れてまずいって思ったんだろうな」
三春は、むすっと不機嫌に顔を歪めて2人の近くに腰を下ろして胡座をかく。
「あの馬鹿の下手くそな説明を間に受けて協力したって全員が自白したってよ」
「恐らく氷結病患者を追い出す好機だと思ったのね」
アキは、切なげに視線を落とす。
スタッフ達が慰めるようにアキの側に寄って小さく鳴き、身体を擦り付ける。
「あの馬鹿さ……野球部クビになったんだよ。あの日にさ」
あの日と言うのが坊主頭が真冬に告白し、断られ、逆上して襲い掛かろうとしてナツに救われた日だと予想するのは容易い。
「あいつ……お前のこと諦めてなかったみたいだ」
「え!?」
「……実はね……」
アキは、躊躇いながらも口を開く。
語られたのは……あまりに悍ましい事実だった。
あの日以降、坊主頭は真冬をストーキングしていた。
そこで真冬がナツと同じマンションに住んでいる事を知り、ナツと同じバイト先である事を知った。そしてあろうことか変装して客として紛れ込んでいたと言う。
それを聞かされた時、真冬は青ざめた表情で息を飲んだ。
そんな時にジャッジメントタックローが現れ、真冬に絡み、それをナツが助けようとしたところを画像に収めた。
「つまり友達でもなんでもなかったの。勝手に写真を使われたのよ」
実はその事でジャッジメントタックローは再び警察から目をつけられ、坊主頭とはどう言う関係なのかと詰められたのだが、勝手に写真を撮られて、勝手に友達にされただけなので慌てて否定するも信じてもらえず、再び聴取に呼び出されるのだがそんなことは3人の知るところではなかった。
「それからも貴方の事をずっとつけ回してたらしいわ。学校でも、プライベートでもね。そこまでしてるのに何もしなかったのは一重にナツを恐れてたから。また……氷漬けにされたらって……」
だから、真冬のマンションを突き止めても中にまでは入れなかった。
ナツが……怖かったから。
「でも、昨日の一件であいつのタガが外れた」
三春は、唇を歪めて吐き捨てる。
クラスの孤島で仲睦まじく見つめ合い、会話をする幸せな顔の聖女様と素っ気なくも嬉しそうな忌みなる氷結病患者。
その予想もしない組み合わせに同級生達は驚き、嫉妬し、そしてそれをクラスの外から見ていた坊主頭は怒りに震えた。
そして猫カフェでの2人の会話。
真冬に想いを向けられながらも別の女に想いを馳せるナツ。
そんなナツに嫉妬し、落ち込み、嘆く真冬。
そしてそんな2人を手玉に取るように弄ぶアキ……。
坊主頭は決めた。
こいつら……破滅させてやる。
そして聖女様を取り戻す。
「てな感じみたいだぜ」
そこまで話して三春は喉の渇きを覚え、スクールバッグから温くなったスポドリを取り出して口に付ける。
「気がつかなくてごめんなさいね」
アキは、ゆっくり立ち上がりバックヤードに向かう。その後ろを数匹のスタッフ達が付いていく。
真冬は、青ざめた顔で三春を見る。
「そんなの……」
「ああっただの被害妄想……いや被害を受けたのはこっちだからただの思い込みだ」
三春は、スポドリを飲み干す。
「でも、あいつの復讐心と嫉妬心を煽るには十分だったんだろうな。そしてナツを追い出すだけじゃなくて社会的にも破滅させてやろうと思った。そんで……お前を自分のものにしようとした」
真冬は、恐怖に身震いする。
花がちゃぶ台から降りて真冬に寄り添い、大丈夫だよと言うように彼女の手を舐める。
三春も真冬を安心させるように柔らかい笑みを浮かべる。
「今回であいつの闇も明るみになったからな。今度こそ退学だろうし、下手したら年少行きだ。2度とお前に近づくことはない」
「でも……」
「心配するな。なんかあったら……その……俺が守ってやるなら。お前も……ナツも」
「三春……」
真冬は、目を大きく見開く。
「サードマンを舐めんなよ。守って良し。攻めて良し。最強のチームの要なんだからな!」
そう言って大きく胸を張ってふんっと鼻息を漏らす。
それを見て真冬の中の恐怖が薄まる。温かい気持ちが温泉のように湧いてポカポカする。
「三春は……三春のままですね」
真冬は、柔らかく目を細めて笑う。
「なんか成長してないって言われてるみたいだな」
三春は、不服そうに唇を尖らす。
「そんなことありません。三春は……本当に素敵な男の子です」
「惚れ直したか?」
三春は、悪戯っぽく笑う。
「いや、それは……ごめんなさい」
真冬は、ぺこりっと謝る。
それを真似するように花も頭を下げる。
「人生……同じに日に同じ奴に二度振られるってあるんだな」
「いや、違いますからね!三春は本当に素敵な男の子です!でも、ナツ君はそう言うのじゃなくてあの……その……!」
「いいよ別に。ナツがめっちゃカッコいいことは俺が一番良く知ってるから。むしろ遅れてきたミーハーにナツのこと語られたくないね」
そう言って大袈裟に肩を竦める。
その言葉に真冬はぷうっと頬を膨らます。
「私の方がナツ君がカッコいいこと知ってます」
「いーやっ。俺だね。何せ四季折高校で一番付き合い長くてあいつから親友として認められてる唯一無二の存在だからな……」
「わ……私だってナツ君のバイト仲間で、仲の良い女の子で……その……あの……1番良く見てもらってます」
「弱えなあ。せめて友達以上恋人未満くらい言えよ」
「そ……そそそそれはあまりにハードルが高いと言うか蛇さんの道と言うか……」
「蛇さんの道?」
なんじゃそりゃ?と言わんばかりに顔を顰める。
それを見て何故か真冬は勝ち誇ったように胸を張る。
「ふっふぅん。この例えが分からないようじゃナツ君の親友なんてとても言えませんね」
その言葉が悔しかったらしく三春のこめかみがピクピクする。
「はっ蛇だか蜥蜴だか知らねえけど俺がナツの事を一番知ってるのは変わらねえからな」
「いーえっ。私です!」
「俺だ!」
「私です!」
「俺だ!!」
「私です!!」
卓球のような言葉のラリーをする2人を雅と花は猫じゃらしを追うように交互に首を振って見る。
呆れてるように。
「あらっ仲良しね2人とも」
頭の上から静かな声が飛んでくる。
麦茶の入ったカップを乗せたトレーを持ったアキがアーモンド型の目を細めて2人を見下ろす。
「私、幼馴染っていないから羨ましいわ」
アキは、ゆっくりと膝を付いて麦茶を2人に手渡す。
「ナツ……迎えに行かなくていいんですか?」
もらった麦茶の表面を見つめながら三春は言う。
「終わったら連絡を貰えるように警察には伝えてるわ」
「あの……ナツ君の冤罪は晴れたんですよね?」
真冬は、不安げに瞳を震わせてアキを見る。
「なんでまだ警察に?」
「警察の方は問題なし。無罪放免。だから私も三春君と帰って来れたの」
「じゃあ、なんで……」
「今、ナツが話してるのは警察じゃなくてWHOよ」
「WHO!?」
真冬は、驚きのあまり目を見開く。
「氷結病は難病指定で二類感染症扱い。トラブルが起きた際はWHOに報告が行くの」
「で……でも今まで……」
「一度や二度くらい、それにナツが起因でない事件ならあちらさんも書類による注意だけ。ペナルティだって発生しない。氷結病患者の人権は国際的にも守られているから。でも、短い期間に3回起きてるからね。流石にWHOも動かない訳にはいかないと判断し「たようね」
「でも、今回だってナツ君が起因じゃ……」
「そう言う訳にいかないのが難病なのよ。特に氷結病は……ね」
アキは、切なげにアーモンド型の目を萎める。
真冬は、納得いかないと言わんばかりに麦茶のカップを握りしめる。
「じゃあ、尚更、店長がいてやった方がいいんじゃないっすか?その……」
三春が言いにくそうに口をごにょっとさせる。
「お姉さん……なんですよね?」
"お姉さん"と言う言葉に真冬は反応する。
「……それはダメなの」
アキは、ぎゅっと目を萎める。
「なんで……」
「あの子が……嫌がるから」
アキは、水滴の付いたトレーをぎゅっと握りしめる。
「嫌がる?」
三春は、アキの言葉を反芻する。
「あの子は……私が姉だと言う事を知られたくないの」
知られたくない?
「それって……どう言う意味ですか?」
真冬は、怪訝な顔をして訊くとアキは悲しげに口元を綻ばせる。
「こう言うことよ」
そう答えた瞬間、アキは背中を2人に向けておもむろに上着を脱いだ。
「!」
真冬は、顔を真っ赤にして瞬時に三春の元に跳んで彼の目を覆い隠す。
三春も視野を隠され動揺する。
しかし、露出したアキの背中を見た瞬間、真冬は息を飲む。
顔から首筋、指先から肩の付け根までは陶器のように滑らかで輝く肌なのに首の付け根から背部、腰部、見えないが臀部にかけて翁の顔のようにしわくちゃに爛れた赤黒い痕が広がっていた。見えないが痕の様子から胸部や腹部にも広がっているだろう。
美しいアキの顔の下に隠された悍ましい秘密に真冬は、何と言葉にしたら良いか分からず呆然とするしかなかった。
「凍痕よ」
アキは、滑らかな指先で醜く爛れた背中を摩る。
「長時間、氷の中に閉じ込められた影響でね。身体中の皮膚が爛れて内臓にも損傷を負った」
俺は、姉を氷漬けにした。
ナツの言葉が真冬の脳裏を過ぎる。
「内臓は時間をかけて日常生活に支障がないまでに回復した。それでも走ると肺が焼けるように痛いし、油の強い洋食を食べると胃や腸が耐えられずに壊れそうになる」
油濃いものが苦手で和食中心なの。
アキと初めて会い、料理を振る舞ってくれた時の言葉。
あれは和食が好きなのではなく……。
「皮膚は再生医療で自分の皮膚を培養して顔や腕、足なんかの露出する部分が多いところを中心に治したの。他の部分は……とても費用が賄えなかった」
真冬は、ぎゅっと唇を噛み締める。
「髪もね。真っ黒だったんだけどね。色素が抜けちゃってこの色になったの」
「地毛……なんですか?」
真冬は、瞳を震わせアキの金色の髪を見る。
「そうよ」
アキは、自分の髪を一房摘む。
「どうせならナツみたいに綺麗な雪色になればよかったのにね」
そう言って苦笑する。
「お二人に……一体何があったんですか?」
真冬は、躊躇いながら、しかし意を決して言葉を吐く。
アキのアーモンド型の目が真冬を映す。
「聞きたい?」
その声はどこか揶揄っているよるようでもありながら切ない悲しみも含んでいた。
真冬は、その声色に一瞬躊躇しながらも頷いた。
「聞きたい……です」
真冬は、大きな目をアキに向ける。
「大好きな……お二人の話しだから……聞きたいです」
そう言って真冬は、きゅっと両手を握りしめる。
アキは、じっと真冬を見て……小さく笑う。
「大した話しじゃないわよ。どこにでもある普通の生き別れた姉弟話しよ」
そしてアキは語り出す。
運命に奔走された姉弟の話しを。




