猫カフェCa-Syuu
天井と梁の剥き出した古民家の中に心を撫で回すような鳴き声が木霊する。
「きゃーっ!」
「雅様ぁ!」
「ご尊顔を拝し光栄でございますぅ!」
大学生と思われる女子三人組がアニメなら間違えなく"萌ええええぇっ!"という効果音の出そうなだらけた顔をしながらも周囲に配慮して叫びたいのを必死に堪える。
当の推しはファンたちのそんな葛藤を知る由もなく背中をぐーっと伸ばし、耳の裏を掻き、畳の上をコロコロ寝転がって黒く柔らかい体毛と青と緑のオッドアイを無邪気に向ける。
それだけでファン達の心は見事に撃ち抜かれる。
「はあはあっ雅様ぁぁ」
「もうダメ……愛しくて目が潰れる」
「どうか猫吸いをすることをお許しください」
くるしゅうないにゃ。
とでも言うように黒猫の雅はフワフワのお腹を見せると3人は餌を与えられたハイエナのように無様に群がってお腹の匂いを嗅ぎまくる。
「ああっ雅様ぁ」
「最高ですぅ。キマりますぅ」
「ああっ翼の生えた雅様が私の頭の中を駆け巡るぅ」
完全にヤバい連中にしか見えない。
しかし、そんな3人が奇異な目で見られないのは他のお客さん達も似たようなものだからだ。
ちゃぶ台の上にどんっと座る三毛猫の頭を撫で撫でする女の子。
二人で手を取り合ってキジトラにペースト状おやつを上げるカップル。
白猫を膝に乗せて頭を撫でながらコーヒーと読書を楽しむ男性。
ここは猫カフェ"Ca-Syuu"。
"猫に我が家を"をコンセプトに市内に10店舗展開する空き家を改装した猫カフェ。
和猫を中心に集め、丁寧な対応と古き良き日本を感じさせらも清潔でお洒落な空間、そして猫カフェとは思えないグレードの高い飲み物や軽食の提供することで人気の店で特に市内でも珍しい古民家を改装した3号店は1番人気を博している。
その理由は……。
A4の光沢紙を手渡された瞬間、女子大生3人は喉を押さえて絶叫する。
「いやーっ!」
「ステキーッ!」
「いやっ何これっ神いいいっ!」
そこに描かれているのは黒猫の雅を中心に楽しそうに笑う3人の絵がアニメのように描かれたイラストだった。
媒体こそタブレットの絵描き用アプリを使っているようだがその繊細で独特、そして生き生きとしたタッチは手描きによるものだと一目で分かり、今にも光沢紙の中から飛び出して大騒ぎしてきそうだった。
3号店限定で行われているサービス。
お気に入りのスタッフと写真を撮り、イラストに描き上げる。しかも生成AIを使わない手描きで。
これが人気を博し、毎日のようにお客さんがやってきては猫を愛で、写真を撮り、イラストを注文していった。
手作業だし毎日のように注文が入るので出来上がるまで1、2週間掛かるがそれでも客足は途絶えることなく、逆にイラストを受け取ると更に楽しみを増して通ってくれる。
まさに相乗効果だ。
「雅様ぁ!」
「見てください!」
「神々しいお姿がここに!」
大はしゃぎで雅に駆け寄ってイラストを見せる3人、そんな3人を雅は退屈そうに目を細めて見つめ一鳴きする。
さわぐでにゃい。このおろかものどもにゃ
「「「ははぁ!」」」
そんな3人と一匹の様子を長袖の襟付きシャツに店のロゴの入った濃紺のエプロンをつけた女性が苦笑をして見つめる。
滑らかな金髪のショートヘアにアーモンド型の大きな目をした背の高い抽象的な顔立ちのクール系美人。
濃紺のエプロンのプレートには"店長 アキ"と書かれていた。
「お気に召していただいたようで良かったです」
アキは、アーモンド型の目を細めて言う。
「気に入ったどころじゃないですよ!」
「写真以上に雅様の良さが出てます!」
「もう紙じゃなくて身体に描いてもらいたかったぁ。生涯後悔ぃ!」
喜び、喚き、泣き叫ぶ3人。
雅は、丸い目を細めてうんざりしたように見る。
「これって店長さんが描いてるんですか?」
鼻息荒く一人が聞いてくる。
「いえっ私ではありません」
アキは、小さく首を振る。
「じゃあ外注ですか?有名なイラストレーターさんとか?」
それなら時間が掛かるのも頷ける。
「いえ、うちの従業員ですよ」
その言葉に3人は目を丸くして驚く。
無理もない。
この店で店長とスタッフ以外の従業員と言ったら彼しかいないのだから。
アキは、店の隅で猫達のお水を補充している従業員に目を向ける。
「ナツ。こっちいらっしゃい」
「……はいっ」
従業員は、ゆっくりと立ち上がりこちらに向かってくる。
その瞬間、彼女達の表情が青ざめる。
目が震え、唇が微かに戦慄く。
従業員の……彼の存在に。
アキと同じ襟付きの長袖シャツにロゴ入りの濃紺のエプロン、"COLD"とプリントされた白く分厚い手袋、細身だが身長は180を裕に超え、顔つきも端正に整っている。
しかし、それ以上に彼の容姿を際立たせているのは彼のは病的なまでに白い肌と、血のような赤い瞳、そして短く切られた雪色の髪だ。
病的な肌、血色の瞳、そして雪色の髪。
この3つの症状を出ている人間を知らない者は世界にはいない。
「氷結病患者……」
3人の内の誰かが震える声でぽそりと呟く。
「ご紹介しますね」
アキは、ニコッと笑って彼に手を向ける。
「当店の従業員兼イラスト担当のナツです」
「こんにちは」
ナツは、ぺこりっと頭を下げる。
「ナツ。貴方の絵。気に入ってくださったみたいよ」
「そうですか。良かったです」
ナツは、静かに笑う。
「ひっ!」
3人は、小さな悲鳴を上げて投げ捨てるように絵を手放す。
絵は、靡きながらアキの足元に落ちる。
アキは、気づかれないくらいに小さく肩を竦めて絵を拾う。
「彼は、絵を描く時は不凍繊維の手袋をしてます。それに彼が使った物に触れても凍ることはありませんのでご安心ください」
「……は……はいっ」
そう言って冷徹に絵を3人に渡す、
3人の1人が怯えながら絵を受け取る。
「ごめんなさい……私……」
「いえ、気にしないでください」
ナツは、口の端を緩める。
「時間は掛かりますが別の猫ちゃんも描きますので遠慮なくおっしゃって下さい」
そう言ってナツは優しく微笑む。
彼女は、目を大きく丸くする。
「あの……」
彼女が言いかけた時、2人がぐいっとひっぱる。
「あんた何してんのよ!」
「それ以上近づいたら凍っちゃうよ!」
2人は、グイグイ引っ張って彼女を奥に連れて行く。
彼女は、申し訳なさそうにナツとアキに頭を下げて2人に付いて行った。
「まったく……」
アキは、ふうっと息を吐く。
「氷結病は感染症じゃないって言うのに……」
氷結病。
百年近く前に発症が確認された指定難病。
罹患者は氷結病患者と呼ばれる。
症状は至って単純。
健康に問題はない。
発症すると髪は雪色に染まり、瞳は血色に変色する。
そして……発症患者が触れた物は一つの例外を除いて全て凍りつく。
その為、指定難病であると同時に感染症ではないのに2類感染症と同類の扱いをされている。
しかし、されているだけで感染リスクはなく、WHOが認めた不凍繊維の生地で作った衣類や不必要な接触さえ避ければ十分に普通の人と同じ生活を送ることが出来る。
出来るのに……。
「あの……」
足元から声が聞こえる。
さっきまで三毛猫と遊んでいた女の子が手のひらに100円玉を乗せてナツを見上げている。
「猫ちゃんの……ご飯下さい」
「ああっはいっ」
ナツは、小さな笑みを浮かべてエプロンのポケットから小さなペースト状おやつを取り出す。
「さっき遊んでた子はおやつたくさんもらってたみたいだから違う子に上げてくれるかな?」
「ダメなの?」
「食べすぎるとお腹壊しちゃうからね。あの子は今、入ってきたばかりだからいいよ」
そう言って隅で寝転がるサバトラを指差す。
「そっとあげてね」
「うんっ」
女の子は元気に頷いてナツからおやつを受け取ろうとする、と。
「ダメ!」
突然、女性が女の子の手を思い切り引っ張って自分の方に抱き寄せる。
女の子は、何が起きたのか分からず呆然と女性を見上げる。
「ママ?」
「この人に近づいちゃダメ!」
母親は、顔を真っ赤にして女の子を怒鳴る。
女の子は、母親の激昂の意味が分からず泣きじゃくる。
母親は、ナツとアキに目を向け、ぺこりと頭を下げて女の子の手を引っ張って連れていく。
足元には女の子が落とした100円玉が落ちていた。
ナツは、100円玉を拾い上げる。
「後であの子におやつ渡しとくわ」
「お願いします」
ナツは、100円玉とおやつをアキに渡すとその顔がギュッとアーモンド型の目を細め、頬が固くなってることに気付く。
怒ってるなぁ。
ナツは、少し困った顔をする。
「もうすぐ閉店時間ね」
時計の針はもうすぐ20時を指すところだ。
「フロアはもういいわ」
「はいっ」
「買い物をお願いしていい?猫達のご飯が少し足りなそうなの。毛玉ケアと尿路感染予防のドライを適当にお願い」
「分かりました」
ナツは、頭を下げてそ場を離れる。
アキは、アーモンド型の目を閉じてふうっと息を吐いた。
猫カフェ近くのドラッグストアで毛玉ケアと尿路感染予防のキャットフードの大袋をレジに並べると30代くらいの女性店員が露骨に嫌そうな顔をしながら袋に触らないようにバーコードスキャナーで読み取る。
「せ……1,340円です」
「はいっ」
「お……おし……お支払いは?」
「これで」
ナツは、ポケットからスマホを取り出す。
店員はほっとした様子で電子決済機器を提示する。
ナツは、苦笑いを隠して決済する。
ピヨピヨッ。
間抜けた音声で支払いが完了したことを知ると袋を抱えてレジを離れる。
ナツが去っていくのを見て店員だけでなく周囲にいたお客さん達もほっとした顔をする。
アキがいたらまたむすっとしただろうなぁ。そんなことを考えながらさっさと店を出ようとする、と。
「あの……お客さん」
不機嫌な声が耳に飛んでくる。
ナツは、反射的に声の方に血色の瞳を向ける。
ナツがいた隣のレジに地味で所々がほつれた灰色のパーカーに色褪せたデニム、帽子を目深に被ったウェーブのかかった長い黒髪の女の子がスマホを握りしめたまま立っている。
大きな目を震わせ、明らかに動揺している。
あの子は……?
ナツは、血色の瞳を震わせる。
「お客さん」
でっぷりと太った中年の店員が太い腕を組んで不機嫌そうに女の子を睨む。
「残金が不足してるならさっさとチャージして下さいよ」
「あ……の……その……」
女の子は、スマホをぎゅっと握り、スマホを弄ろうとするが動揺しているからか上手く操作できない。
「別に現金でもいいですよ」
レジの前にはカップ麺が3つ丁寧に置かれている。
女の子は、震える目で店員を見る。
店員は、呆れたようにため息を吐く。
「今時のガキは……現金も持ち歩かねえのか」
女の子にわざと聞こえるような小声で呟く。
女の子は、ビクッと肩を震わす。
「どうします?買うんですか?買わないんですか?」
「あ……あの……」
周りの客も他の店員も2人のやり取りに異様さを感じながらも声も手も出せずにいる。
「それとも万引きでもするつもりだったのか?」
「え……っ?」
女の子の目の色が変わる。
その瞬間、店員の目が被虐的に歪む。
「とりあえず裏行こうか?きっちり話……」
ピヨピヨッ。
緊迫した空気を間抜けた音声が破る。
女の子の目に雪色が飛び込む。
「これでいいですか?」
血色の瞳が店員を映す。
女の子とレジの間に割り込んだナツに女の子だけでなく店員と周囲も動揺する。
右手に持ったスマホが電子決済機器に叩きつけるように乗せられていた。
「コキュ……ッ」
ナツの存在を理解し、店員の顔が恐怖に青ざめる。
「店のルールに俺が口出すことじゃないですけど……」
ナツは、雪色の髪をガシガシ搔く。
「お金払えない=警察は早計ではないですか?」
血色の瞳が冷たく店員を映す。
店員の喉がぐっと鳴る。
「品物を預かってお金持ってくるまで取っとくとか慌ててることが分かってるなら一度列を外れてもらって落ち着いてチャージしてから並ぶように言うことも出来たんじゃないですか?」
「そんなことしてる間に逃げられたら……」
「逃げませんよ。この子は」
血色の瞳が店員を圧する。
店員は、表情を引き攣らせ後退る。
「とりあえずお金は払いましたのでいいですよね?」
「そ……それは……」
「いいですよね!」
ナツは、血色の瞳を萎める。
「は……はいっ」
店員は、空気が抜けるように項垂れる。
ナツは、肩を竦めてスマホを電子決済機器から離すと素早くポケットにしまい、床に置いたキャットフードを持ち上げ、そのまま真っ直ぐ進んで自動ドアを抜ける。
夏の夜風が白い肌を打つ。
「あの……」
女の子の張り詰めた声が背中に飛んでくる。
ナツは、足を止めて振り返る。
女の子は、パーカーの胸元を握りしめて大きな目でナツを見る。
「あ……あの……なんで……」
「……金はちゃんと入れとけ」
「えっ?」
ナツは、人差し指をスマホに向ける。手袋にプリントされたCOLDの字が逆になって女の子の目に飛び込む。
「もうこんなトラブルに巻き込まれたくないだろ。それと……」
よっとキャットフードの袋を抱え直す。
「あんま気安く俺に声をかけるな。一緒にいるとこなんて見られたくないだろ。聖女様」
女の子の目が大きく見開く。
ナツは、それ以上何も言わず、離れていった。




