そして聖女様は真冬に戻る
今の話しを事柄として表すならどう表現すればいい?
放置とも違う。
虐待とも違う。
それ以下の地獄すら生ぬるい地獄。
どれだけ頑張っても報われない。
どれだけ努力しても見てくれない、気づいてくれない。
それでも蜘蛛の糸よりも細い糸にしがみこうと、いつか報われると信じて足掻き続ける。
幸せなんて……決して訪れない。
ナツは、血色の瞳をギュッと閉じる。
「そこからはナツ君の知ってる通りです」
真冬は、乾いた笑みを浮かべて言う。
「中学を卒業式までは学校近くのホテルに泊まって過ごしました。それから不動産屋さんに行ってこのマンションを紹介してもらいました。未成年だから親の承諾が必要と言われたんですが星上の名とその……氷結病患者が住む予定のマンションに、隣の部屋に住みたいってだけですんなりと通りました。ただお家賃が安いから選んだだけなんですけど……ごめんなさい」
「謝ることじゃない」
ナツは、ぶっきらぼうに言う。
そう謝ることじゃない。
真冬が謝る必要なんて何一つない。
「前の人が置いていった家具や家電もあってラッキーって。これなら生活していけると思ったんですけど……甘かったです。まさか生きて行くのにこんなにお金がかかるなんて思いませんでした」
特待生なので学費は掛からない。それでも教科書代や制服代は掛かる。家賃は相場よりもはるかに安いが水道光熱費や電気代もかかる。そして何より生きていくには食べないといけない。
お金はどんどん無くなっていった。
「そんな状態になっても聖女様としての振る舞いはやめなかったんだな?」
家を出た時点でもう聖女様を演じる必要なんてないはずだ。それでも真冬は聖女様をやめなかった。お淑やかで清楚、そして美しい理想的な聖女様を演じ続けた。
「……見て欲しかったから」
真冬は、弱々しく呟き、ぎゅっと下唇を噛む。
ナツは、血色の瞳をギュッと萎める。
「私を……星上真冬を見て欲しかったら」
家族に捨てられた。
生まれ育った家を失った。
そして友達にも見放され、人に言えない見窄らしい人生に身を置くことになった。
それでも……それでも誰かに見てもらいたかった。
自分に気づいて欲しかった。
自分はここにいると叫びたかった。
「でも、見てくれない。みんなが見てるのは星上真冬じゃなくて聖女の私。誰も……誰も私なんて見てない」
真冬は、両手を伸ばして自分の身体を抱きしめる。
壊れそうな自分を守るように。
本当に自分がここにいるのかを確かめるように、
「お願い見て!私を見て!!私にここにいるよ!星上真冬はここにいるよ!誰か気づいて!お父様……三春……みんな……お願い……お願い……お願いだから……」
真冬は、叫んだ。
嗚咽した。
髪を掻きむしり、地団駄を踏み、袖が千切れんばかりに引っ張って自分の身体を傷つけようとした。
その姿は……まるで自分の身体を傷つけて親に見てもらおうとする子どものようだった。
「真冬……」
ナツは、タブレットとデジタルペンを置き、真冬に手を伸ばしかけて……止める。
手袋に書かれたCOLDの文字が血色の瞳を焼く。
ナツは、ギュッと拳を握り、意を決して真冬を見る。
「真冬!」
ナツは、叫ぶ。
真冬は、ビクッと身体を震わせ、自傷行為を止める。
大きな目がナツを映す。
ナツは、羽織っていたパーカーを脱ぎ、真冬の頭から被せると、両手を伸ばして分厚い生地に包まれた真冬の顔を挟む。
ひんやりとした感覚が頬を走る。
「時間がないから手短に言う」
血色の瞳が熱を帯びて揺れる。
「お前は星上真冬だ!」
「えっ?」
「お前は星上真冬だ!お前は星上真冬だ!お前は星上真冬だ!お前は星上真冬だ!」
ナツは、手を離す。
頬に熱が戻る。
真冬は、何が起きたか分からず呆然とナツを見る。
「ナ……ナツ君!?」
真冬は、動揺に瞳と声を震わせる。
「どうしたですか!?一体何を……」
「ムカついた」
「えっ?」
ナツは、血色の瞳を怒らせ真冬を睨む。
「俺のことを完全無視したからムカついた」
「そんなこと……ごめんなさい……私ついに自分の世界に入っちゃ……」
「ちゃんと見てる」
「え?」
「俺は、ちゃんと真冬を見てるよ。ちゃんとお前がここにいることを知ってるよ」
ナツは、すっと右手を真冬の頬に伸ばす。
今度は触れない。そっと頬に手を近づけるだけ。
「俺はお前に何もしてやれない」
ナツは、切なげに血色の瞳を細める。
「一介の高校生がお前の家庭事情に口出す権利はない。父親の考えを変えることも出来ないし、形だけ取り繕う使用人達に檄を飛ばすことも出来ない。凍らすことは出来るけどな」
ナツは、悪戯っぽく笑って真冬の頬を撫でるように右手を動かす。
真冬の目がナツの右手をじっと見る。
「俺は、お前に触れてやることは出来ない。父親の代わりに頭を撫でてやることも、母親の代わりに抱きしめてやることも出来ない。でも、見ててやることは出来る。気づいてやることは出来る」
三春みたいに屈託なくとはいかないけどな、と言って苦笑いする。
「俺はちゃんとお前を見てる。お前がここにいることにちゃんと気付いてる。聖女様なんかじゃない。星上真冬がちゃんとこの世界にいることを知ってる。それじゃあダメか?」
真冬の目が震える。
唇が震える。
手が……身体が震える。
「ダ……」
震える唇から声が漏れる。
「ダメじゃ……ないです」
真冬の手がナツの頬に伸び、触れる寸前で止まる。
「本当に……見ててくれますか?」
「ああっ」
「私に気付いてくれますか?」
「ああっ」
「星上真冬でいいんですか?」
「ああっ」
ナツは、優しく口元を綻ばせる。
「お前は……星上真冬でいいんだよ」
真冬の目から涙が一つ、二つと落ちていく。
「ありがとう……」
涙が止めどなく溢れる。
溢れて、溢れて止まらない。
「私を見つけてくれてありがとうございます……ナツ君」
真冬は、微笑んだ。
その笑みはナツが見てきた真冬の笑顔の中で1番綺麗な笑顔。
星上真冬の本当の笑顔だった。
ナツは、何も言わずただ静かに微笑んだ。




