それは聖女様の悲しい誕生秘話(2)
真冬は、落ち着かない心を誤魔化す為にスポドリを一口含む。
「名家の特徴って……何だと思いますか?」
真冬の質問にナツは眉を顰め、顎を摩る。
「改めて考えたこともなかったな」
一般的に思いつくものと言えば資産……金や土地だろう。
朝廷に支えていた旧家族、土地や山を有した庄屋、そして幕末、明治、大正と武士達が時代の変わり目で没落していく中で知恵と手腕で財を成した商人達。
太平洋戦争でアメリカ軍から財を没収される等の憂き目もありながらも巨大な資産を持ち、贅の限りを尽くす……それが一般的なイメージだろう。
多分、真冬が言いたいのはそんなことじゃない。
そんな程度のことで真冬がこんな目に遭ってるはずがない。
そうなると……。
ナツは、頭を巡らせる。
ヒントはきっとあの男……真冬の父親にある。
三春からお殿様と揶揄され、ナツ自身も感じたあの男。
偉そうで、傲慢で、全て見下すようなあの男。
あの男がお殿様になった要因、自分がすべて正しいと身体中から溢れ訴える不遜な態度。そして娘であるはずの真冬をゴミのように蔑む理由……。
お殿様……不遜……傲慢……娘……女……。
連想が止まる。
ナツの中に一つの言葉が下りる。
「男尊女卑」
ナツがぼそっと発した言葉に真冬は針を突き刺されたように目を瞑る。
「家長制度か」
「……はいっ」
真冬は、小さく唇を噛み締める。
「マジか……」
ナツは、どっと後頭部をソファーの背もたれに落とす。
「どこの社会学の世界だよ!?」
家長制度。
家族の首長である家長が絶対的権力を持って家族全員を統率する家族形態のこと。
家長には代々男……長男がなり、それ以外の男子、特に女子には一切の権限が与えられず、虐げられた。
「社会学って……高校生から出る言葉じゃありませんね」
真冬は、くすりっと笑う。
「それで笑えるお前も十分普通の高校生じゃないと思うけどな」
ナツは、ぶっきらぼうに答える。
「でも、家長制度って現在は廃止されてるはずだよな?個人の尊厳の侵害だったり、両性の平等性の観点から」
だからこその男女平等の社会のはず。
「星上家には残ってます。かなり色濃く。それに結局はその家のしきたりになるので国がとやかく言うことではありませんので」
「法律じゃなく概念か」
ナツは、不機嫌に唇を歪め、真冬を見る。
「じゃあ、お前の今の現状は弟が生まれたことが原因か?」
ナツの言葉に真冬の目が動揺に震える。
「な……なんで……」
「家長制度まで辿り着けば後は単純にパズルをハメてくだけだ。三春からの情報もあったからな」
小学生までは明るく、良く笑う普通の女の子だった真冬。
それに変化が生じ始めたのが小学校の卒業式辺り。
そして聖女様に変貌したのが中学生。
それの引き金となる大きな出来事なんて弟が生まれたことしか考えられない。
「つまりお前に弟が生まれたから、長男が生まれたから……」
ナツは、言いかけて言葉を飲み込む。
真冬は、悲しげに笑ってナツが言おうとした言葉を引き継いだ。
「捨てられた」
真冬は、無機質に呟く。
ナツは、血色の瞳を見開き、真冬にその言葉を吐かせてしまった自分を心の中で殴りつけた。
「大丈夫ですよ」
そんなナツの心境に気付いていたのか、真冬は切なげに笑う。
「弟が生まれる前から私は不用品だったんです。生まれたから仕方がなく育てた。それだけです」
何がそれだけだ!とナツは叫びたくなるのを飲み込んだ。叫んでも怒りを吐いてもそれは何の意味もなさない。
真冬の言葉を、想いを一語一句漏らさず聴く。
それが真冬に話す選択をさせたナツの、答えを導き出してしまったナツの役割だ。
「それに……ここにいるのは私の意思です」
真冬は、スポドリに目を向ける。
半分以下に減ったスポドリがペットボトルの中で微かに揺れる。
「意思?」
「はいっ私は……自分の意思でここにいるんです」
「それは……」
「順を追って説明しますね」
そう言って真冬は弱々しく笑った。
「両親は生まれた時から不仲でした」
名家の長男として生まれた父親は子どもの時から家長となるべく育てられた。一流と呼ばれる物を見聞きし、人の動かし方を学び、一族を繁栄させることこそが天命であると教わり続け、その通りに生きてきた。
そして一族を繁栄させると言うことは次の後継者を産み、育てること。
その為に申し分ない家柄の女を妻として迎え、最も肉体的にも精神的にも成熟した時に子どもを設けた。
「それが私です」
真冬が生まれた時、父親は激怒した。
何度も出生前診断を行い性別を確認し、男子と分かってから生むのを許可したのに出てきたのは完全な女子。
医師と助産師から診断は100%ではない、影や姿勢で誤認することもあると伝えても怒りが治ることはなく、医師をクビに追いやり、病院への出資も止めたと言う。
突然、母親も責められた。
女しか産むことが出来ない無能と罵られた。
名家の次女に生まれ、花よあれよと育てられた母親は人から怒られたことも責められたことも当然なく、あまりのショックと恐怖から心を病み、自室に閉じこもってしまった。
「なので私はあまり母の顔をあまり知らないんです。たまにお部屋から出てきた時に汚物でも見るように私を睨む顔が唯一の母の面影です」
ペットボトルがペコリッと小さな音を立てる。
ナツは、何も言わず真冬の顔を見る。
「なので私のお世話は両親ではなく家に使える執事さんやメイドさん達が見てくれたんです。皆さんとても親切でそのおかげで生活に困ることはありませんでした」
それは親切ではなく父親に命じられたからではないか……とナツは思ったが当然口には出さない。
真冬が使用人達のことを信頼し、感謝してる。
例え……それが愛ではないと分かっていても。
その事実だけでいい。
「それに……三春もいたので」
真冬の口元が優しく綻ぶ。
幼稚園で出会い、真冬のことを唯一色眼鏡で見ず、ずっと一緒に過ごしてくれた男の子。
三春がいたから両親に蔑まれても、使用人達の仮初の愛に違和感を感じても心は満たされていた。笑うことが出来た。人を信じることが出来た。
「凄えな。あいつ」
ナツは、無意識に言葉を漏らす。
恐らく幼稚園の頃から真冬は浮いていたはずだ。
整った容姿、冷遇される中でも令嬢として厳しく躾けられたであろう所作と言葉遣い、そして家柄。大人たちはほれこそ色眼鏡で見たろうし、子どもたちも明らかに自分たちと異なる存在に一歩も二歩も下がった友達とはまた違う付き合い方をしただろう。
しかし、三春はそんなことを一つも気にせず、障子紙でも突き破るように真冬に近寄り、誰よりも深い理解者として側にいたのだ。
そんなの……惚れない訳がない。
「本当。三春は凄いです」
真冬は、嬉しそうに笑う。
この部屋に来てから初めて見せた本当の笑み。
思わず妬いてしまい、ナツは誤魔化すように視線を反らす。
「でも……」
真冬は、ギュッとペットボトルを握る。
表面が凹み、スポドリが揺れる。
「そんな彼との繋がりも切れてしまいました。私の……身勝手な欲のために」
「欲?」
ナツは、眉を顰める。
「はいっ」
真冬は、小さく頷く。
「小学6年生の時、母が家を出て行きました」
血色の瞳が大きく見開く。
「何の前触れもなく、何の書き置きもなく。誰も何も言いませんけど恐らく実家に戻ったのだと思います」
「ちょっと待ってくれ」
ナツは、思わず声を上げる。
真冬の話しを最後まで聴くと決めたのにどうしても遮らずにいられなかった。
「その頃って……弟が生まれたんじゃなかったのか?」
「はいっ」
「なのに……出ていった?」
真冬だけじゃなく生まれたばかりの……しかも待望の男子を産んだのに置いて出て行った?
「だって……弟は母の子ではありませんから」
そう言って真冬は泣きそうに笑った。
ナツはの心臓が大きく高鳴る。
「弟は……父のお妾さんの子です」
「妾?」
「はいっそれもスナックとか呼ばれる所で働く女性で、しかも普通のご家庭の大学生だったそうです」
「そうですって……」
「はいっ。父はその女性に弟を産ませて、その後たくさんのお金を払って縁を切ったんです。つまり……弟をその女性から買ったんです」
血色の瞳が歪む。
感じたことのない怒りが湧いてくる。
「怒らないで下さい」
真冬は、切なげに笑って言う。
「こんな恥ずかしいことにナツ君の大切な感情を消費しなないで下さい」
「でも……」
「私は大丈夫です。だって……もう起きてしまったことなんですから」
ナツは、唇を噛み、拳を握りしめる。
「……話しを続けてくれ」
「はいっ」
真冬は、話しを再開する。
「母は、家を出て行きました。女としてのプライドが傷ついたのか?それとも弟が現れたことで自分の存在価値をいよいよ見失ったからなのかは分かりません。話したことなんてないですから。とにかく母は出て行きました。それからは一度も会っていません」
母と会えない。
普通ならこれほどの衝撃のある言葉なんて存在しないはずなのに真冬は淡々と話した。
それだけ真冬にとって母親の存在は薄いものだった。
「それから家は弟の世話で持ちきりでした。父は私のことなんて見向きもせず、あれだけ世話を焼いてくれた執事やメイドの皆さんも弟にかかりっきりになりました。私は……見えない存在なったんです」
「見えない……」
「はいっご飯は用意してくれます。身の回りのことも綺麗にしてくれます。必要最低限のこともしてくれます。でも、父も、執事さん達も私のことなんて見てくれません。彼らにとって私は籠で飼われている鳥や虫と変わらないんです。ただ世話だけしておけばいい。それだけの存在なんです」
ナツの脳裏に小学生の時に教室で飼われていた亀が思い出させる。教室の隅で餌をやる時にだけ構われ、それ以外は放って置かれる亀。その亀の姿が真冬に変わり、胸がぎゅっと締め付けられる。
「私は、孤独でした。それまでもずっと私は孤独だと思っていたけどそれが本当の孤独じゃないんだって思い知らされました。本当の孤独は……誰にも見てすらもらえないことなんだって初めて気付きました」
それは小学校の卒業を迎える前の女の子が悟るにはあまりにも残酷すぎることだった。
神様はこの子のことをどれだけ嫌っているのだろう?そう思わずにいられなかった。
「私は、考えました。どうすればお父様は見てくれるんだろう。お母様は戻ってきてくれるんだろう?みんなに気づいてもらえるんだろう?って。そして辿り着いたのが……良い子になることでした」
「良い子?」
「はいっ。綺麗で、頭も良くて、礼儀正しく、お淑やかで、誰にでも優しい、星上の名に相応しい女性なればいいんだって……。そうすれば……みんな見てくれるって」
容姿端麗。
品行方正。
頭脳明晰。
それはまさに……。
「聖女様……」
そう……それはまさに聖女様。
聖女様の悲しい誕生物語だった。
「中学に入ってから私は自分を変えようと努力しました。必死に勉強して、お化粧を覚えて、身なりを整えて、言葉遣いは変えてないけど、仕草や雰囲気を変えました。よりお淑やかに、より清楚に、星上の人間として相応いと見てもらえるように」
成績は常にトップ。
誰もが振り返り、憧れる美貌。
絵本のお姫様がそのまま出てきたような気品ある佇まい。
いつしか真冬は本当の聖女様になっていった。
しかし……。
「結局……何の意味もありませんでした」
どれだけ優秀な成績を収めても、美を磨いても、令嬢らしい振る舞いをしても父親は見てくれなかった。使用人達は気づいてくれなかった。
そして……。
「三春も離れていっちゃいました」
真冬が聖女様になった瞬間、三春は声を掛けてこなくなった。近寄ってこなくなった。それどころか嫌悪の目で真冬を見るようになった。
原因は分かってる。
三春は嫌いなのだ。
聖女様の真冬が。
「中学3年生の時、四季折高校を主席で合格して特待生なりました。県下でも5本の指に入る進学校。これならお父様も認めてくれる。我が子にしてくれる。そう思って勇気を絞って報告に行きました。そしたら……」
今でも忘れない。
あの時、父が放った言葉を。
"高校に受かったか。じゃあ義務教育は終了だな"
その言葉を聞いた瞬間、真冬の頭と心は静止した。
父が今まで放置しながらも面倒見てきた理由、それはただの義務だったのだ。
法律に則った義務として家に置いておいただけだったのだ。
その後、茫然自失する真冬に中学の卒業式を終えたら法律上の親子関係と相続放棄の手続きを取る。その変わり所有するタワーマンションの一室と大学を卒業するまでの学費と生活費だけは出してやると必要事項を説明するかのように淡々と告げた。
真冬の泣きもしなければ喚きもせず、文句の一つも言わず、こう告げた。
「この家から出ていきます。マンションもお金も入りません。もう……ここには戻りません」
何もかもが嫌になってしまった。
もうこんな所いたくない。
誰の顔も見たくない。
全て……捨てる。
真冬は、父親に頭も下げず自室に戻ると最低限の身の回りの物と四季折高校の入学案内、そして使わずに貯めていた大人でも大金と目を剥いてしまうようなお小遣いの入った通帳を持って屋敷を出た。
屋敷を出る直前、見覚えのあるメイド達が小さな男の子と遊んでる姿を見つけた。
弟だ、と直ぐ分かった。
真冬に気がついたメイド達は気まずそうに目を反らし、弟は純朴な目でメイド達に聞く。
「あのお姉ちゃんだあれ?」
その瞬間、動かなかった心が動き出す。
心臓が震え、身体が震え、涙が一筋、二筋と流れていく。
真冬は、逃げ出すように屋敷を飛び出した。
そして……2度と戻らなかった。




