聖女様の初バイト(1)
ナツが出勤すると既に真冬は来ていた。
ウェーブの長い髪をポニーテールにまとめ、指定の襟付きシャツにいつもの破れたデニムの上に濃紺のエプロンを身につけ、名札にはカタカナで"マフユ"と書かれていた。
真冬は、ナツの姿を見つかるとゆっくりと駆け寄り、お腹上に両手を組んで丁寧にお辞儀する。
「今日からよろしくお願いします。先輩」
そう言って顔を上げた真冬の表情は学校でもマンションで初めて会った時にも見たことのない明るいものだった。
ナツは、血色の瞳を大きく見開く。
「また、変わった」
「何がです?」
真冬は、キョトンっとした顔でナツを見る。
「確かに服装や髪型は変わりましたけど……」
真冬は、細過ぎる両腕を傘のように広げて自分の格好を見る。
「あっでも匂いは変わったかもです。お金が無くて洗濯洗剤と柔軟剤が買えなかったので。それに洗濯機も電気代が勿体なく回せなかったし……」
真冬は、嬉しそうにクンクンッと制服の匂いを嗅ぐ。
「誰がそんな悲しい変化に気が付いたって言った?」
ナツは、ドヨンっとした目で真冬を見る。
「自分の隣の……しかも同級生の部屋でそんな悲しい事象が幾つも起きてたと知った俺はどうすればいい?」
「で……でもちゃんと洗ってましたよ!」
真冬は、慌てて否定する。
「どうやって……」
「あの……ギザギザの板みたいなのを拾って……」
「洗濯板のことか?てか美少女が拾うなよそんなの……」
っていうか今の時代に落ちてるのかそんなの?
ただの尖った板じゃないのか?
「SDGsですよ!こうやってギザギザの板に石鹸を擦り付けた衣類を当ててですね……!」
真冬は、真剣な顔で力説し、両手を使ってゴシゴシ洗う真似をする。
「こうして汚れを落としてからお水で濯いで、絞って外に干すと洗濯機では出せない手触りが……」
「確かにな。お前の私服が全体的にゴワゴワしてるように見えたのはそのせいだったのか……ってか石鹸ってなに?」
突っ込むかどうしようか迷ったが我慢できず聞いてしまった。
「石鹸は石鹸ですよ。ご存知ないですか?」
真冬は、大きな目をパチクリさせてナツを見る。
「100円均一って知ってます?そこで5個100円で売ってるんです。少し小さくて色も悪いですけど。髪の毛も洗えて最高ですよ。それの欠片を寄せ集めてお洗濯に。あっちなみにお洋服もリサイクルセンターってところでたまにご自由にお持ちくださいって言うのがあるのでそこで……」
「やめろ……俺をこれ以上泣かせようとするな」
ナツは、崩れ落ちそうになるのを堪えて顔を横に向ける。
「今日……帰りドラッグストアに寄るか?」
「?はいっ帰りは一人で大丈夫ですからどうぞご自由に……」
「そうじゃなくて……ポディソーとシャンプー買いに行こう」
「えっ?」
真冬は、目を丸くして慌てて両手を振る。
「いや、無理ですよ。そんなお金ありませんから……」
「俺が買う」
「へっ?」
真冬は、きょとんっとする。
「就職祝いだ。それならいいだろ?」
「いや、でも悪いからいいですよ」
「衛生管理できない奴を客にもスタッフにも触れさせることは出来ない。クビになっちゃうけどそれでもいい?」
"クビ"と言う言葉に真冬の表情が青ざめる。
「あとお前が嫌じゃなかったら洗濯はうちでしろ。洗剤類はお前の好きな匂いのやつを買えばいい」
「いや、だから悪い……」
「いいな!」
有無を言わせぬナツの語気に真冬は「は……はいっ」と弱々しく頷いた。
「話しは終わった?」
横から飛んできた声に二人一緒に振り返るとアキがアーモンド型の目を鋭くしてこちらを見てる。
「もうスタッフ達は仕事してるわよ。無駄話してないでさっさと準備しなさい」
「は……はいっ」
真冬は、声を上擦られて背筋をピンっと伸ばす。
「も……申し訳ございませんでした!」
真冬は、深々と頭を下げて必死な謝る。
「ナツ……ちゃんと仕事教えるのよ」
「はいっ分かりました」
ナツも小さく頭を下げる。
アキは、ふうっと鼻息を吐いて店内に戻ろうとして足を止める。
「今日は、豚の生姜焼きよ」
何を言われたか分からず真冬はきょとんっとする。
「昨日はお魚だったからね。豚は平気?ダメなら牛か鳥に変えるけど」
「いえ……大丈夫です」
「そう」
アキは、短く答えて今度こそ店内に向かう。
真冬は、目を丸くしてアキの背中を見る。
そんな様子を見てナツは口元を綻ばせた。
なに?これ?可愛い。
ナツは、目の前で繰り広げられる科も目も違う類のみが合致する一人と一匹の対決から目を離せずにいた。
「は……ははは……花ちゃーん」
バックヤードの裏、後半のシフトに参加するスタッフ達の控える柔らかな人工芝の敷かれた一室でカチンコチンに固まった真冬が正座し、右手にブラシを振り、左手で太腿をパンパンッ叩きながら数歩離れた所でちょこんっと背筋を伸ばして座るキジトラを呼ぶ。
当店人気猫の一匹、キジトラの花ちゃん。
明るくて人懐っこい、愛嬌たっぷりの翡翠色の目でたくさんの人を和ませる。初めてのお客さんにも人見知りすることなくニャーッと愛らしい声で鳴いていつの間にか膝の上に乗っている。
つまり初見さんでも比較的に懐いて、触れ合うことの出来る初心者向け猫なのだが……。
花は、緊張に固まる真冬を馬鹿にするように翡翠の目を細めて見上げ、退屈と言わんばかりに耳の裏を後ろ足で搔く。
完全に馬鹿にしてる。
下に見てる。
そんなことに気付かない真冬は、太腿をパンパン叩き、右手に持ったブラシをブンブン振る。
「は……花ちゃーんっ!ブラシしましょう!キレイキレイしないとお店出れませんよぉ」
真冬の必死に花に訴える。
花は、黒ずんだお鼻をヒクヒクさせながらゆっくりと起き上がり、静かに真冬に寄っていく。
真冬の表情がぱあっと輝せ、太ももを激しく叩く。
花は、ゆっくりゆっくり近づき、前足を真冬の膝に乗せようとして……そっぽ向く。
ガーンっと言う石で書かれた効果音が真冬の背後に浮かぶ。
花は、くるっと方向転換して背中を向けた去っていく。
真冬は、"あううううううっ"とその場に蹲る。
一人と一匹の様子を他所から見つめていたスタッフ達が呆れたように鳴く。
本当、なんなんだこの可愛い対決は?
ナツは、遠い目で一人と一匹のやり取りを見守り……。
「花」
隣から優しい声が聞こえる。
真冬は、顔を向けるとナツが隣に同じように正座してポンポンと軽く膝を叩く。
「おいで」
ナツは、優しい笑みを浮かべて花を呼ぶ。
花は、歩みを止めて振り返ると翡翠の輝かせてナツの元に駆け寄り、ぴょんっと膝の上に乗った。
真冬は、驚いて身体を起こす。
「ちょっと緊張し過ぎ」
花の顔まわりや喉を優しく撫でながらナツは言い、分厚い手袋を真冬に向ける。
「ブラシを」
「は……はいっ」
真冬は、慌ててブラシをナツに渡す。
花は、喉をゴロゴロ鳴らしながらナツの太腿の上で心地良さそうにお腹をくっつけて寝そべる。
ナツは、そっと花の首元にブラシを当てて流れるように梳いていく。
「そんなんじゃ幾ら呼んでも寄ってきてくれないぞ」
ナツは、優しく首元を解かし、背中へと流れていく。
「はいっでも焦っちゃって……」
「人間の焦りは動物にも移行していらない不安を招くこたになる。可哀想なのはこいつらだぞ。あっ毛玉が出来てる」
ナツは、分厚い手袋をした手で花の背中に出来た毛玉を解し、その後にふたたびブラシをかけていく。
その様子を真冬は、目を丸くして見る。
「先輩は……」
「こそばゆい。ナツでいい」
「ナツ君は、ここで働いて長いんですか?」
「なんで?」
「いや、凄い手慣れてるから」
「働き出したのは高1の4月。でも、その前からここには通ってたからな。ここにいるほとんど猫見知りだ」
「猫見知り?」
「猫の顔見知りって意味」
「それは猫カフェ業界の用語?」
「いや、俺と店長との間の造語」
改めて聞かれると恥ずかしいものがある。
ナツは、視線を逸らしてブラシを続ける。
「それじゃあ店長さんともお付き合いが長いんですね」
「まあ……そうだな。昔から知ってる。一時期会えなくなった時もあったけど」
一時期?
真冬は、首を傾げる。
ナツも口を滑らしたことに気づき、左手を口に当て、何でもないと答える。
「でもそっか。だから猫の扱いがお上手なんですね」
感心半分、悔しさ半分と言った感じに真冬は呟く。
「そう言う星上はびっくりするくらい慣れてないな。緊張が戦闘力のように溢れ出てた」
「え……っ何万くらい?」
真冬は、嫌そうに頬を引き攣らせる。
「まあ、53万ですよとまでは言わないけど……ってこのネタ乗れるんだ?」
自分で口にしておいて何だが真冬がこんなバリ男トークに乗って来れるとは思わなかった。
「実は隠れアニメオタクとか?それにしちゃ古いけど」
まあ、あの某アニメに世代など関係ないが。
「いや……その三春が好きだったからその影響で……」
真冬は、恥ずかしそうに身を竦める。
「あーっなるほどな」
ナツは、妙に納得した。
今でも天真爛漫、悪く言えばガキンチョの三春のこと、小学生の時なんて更にガキンチョだったろうから仲良しだったという真冬も男遊びに付き合わされてても可笑しくない。
「苦労したんだな」
「苦労ですか?」
真冬は、大きな目をパチクリさせて首を傾げる。
「私は、楽しかったですけど」
「そうなのか?」
「はいっ」
真冬は、にっこりと微笑む。
「私を私として見てくれたのは三春だけでしたから」
しかし、その笑みは直ぐに消え、大きな目に悲しみが映る。
「もう……見てくれないですけど……ね」
真冬の言葉に花をブラシする手が止まる。
目を細めてうたた寝しかけた花がぱっと目を覚ます。
「星上……三春のことが好きなのか?」
ボンっ!
頭のてっぺんから噴火するように真冬の顔が真っ赤になる。
「おーっ戦闘力100万超えたな」
左目でカチカチと何かを弄る真似をしてナツはニヤッと笑う。
「な……な……な……なっ!」
目グルグル、口アワアワ、両腕ブンブンと全身から羞恥を溢れさせる。
「何を言ってるんですかぁ!」
真冬の羞恥の叫びに猫達の視線が一斉に向く。
「いやーっ反応を見てそうなんじゃないかと思ったら図星か」
「そんなんじゃないです!そんなんじゃないです!」
真冬は、両腕を扇のように上に下にと振り回して否定する。
やばい!可愛い!
ナツは、ニヤケそうに堪えながら真冬を見る。
「お前、どんどんキャラ変わってくな」
「ナツ君が変なこというからですぅ!」
真冬は、ナツをポカポカ殴るように両手を振り回す。
ナツは、彼女の手が振らないように身体を反らしながら苦笑する。
「そんなに好きなら声かければいいだろ?」
「む……無理ですよ……そんなの」
真冬は、尻すぼみに言い、視線を左に反らす。
「そうか?あいつだって喜ぶと思うけど」
三春が本心で真冬のことを嫌ってないのは何となく分かっていた。もし、本気で嫌いなら昔の様子を質問した時に答えてくれる訳がないし、なんやかんやと視線で追ったりしないからだ。
きっと三春も真冬と仲直りするきっかけを掴みたがっている。
そう思っての言葉だったが……。
「……無理ですよ……」
真冬は、弱々しく呟く。
「もう何年もまともに話してないですし……それに」
真冬は、ぎゅっと拳を握る。
「今の見窄らしい姿を彼に知られたくないです」
真冬は、いたたまれない表情をして俯く。
花が丸い目でじっと真冬を見て"ナーッ"と切なそうに鳴く。
ナツの血色の瞳が花と真冬を交互に見て……。
「よっと」
真冬の膝の上に花を置いた。
驚く真冬。
ナツはブラシの柄を真冬に向ける。
「やってみ」
「えっ?」
「見てるだけじゃ覚えないぞ。実戦だ」
「でも……花ちゃん」
真冬は、膝の上の花を見る。
花は、クリっとした目で真冬を見上げ、そのまま腹ばいに膝の上に寝た。
「暗い顔する暇あるなら私を撫でろ、ブラシしろ……だってさ」
花の気持ちを代弁してナツは笑う。
真冬は、目を丸くして花を見て……そっと頭を撫でる。
「気持ちいい」
「病みつきになるだろ?」
「……はいっ」
真冬は、泣きそうな顔をして笑う。
「猫って……こんなに温かいんですね」
嬉しそうに言う真冬にナツは思わず頭を撫でたい衝動に駆られて手を伸ばしかけ……引っ込める。
真冬は、ナツが何かしようとしたことに気づき、首を傾げる。
「どうかしました?」
「なんでもない」
ナツは、ぶっきらぼうに言い、そっぽ向く。
「……三春と話す勇気が出たら言え」
「えっ?」
「俺にとってもあいつは唯一の友達だからな。繋ぐくらいは出来る」
「ナツ君……」
「だから暗い顔するな。スタッフ達が不安になる。お前は……笑ってる方がいい」
真冬は、目を丸くして驚き……にいっと笑う。
「ナツ君って……ツンデレだったんですね」
真冬は、揶揄うように笑う。
「う……うるせえ。お前がころころキャラ変え過ぎなんだよ」
「乙女は幾つも顔があるんですよ。後学に覚えておいて下さい」
「分かったら早くブラシしろ。後がつかえてる!」
気がついたら他のスタッフ達もいつの間にかナツ達の前に寄ってきてジィーッと二人を見ていた。
「ほらやるぞ」
「はいっ」
真冬は、嬉しそうに笑って花の毛にブラシを当てた。
その仕草と表情が本当に可愛らしく、ナツは直視出来なかった。




