09 貸付1,000,000GOLD 飲み代のツケ
アルテは、隠しきれないあきれ顔を浮かべながら、百万ゴールドを頑丈な大きな革袋に詰め込んだ。
金貨がぶつかり合う鈍い音とともに、パンパンに膨れ上がった袋を、オルフェが「よいしょ」と背負う。
「この恩は一生忘れません。アルテ、あなたに神のご加護がありますように」
オルフェは、一点の曇りもない慈悲に満ちた瞳でアルテを見つめた。
「いいから。ちゃんと返しなさいよ」
アルテは冷たくあしらうように手を振った。
「わかっています。三日以内には、必ず返すわ」
意気揚々と、オルフェは店を出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、ニルスが不安げにアルテへ尋ねる。
「本当に大丈夫なんでしょうか? あんな大金、ちゃんと返してくれるんですか?」
「大丈夫よ。彼女、大嘘つきだけど……約束だけは絶対に守るわ。」
◇
それから二日が経った、夕暮れ時。
『どんぐり金庫』には、アトラスが借金返済に訪れていた。
彼は暖炉の前で、アルテが淹れたお茶を「ふぅふぅ」と冷ましながら、実にうまそうに啜っている。
「今の借金も、これでようやく完済ね。アトラス、ご苦労様」
事務作業を一休みし、同じく暖炉の前で茶を飲みながら、アルテが労いの言葉をかけた。
「……ああ」
アトラスは短く応じると、茶杯を置いてアルテを直視した。
「そこでだが。また金を借りてもいいか?」
その意外な申し出に、アルテは怪訝そうに首をかしげる。
「いいけれど。何か急な入り用でもできたのかしら?」
「いや、新しい防具を新調しようかと思ってな」
アトラスの返答は、どうにも歯切れが悪い。
「いいけれど……アトラス、あなた最近のクエストでそれなりに稼いでいるでしょう? 私から借金なんてしなくても、大抵のものは買えるはずだけど」
「いや……そうなんだが。……だめだろうか?」
なおも食い下がるアトラスに、アルテはますます首をかしげた。
「まあ、断る理由はないけれど」
そんな奇妙なやり取りをしている最中、カランカランと乾いたドアベルの音が響いた。
「ごめんください」
扉を開けて入ってきたのは、オルフェだった。
夕日に照らされたその姿は相変わらず神々しいが、アルテには、それが胡散臭くて仕方がない。
「いらっしゃい、オルフェ」
「アルテ、約束通りお金を返しにきました」
オルフェは背中に背負っていた、重そうな革袋をカウンターの上に「どすっ」と置いた。
「利子もしっかり上乗せしてありますから」
満足げに微笑んだ彼女は、暖炉の前で座っている男の存在に気づく。
「あら、先客かしら?」
アトラスがオルフェを仰ぎ見る。彼は短く会釈をした。
アルテは革袋の紐を解き、中身を確かめながら二人を紹介した。
「アトラス、彼女はオルフェ。私の元パーティ仲間。……オルフェ、彼はアトラス」
「アトラス。戦士だ」
アトラスは淡々と、淡泊に挨拶を済ませた。
「あらあら。よろしくね、アトラスさん」
オルフェはそう言うと、勧められるよりも早く暖炉前の一等席に腰を下ろした。アルテはあきれつつも、彼女の分のお茶を淹れてやる。
アルテは返済金額を確認しつつ、ふと、ある素朴な疑問をぶつけた。
「オルフェ。あなたは必ず約束を守ると思っていたけれど……それにしても、百万ゴールドなんて大金を、こんな短期間にどうやって用意したの?」
「ふふっ」
オルフェは心底おかしそうに、鈴を転がすような声で笑った。
「わたくし、馬車に『商品』をいっぱい積んで帰ってきたんですよ」
「商品?」
「そう。塩です」
「塩か」
アトラスが感心したように繰り返した。
アルテも内心で舌を巻く。塩はこの街から遠く離れた産地でしか採れず、物流の不安定な冬場には特に貴重品となる。
「この街の商会に、かなりいい値で売れました。」
オルフェは熱い茶をゆっくりと啜り、ふぅと息をついてから話を続けた。
「この二年間、商売をしながらあちこちを回りましてね。どこで何が必要とされているか、さんざん調べ尽くしましたの。やはり、こういうことは現地へ行き、そこの人々の生の声を聞いてみないと、なかなか分からないものですよ」
そう言って胸を張るオルフェの姿を見て、アルテは二年前の春の日を思い出していた。
なけなしの金でこの街の特産品を少しばかり買い、それを荷馬車の一角にちょこんと載せて、コトコトと頼りなげに旅立っていった彼女の後ろ姿を。
(――そうか)
行く先々の市場で、街角で、そして何より酒場で。
商人、冒険者、そして街の住人たち。オルフェはあらゆる人々の輪に飛び込み、さまざまな情報を引き出していたのだ。酒場の中心で、屈強な男たちに混ざって豪快にジョッキを煽り、笑い声を響かせる彼女の姿がありありと脳裏に浮かぶ。
いかにも彼女らしいやり方だ、とアルテは納得した。
そうして積み上げた情報の結晶が、百万ゴールド以上の価値がある「塩」という商品に姿を変え、彼女の馬車を満載にして戻ってきたのだ。
(この二年間、オルフェも死に物狂いで頑張っていたんだわ……)
アルテは少しだけ目頭が熱くなるのを感じた。
「しかし、女一人で方々を旅していたのか? 危なくはなかったのか?」
アトラスが、心底感心したように尋ねる。
「ふふ、これでも、冒険者の端くれですからね」
「アトラス。彼女、こう見えてもAランクよ」
アルテの補足に、アトラスは「はあ、そうは見えないが……」とさらに驚きの色を深める。
「冒険者が商売をして回る場合の最大の利点ですわね。護衛を雇う必要がありませんもの」
しれっと言ってのけるオルフェに、アルテは苦笑した。
「先日の話、山林で盗賊に襲われたというのは本当よ」
「ほう」
アトラスが声を上げる。
「それで、神官のあんたがどうやって一人で盗賊共を相手にしたのだ?」
「なぎ倒してやりましたわ」
「なぎ倒した……?」
予想外の物騒な返答に、アトラスは面食らった。
「アトラス。オルフェの戦い方は独特なのよ」
アルテが教える。
オルフェの武器はメイス。いや、メイスと呼ぶにはあまりに無骨だ。それは二メートル近い、太い鉄の棒である。
普段はそれを馬車に隠しており、いざという時はそれを引き抜いて戦場に立つ。防御魔法で自身の守りを極限まで高め、さらに『重量魔法』で重さを軽減したその「鉄塊」を、羽のように軽々と振り回すのだ。
接近戦ではまさに無双。相手からすれば、たまったものではない。
──参考になる。
おおよそ聖職者の戦い方ではないが、アルテはその合理的な戦闘スタイルに密かに感心していた。
「ははあ……なるほど」
アトラスも、半ば呆れたような顔で頷いた。
軽い口を叩きながら、アルテはカウンターで現金の確認を終える。
「……オルフェ。利子が多いわ。こんなに貰っていいの?」
「ふふ。もちろんですわ。またすぐにお世話になるでしょうからね」
オルフェが茶目っ気たっぷりに微笑む。
「オルフェ、この街にはいつまで?」
「春先にはまた行商に出ますわ。それまでは仕入れも兼ねて、この街に滞在します」
そうか。
しばしではあるが、背中を預けられる旧友が近くにいてくれる。アルテは、言葉にできない心強さを感じていた。
「さて!」
オルフェが勢いよく声を出す。
「では、参りましょうか。アルテ、アトラスさんも」
「どこへ?」
「決まっていますわ。わたくしの凱旋を祝う祝宴です! ギルドの皆さんも待っていますよ」
そう言って意気揚々と立ち上がるオルフェ。
(全く……ちゃっかりしているわね)
アルテは呆れ果てた。
この神官は、結局のところ、賑やかな場所が大好きなのだ。
アルテは苦笑いしながら、羽織りを手に取った。




