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どんぐり金庫の貸付帳 ――元Aランク冒険者の若き女店主は、今日も、駆け出し冒険者たちに金を貸す。――  作者: しばたろう


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10/13

10 預入1,000,000GOLD 聖女の売上金

 オルフェがグレイムの街に戻ってきてからというもの、アルテは事あるごとに彼女に飲みへと連れ出された。


 昼間のオルフェは、大商会との商談や特産品の買い付けで忙しそうに街を飛び回っている。しかし、夕暮れ時になると『どんぐり金庫』にひょこっと顔を出し、当然のような顔で言い放つのだ。


「行きますわよ、アルテ」


 それから始まるのは、街中の酒場を巡る賑やかな夜だった。

 酒場に一歩足を踏み入れれば、オルフェの周りには瞬く間に人だかりができる。神々しいほどに美しい神官が、神への祈りを捧げるような敬虔な仕草でエールを煽り、笑いあり涙ありの──それでいて最高にうさんくさい──冒険談を繰り広げるのだ。そんな光景、人気が出ないはずもなかった。


 隣に座るアルテは終始呆れっぱなしだったが、オルフェの凄みはそこからだった。彼女は狂騒の真っ只中にあっても、ちゃっかりと商売の匂いを嗅ぎ分けている。酔客の何気ない愚痴や自慢話から市場の飢えを読み取り、それを次の商談へと鮮やかに生かしていくのだ。


(……天性の商人、というべきかしらね)



 そんな賑やかな日々はあっという間に過ぎ去り、グレイムの街にようやく柔らかな春の気配が訪れようとしていた。


 オルフェが再び、この街を発つ時がやってきた。

 

 旅立ちの前日。

 オルフェは『どんぐり金庫』を訪れ、金貨の詰まったずっしりと重い革袋をカウンターにどさりと置いた。


「アルテ。百万ゴールドありますわ。あなたに預けますから、商売の元金として使いなさいな」


 不意の申し出に、アルテは目を丸くした。


「それは助かるけれど……本当にいいの?」

「もちろんですわ。ただし、いずれは利子をつけて返してくださいね」


 そう言ってオルフェが提示した利子は、市場では考えられないほど破格に安いものだった。

 


 旅立ちの早朝。

 まだ薄闇の残る街の門には、多くの飲み仲間が、オルフェの見送りにやってきていた。


「また美味い土産話を持って帰ってこいよ!」

「道中、飲みすぎるなよ、聖女様!」

 

 冒険者たちの粗野で温かい野次が飛ぶ中、アルテとオルフェは正面から向き合い、しっかりと握手を交わした。

 

「オルフェ。行ってらっしゃい」

 

 アルテの短い言葉に、オルフェは春の朝露を纏ったような、清々しい微笑みを返した。

 

「行ってまいります、アルテ。今度は、もう少し早く帰ってきますわ」

 

 背後の荷馬車には、グレイムが誇る精緻な銀細工や、光沢の美しい絹の織物といった特産品が、隙間もないほど満載されていた。


 オルフェは、軽やかな足取りで馬車の御者台に乗り込む。そして一度も振り返ることなく、春霞に煙る街道の先へとゆっくりと馬車を走らせていった。

 

 アルテは、小さくなっていくその背中を、見えなくなるまで見つめていた。

 

 二年前、頼りなげに消えていった後ろ姿とはもう違う。

 今はただ、どこまでも頼もしく、この街に再び賑やかな風を連れて戻ってくるであろう友の背中を、アルテは眩しそうに、そして誇らしげに見守っていた。

 


 グレイムの街は、鮮やかな新緑の季節を迎えていた。

 街路の木々は競い合うように青々と茂り、窓から入り込む風には若葉の瑞々しい匂いが混じっている。

 

 その日、『どんぐり金庫』には、魔術師のルカと神官のノエルが訪れていた。

 アルテはカウンター越しに、二人の最近のクエストの成果について、楽しげに耳を傾けていた。この一年で二人は見違えるほどたくましく成長した。この春、冒険者ランクもFランクからEランクへと昇進したという。

 

 冒険者は皆、Fランクから出発する。それは「駆け出し」の証であり、ある意味では誰にでもなれる身分だ。仕事といえば単純な労働も多く、その大半は次の段階に上がることなく生涯を終えていく。

 だからこそ、一定の成果を上げて実力を認められた者が手にするEランクは、一端の冒険者として認められた真のスタート地点といえた。

 

 Eランクの証である褐色のプレートを誇らしげに見せる二人に、アルテは自然と笑みを浮かべる。若者たちの成長を間近で見守れるのは、彼女にとっても何より嬉しいことだった。

 

「おめでとう。でも、ランクが上がったからって調子に乗っては駄目よ。より危険な依頼が増えるんだから」

 

 アルテが姉のように釘を刺していた、その時だった。

 

 カランカラン、と軽やかなドアベルの音が店内に響いた。

 

「……ほう、いい店じゃないか」

 

 黒いローブを優雅に羽織り、手に細身の杖を携えた若い男が、柔らかな笑顔と共に入ってきた。

 その後ろには、旅装束に身を包んだ同じく若い女性が続いており、興味深げに店内を見回している。

 

「セドリック!」

 

 アルテは思わず声を上げ、カウンターを回り込んで彼のもとへと駆け寄った。

 

「やあ、アルテ。……ただいま。帰ってきたよ」

 

 セドリックは、二年前と変わらぬ優し気な瞳を細めて応じた。

 

「おかえりなさい、セドリック」

 

 

「つい最近、オルフェが旅立ったところなのよ」

 アルテは二人に茶を出しながら、少し残念そうに報告した。

 

「そうか。入れ違いだったか。オルフェは元気にしていたか?」


 懐かしそうに目を細めるセドリック。そんな会話の横で、ルカとノエルは置物のように緊張して固まっていた。目の前の男から放たれる、熟練の魔術師特有の濃密な魔力の気配を敏感に感じ取っていたのだろう。

 

 アルテはそんな若者たちの様子に気づき、苦笑しながらセドリックを紹介した。

「ルカ、ノエル。彼はセドリック。私の元パーティ仲間で、Aランクの魔術師よ」


「A、Aランク……!」

 それを聞いて、ルカの背筋が凍りついたように伸びた。同じ魔術師として、Aランクといえば雲の上の存在だ。


「ルカと言います! ぼ、僕も魔術師です。よろしくお願いします!」

 裏返りそうな声で、精一杯の挨拶を絞り出すルカ。


 しかし、アルテは先ほどから、セドリックの後ろにちょこんと控えめに座っている女性が気になって仕方がなかった。短めの黒髪に白い肌が映える、凛とした美しさを持つ女性だ。年の頃はアルテと同じくらいに見える。

 

「セドリック。……そちらの女性は?」


「ああ、紹介しよう」

 セドリックは事も無げに、けれどどこか誇らしげに彼女を促した。

「彼女はベアトリス。私の妻だ」


「妻!?」

 アルテは思わず仰天して立ち上がった。

 隣でベアトリスは、驚くアルテを前にしても顔色ひとつ変えず、ただ丁寧かつ静かにぺこりと頭を下げた。

 

「セドリック! あなた、結婚したの!」


「ああ、少し前にな。これからはこの街で、二人で暮らすつもりだ」


「あの……それは、おめでとうございます! お二人に神のご加護がありますように」

 ノエルが慌てて、神官らしい丁寧な祝福を口にした。

 

「うん、ありがとう」


 穏やかに笑うセドリック。対照的にアルテは、魂が抜けたようにどすんと椅子に座り込んだ。

 

「二年前……。『魔法薬の専門家を連れて帰る』と言って旅立って、まさか奥さんを連れて帰ってくるなんて」


 アルテが呆れたように、半分独り言のようにこぼすと、セドリックは全く意に介さず、肩をすくめてみせた。


「間違いじゃないさ、アルテ。彼女こそが、その『魔法薬の専門家』なんだ」


 そう言ってセドリックは、この二年の旅路で起きた数々の出来事と、彼女との出会いについて、ゆっくりと語り始めた。

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