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どんぐり金庫の貸付帳 ――元Aランク冒険者の若き女店主は、今日も、駆け出し冒険者たちに金を貸す。――  作者: しばたろう


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11 魔術師の旅立ち

 冒険者がクエストに挑む際、魔術師や神官が振るう補助魔術は、文字通りパーティの生命線となる。

 体力回復、解毒、攻撃力や防御力の強化。それらの支援があるかないかは、クエストの成否どころか、メンバーの生死を分かつ決定的な差となるからだ。


 しかし、とセドリックは思う。

 これらの魔術を習得し、実戦で使いこなすには、膨大な時間と天賦の才能を要する。端的に言えば、あまりに対価に見合わないのだ。その結果、駆け出し冒険者たちは、常に死の危険と隣り合わせで活動することを強いられる。


 その解決策こそが、魔法薬ポーションだ。

 魔法薬さえあれば、呪文を唱えられずともベテランの術者と同等の恩恵を得ることができる。誰にでも扱える極めて有用な道具だが、これには致命的な欠点が一つあった。

 あまりにも高価すぎるのだ。


 魔法薬を精製できる者は限られ、さらにその産地は人里離れた秘境に限定されている。山奥から商人によって運ばれる過程で、物流費、護衛費用、そして商人の利益が上乗せされる。街の魔道具店に並ぶ頃には、駆け出しの若者がなかなか手を出せない「高級品」に化けているのだ。

 結局、持たざる若者たちは、運を天に任せて戦場へ向かうしかない。


 もしも、とセドリックは考える。

 これら魔法薬を、若者たちが手の届く価格で提供できたなら、冒険者の生存率は劇的に跳ね上がるはずだ。


 では、どうすればよいか。答えは明快だった。

 街で魔法薬を直接生産すればいい。

 そのためには、魔法薬の産地から本物の専門家をスカウトし、この街へ連れてくる必要がある。


 ターゲットは、聖地『ハイ・ドラシル』。

 北の険しい山奥に位置する、魔法薬の一大生産地。ここグレイムの街から、荷馬車を飛ばしても三ヶ月はかかるだろう。道中には強力な魔物も蔓延り、並の冒険者では辿り着くことすら叶わない。

 だが、自分なら、Aランクの魔術師である自分なら到達できる。


 そうして二年前、セドリックはアルテたち仲間に見送られながら、確かな野心と計算を胸に、グレイムの街を出発したのだった。

 


 夏が本格的な訪れを告げるころ、セドリックはようやく『ハイ・ドラシル』へと到着した。

 三ヶ月に及ぶ旅路の途中、飢えた魔物や血気盛んな山賊に行く手を阻まれることもあったが、Aランク魔術師である彼にとっては、それらはいずれも難なく退けられる程度の障害に過ぎなかった。


 セドリック自身、この地を訪れるのは初めてだった。

 眼前に現れたのは、険しい山脈の麓に抱かれ、神々しい雪山を背景に築かれた、静謐で威厳に満ちた街だった。大気には微かに薬草の香りと、濃密な魔力の気配が混じっている。


 街の入り口では、門番たちが驚きを隠せずにいた。通常、この聖地を訪れる者は、厳重な護衛を伴った大規模な商隊に限られるからだ。杖一本を携え、平然と一人で現れた「噂の魔術師」の存在は、またたく間に街中へと広まっていった。


 この街は「調合師ギルド」によって統治されている。

 本来、よそ者は徹底して冷遇され、門前払いを食らうのが通例であった。しかし、「単身で山を越えてきた凄腕の魔術師」という異例の肩書きが功を奏し、セドリックは運良くギルドの長老との面会を取り付けることができた。


 しかし、本当の困難はそこからだった。

 セドリックが「未来ある冒険者の生存率を上げるために、調合師をグレイムの街へ派遣してほしい」と申し出ても、長老の返答は極めて渋いものだった。


「魔術師殿、貴殿の熱意は理解した。だが、ここは我らにとっての聖域なのだ」


 長老は、窓の外に広がる美しい薬草園を見つめながら淡々と続けた。

「この『ハイ・ドラシル』に迎え入れられ、その秘儀に触れることこそが、調合師にとっての最高到達点であり、生涯の誉れ。それを捨ててまで、わざわざ下界へ降り、俗世の街へ赴こうなどという変わり者がいると思うかね?」


 長老の言葉は正論だった。この地の住人にとって、山を下りることは「追放」や「没落」に近い意味を持つ。セドリックが提示した、駆け出し冒険者を救うという理想や経済的なメリットも、聖地の矜持プライドという高い壁の前に、虚しく響くだけであった。

 しかし、長老の冷淡な言葉を前にしても、セドリックの心は折れなかった。

 彼の脳裏には、グレイムの街で袂を分けた仲間たちの顔が、鮮明に浮かんでいた。


(――俺一人、諦めるわけにはいかないんだ)


 この閉鎖的な聖地の中にも、自身の考えに共感し、外の世界に目を向けてくれる調合師が一人くらいはいるはずだ。

 それからのセドリックは、なりふり構わず動いた。ギルドや酒場で聞き込みをし、可能性がありそうな人物の情報をかき集めては、片っ端から調合師たちを訪ね歩いた。


だが、現実は非情だった。

「山を降りる? 正気か」「下界の汚れた水で、まともな魔法薬が作れるはずがない」

 返ってくるのは、軽蔑と嘲笑ばかり。成果の無いまま、ただ時間だけが過ぎていく。


 そんな日々がひと月ほど続いたある夜。酒場の隅で耳にした小さな噂が、セドリックの足を止めさせた。

 街外れの、さらに険しい丘の上に一人で住んでいる調合師がいるという。腕は一流だが、人とかかわることを避けている「変わり者」だと。


 セドリックは、これが最後のチャンスかもしれないという一縷の望みを抱き、翌朝、朝露に濡れる丘へと向かった。

 

 緑の芝生が広がる丘の頂上。そこに、慎ましくも手入れの行き届いた一軒家が建っていた。家の周りには、見たこともないほど生き生きとした薬草が風に揺れている。


 セドリックがその扉を静かに叩くと、やがて内側から鍵の外れる音がした。

 わずかに開いた扉の隙間から顔を覗かせたのは、訝しげな表情を浮かべた若い女性だった。


「………………」


 セドリックは思わず絶句した。この少女のような面影を残す女性が、あの噂の調合師なのだろうか。物語に出てくるような、深い皺の刻まれた老婆の魔女を想像していた彼は、あまりのギャップに少し面食らってしまう。


「………………」


 沈黙に耐えかね、セドリックは慌てて居住まいを正した。


「初めまして。私はセドリック、グレイムの街から参りました。……実は、グレイムの街へ同行し、力を貸してくださる調合師殿を探しているのです」


「………………」


「……数々の噂を伺い、あなたこそがその方だとお見受けしました。どうか、少しだけで構いません。話を聞いていただけないでしょうか」


「………………」


 返ってきたのは、返事ではなく、拒絶を物語る沈黙だった。

 バタン、と静かに、けれどしっかりと扉を閉められてしまう。


 しかし、セドリックは諦めなかった。この程度の反応は、ある程度想定内だ。彼は閉ざされた扉に向かって、努めて明るい声を張り上げた。


「……長旅の挨拶代わりに、下の街で評判のケーキを買ってまいりました。宜しければ、お茶のお供にでも」


 その言葉を聞いた瞬間、再び扉がゆっくりと開いた。

 先ほどの女性は、仏頂面のままで視線を泳がせていたが、やがて困ったように眉を下げると、小さな声で「……どうぞ」と呟き、自身が道を開けることで中へ入るよう促した。


 招き入れられた部屋の壁には、多種多様な薬草が所狭しと吊るされ、独特の清涼な香りが充満していた。壁際の棚にはビーカーやフラスコ、精密な天秤などの機材が整然と並べられており、ここが真摯な研究の場であることを物語っている。

 

 彼女は部屋の中央にある小さなテーブルの椅子を控えめに指し示し、自分も向かいの席に腰を下ろした。


 彼女が淹れてくれたお茶は、驚くほど香りが高く、丁寧な仕事を感じさせるものだった。


「改めまして。魔術師のセドリックです」

 彼は相手の目を見つめ、できる限りの誠意を込めて名乗った。


「……ベアトリス、です」

 彼女は蚊の鳴くような小さな声で、短く答えた。


 セドリックは、自分がなぜこの聖地を訪れたのか、その目的を語り始めた。駆け出しの冒険者たちが安価な魔法薬を持てずに命を落としていく現状。街で魔法薬を生産し、その流れを変えたいという決意。そして、そのためにこの街の調合師の類稀なる技術を必要としていること――。


 ベアトリスは、セドリックが差し出したケーキを心底美味しそうに頬張りながら、彼の熱い弁論にじっと耳を傾けていた。

 

 セドリックがすべての目的を語り終え、部屋に一時の静寂が訪れた。

 

「……いかがなものでしょうか。私の、この提案は」

 

「………………」

 

 ベアトリスは、じっとセドリックを見つめている。その瞳は澄んでいるが、何を考えているのかは読み取れない。

 

「………………」

「………………」

 

 返事が無い。

 ただ、茶器から立ち上る湯気の音だけが聞こえるような沈黙。セドリックは冷や汗が背中を流れるのを感じていた。Aランク魔術師として数々の窮地を乗り越えてきた彼だったが、この得体の知れない「間」には、どうにも耐性がなかった。

 

 困り果てたセドリックは、逃げるように視線を動かし、ふと壁際に吊るされている一際鮮やかな、燃えるような緋色をした花束に目を留めた。

 

「あ……あのような美しい花を見たのは初めてです。失礼ですが、あれも魔法薬の材料なのでしょうか?」

 

 苦し紛れに投げかけた、話題の転換。だが、その問いを聞いた瞬間、ベアトリスの肩が微かに跳ねた。

 

「……あの花は」

 

 ベアトリスは、ぼそっと、壊れた楽器を直すかのように話し始めた。

 

「……『灯火草』といって。この聖地の標高三千メートル以上の、断崖の隙間にしか咲かない、特殊な変異種、です。普通の魔法薬学の教科書には、載っていません。抽出する成分が、魔力の回路を一時的に……」

 

 セドリックが「ほう、そうなのですね」と相槌を打つたびに、彼女の言葉の端々に熱が籠もっていく。

 最初は途切れ途切れだった声が、次第に滑らかになり、早口になっていく。気づけば彼女は立ち上がり、壁から花束を下ろしてセドリックの目の前に突き出していた。

 

「この花の蜜を、銀の針で一滴ずつ採取して、月の光で三晩寝かせた基水と混ぜると、通常の三倍の吸収率を持つポーションができるんです。でも、今のギルドの皆さんは、伝統的な配合以外は認めない、不純物だなんて決めつけて……。分かっていないんです、植物の、本当の声が!」

 

 最後には、先ほどまでの無口な少女と同一人物とは思えないほど、彼女は生き生きと、そして止まることなく喋り続けていた。

 

 セドリックは圧倒されながらも、その瞳に宿る熱量を見て、確信した。

 

(この子……おそらく「配合オタク」だ)


 普段は物静かで人見知りの皮を被っているが、自分の愛するテリトリーの話になった途端、内なるスイッチが劇的に切り替わる。セドリックの知り合いの魔術師にも、魔術回路の構成案を語り出すと夜を明かすような、この手のタイプが何人かいた。


 彼らは一度熱が入ると、相手が誰であるかも、ここがどこであるかも忘れてしまう。今、目の前で身振り手振りを交え、薬草の有効性について熱弁を振るうベアトリスも、まさにその類だった。


 ――しかし。


 そんな彼女を眺めているうちに、セドリックの胸の奥に、理屈ではない感情が芽生えた。


 窓から差し込む陽光に透ける黒髪。夢中で何かを語り、キラキラと輝くその瞳。


(……美しい)


 セドリックは不意に、そう思った。

 それは魔術師としての冷静な観察眼ではなく、一人の男としての、あまりにも素直な感嘆だった。

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