12 魔術師の試練
ベアトリスは、はっと我に返った。
花束を握りしめた手を振りかざし、テーブルに身を乗り出した姿勢のまま、ぴたりと固まる。
途端に、彼女の顔が耳の付け根まで真っ赤に染まっていく。
「………………」
「………………」
沈黙。
「……すみません、つい」
消え入りそうな声でそう漏らすと、彼女はしゅるしゅると椅子に座り直し、膝の上で指をいじりながら小さく俯いてしまった。
(照れてる姿も、かわいいな)
場違いな感慨を抱いてしまったセドリックだったが、慌ててそれを心の隅に追いやり、フォローを入れる。
「いや、大変に面白い話を伺いました。私にとっても、非常に勉強になりましたよ」
「………………」
「……ベアトリスさん。あなたはこの仕事が、魔法薬のことが、大好きなのですね?」
セドリックの問いに、彼女はすぐには答えなかった。ただ、ぽつりぽつりと、自分自身に言い聞かせるように話し出した。
「……私、人とうまく話せなくて」
彼女の視線が、空になったケーキの皿に向けられる。
「……本当は、ケーキ屋さんに自分で行ってみたくても、お店に入ることもできなくて。……セドリックさんが、買ってきてくれて。とても、うれしかった、です」
どうやら、ケーキの威力は想定以上だったようだ。
自分の用意した手土産が、これほどまでに彼女の心を動かした。我ながらの先見の明に、セドリックは内心で少しだけ自画自賛した。
もっと人と話せるように努力しなさい、などという野暮な説教はしない。彼はただ、穏やかに微笑んで告げた。
「ケーキなんかでよければ、いくらでも買ってきますよ。もちろん、それ以外にも欲しいものがあれば、何でも言ってください」
その言葉を聞いた瞬間、ベアトリスの表情がぱっと明るくなった。
「……ありがとうございます」
はにかむように、彼女が笑う。
その笑顔を見つめながら、セドリックは心に決めた。この調合師を、時間をかけてでも口説き落とし、説得してみよう、と。
確かな実力がある。彼女という「魔法薬の専門家」がいれば、グレイムの街で自分たちが掲げた理想を実現できるかもしれない。
だが、彼が彼女を求めた理由は、もはやそれだけではなかった。
その確信に似た予感と、心に芽生えつつある特別な感情に、セドリック自身はまだ、気づいていなかった。
◇
それからというもの、セドリックは、頻繁にベアトリスの元を訪ねた。
手土産には、街で見つけた様々な美味しいものを携えて。ある日は彩り鮮やかな果実のタルト、またある日は香ばしく焼き上げられたナッツの焼き菓子。
しかし、彼はあえて「一緒に街へ来てほしい」という説得は口にしなかった。
ただ、彼女が淹れてくれたお茶を飲みながら、尽きることのない薬草談義に静かに耳を傾けた。彼女が語る植物の不思議や、精製理論の深淵。それを聞き届ける時間が、セドリックにとってもいつの間にか心地よいものになっていた。
ベアトリスもまた、足繁く通い詰めるこの奇特な魔術師に対し、少しずつ、凍土が解けるように打ち解けていった。
そんなある日のこと。ベアトリスは、お茶を濁すような沈黙の末、一つの悩みを打ち明けた。
どうしても手に入れたい薬草がある。だが、その生息地帯には極めて凶暴な魔物が出没するため、腕利きの冒険者でさえ近づこうとしない。自分も魔術師の端くれではあるが、戦闘魔法の才能は皆無に等しく、指をくわえて見ていることしかできないのだと。
話を聞いたセドリックは、内心で(好機だ)と確信した。
彼は頼もしく微笑み、ここぞとばかりに提案した。
「ならば、私がそれを取ってきましょう」
「……えっ?」
「忘れないでください、ベアトリスさん。私はこれでも、Aランクの魔術師です。あなたの望むその薬草、必ずやお手元に届けてみせますよ」
単なる恩売りではない。彼女の情熱に応えたいという純粋な衝動が、彼を突き動かしていた。
◇
ベアトリスが望むその薬草は、『紫苑の雫』という。
標高の高い岩場の影にひっそりと生息しているその花は、深い夜空のような濃紫色の花弁を持ち、中心部には星屑のように光る微細な花粉を湛えているという。茎や葉は銀色に近い灰色で、周囲の魔力を吸収して発光する性質を持っているとのことだった。
翌朝、セドリックはベアトリスに教えられた地点へと向かった。彼女が描いてくれた精緻な地図を頼りに、街の背後にそびえる峻険な山を登っていく。
昼前には鬱蒼とした森を抜け、目的の岩場へと近づいてきた。
ここで、セドリックはベアトリスから持たされた魔法薬を数本、取り出した。小瓶の中で鮮やかな色彩を称える液体は、それぞれ防御力強化、素早さ増強、そして判断力強化の効力があるという。
セドリックはそれぞれの封を切り、中身を飲み干した。
すると、瞬時に四肢へ力がみなぎり、視界が極限までクリアになるのが分かった。
(これは……!)
セドリックは目を見開いた。
かつて、オルフェにかけてもらった強化呪文と同等、あるいはそれ以上の威力を感じる。ベアトリスという女性は、魔法薬だけでAランク級の術式に匹敵する効能を引き出せるということだ。
(なるほど、彼女の実力は本物だ。……いや、天才か)
セドリックは改めて感心し、湧き上がる高揚感と共に岩場へと足を踏み入れた。周囲に魔物の気配がないことを慎重に確認しながら岩陰を覗いて回ると、『紫苑の雫』は案外すぐに見つかった。
闇の中で銀色に輝く葉と、妖艶に光る紫の花。薬草に詳しくないセドリックでも、一目で見分けられるほど特徴的な姿だった。
(案外、楽勝だったかな?)
そう思った、矢先のことだった。
突如として、上空が巨大な影に覆われる。
刹那――。
バサッ!
空気を切り裂くような、猛烈な急降下の気配。
振り向いたセドリックの目に飛び込んできたのは、鷲の上半身とライオンの下半身を持つ魔物――グリフィンだった。
セドリックは咄嗟に身をひるがえし、距離を取ろうとする。だが、強化薬で高められた反射速度をもってしても、天の捕食者の方がわずかに早かった。
グリフィンの鋭利な鉤爪が、セドリックの背中を無慈悲に引き裂いた。
「ぐはぁっ……!」
背中に焼けるような激痛が走る。
セドリックは転げるようにして岩陰に身を寄せ、震える手ですばやく腰のポーチを探った。取り出したのは、同じくベアトリスに持たされていた回復の魔法薬だ。
一気に飲み干すと、途端に傷口から熱が引き、痛みが嘘のように和らいでいく。
セドリックが岩の隙間から上空を見上げると、グリフィンは獲物を追い詰めるように悠々と旋回していた。
(……なるほど。俺が岩陰から出てくるのを待っているな。賢い奴だ)
グリフィンの生息域であることは、ベアトリスからも聞いていた。
だが、これほど完璧に気配を消して近づいてくるとは。自分としたことが、あまりの薬草の美しさに少し油断していたようだ。セドリックは短く息を吐き、反省した。
――しかし。
この回復薬の効果も申し分ない。何より、先ほどの強化魔法薬を飲んでいなければ、最初の一撃で背骨ごと断たれて死んでいただろう。
そう考えると、背筋が凍る思いだった。
「……さて」
セドリックはゆっくりと立ち上がり、岩場から堂々と歩み出た。
頭上で金色の瞳を光らせるグリフィンと、真っ向から対峙する。
「対決といこうか。」




