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どんぐり金庫の貸付帳 ――元Aランク冒険者の若き女店主は、今日も、駆け出し冒険者たちに金を貸す。――  作者: しばたろう


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05 貸付500,000GOLD 白銀の剣

 アルテがギルドへ赴き、事情を説明すると、受付嬢は顔を真っ青にして平伏した。

 

「申し訳ありません! ギルドが紹介した冒険者が、アルテさんの融資を踏み倒すなんて。すぐに手配を――」


 しかし、アルテは驚くほど冷静だった。その表情には怒りすら浮かんでいない。


「いいのよ。最初から怪しいと思っていたもの」

「え……? 気づいていらしたのですか?」

「ええ。握手をして確信したわ」


 アルテの瞳に、底冷えするような光が宿る。


「あれは、戦士の手ではない。」


 アルテは、ギルドの過失を不問とする代わりに、ひとつだけ、依頼をした。


「広く、報知してもらえるかしら。」

「『どんぐり金庫』のアルテが、今から取り立てに行く、と」


 受付嬢が唾を呑み込む音が聞こえた。


 

 店に戻ったアルテは、金庫の奥から「対」となる無地の腕輪を取り出した。


 レオンハルトに与えたのは、幸運を呼ぶ宝飾品などではない。魔道具師ロザリアと裏で通じ、標的の居場所を刻一刻と伝え続ける『探索の魔道具』に他ならなかった。

 対となる腕輪をはめたアルテの左腕が、脈打つ熱を帯びて一定の方向を指し示す。


「……逃げたわね。西へ三日の、隣町か」


 アルテは可憐な受付嬢のドレスを脱ぎ捨て、かつて戦場を駆けた軽装の防具に身を包んだ。そして、自らの背丈ほどもある漆黒の剛弓を肩にかけ、静かに店を後にした。



 隣町、ルミエ。

 

 ゴルテは、『白銀の剣』を売り払った金で贅沢な酒を煽り、上機嫌で街を歩いていた。

 好青年の仮面を脱いだその顔には、他人を出し抜いた悦びに浸る、醜悪な笑みが浮かんでいた。レオンハルトという偽名と共に、あの「世間知らずな金貸しの娘」を騙し通した勝利の味。


 金貸しの娘が取り立てを宣言したという噂は、彼の耳にも届いていた。


 だが、今さら居場所などわかるはずもない。捕まえられるものなら捕まえてみやがれ――鼻歌まじりに角を曲がった、その瞬間だった。


――シュッ!


 空気を裂く鋭い音。直後、ゴルテの右頬に熱い衝撃が走った。

 真横の石壁に、深く、深々と一本の矢が突き刺さる。


「……え?」


 頬を伝う血が、冷え切った外気に触れて体温を奪う。騒然とする通行人。ゴルテは震える手で頬を押さる。


 慌てて視線を投げた先、遥か遠方。教会の尖塔の天辺に、針の先のような小さな人影が見えた。


(……嘘だろ。あんな、数百メートルの距離から、街中を縫って射抜いたのか!?)


 ありえない。だが、人影の手にある弓が、夕陽を浴びて死神の鎌のように鈍く光った。


 恐怖に駆られたゴルテは、逃げるように路地裏へ飛び込んだ。だが、数分と経たぬうちに、今度は足首を掠めるように二本目が飛んでくる。逃げても、隠れても、まるで見透かされているかのように矢が降ってくるのだ。


(なぜだ、なぜ居場所がわかる!? まさか――)


 ゴルテは、自分の左腕で不気味に輝く『幸運の腕輪』を見つめた。

 金貸しの娘が、あの優しい手つきで嵌めてくれた呪物。彼は狂ったように腕輪を外そうとしたが、金具は肉に食い込んだかのようにびくともせず、冷たく手首を締め上げた。


「……あ、あああ……っ!」


 ゴルテは、今、理解した。

 逃げ場など最初からなかったのだ。あの女は、わざと自分を「逃がして」いたのだ。

 街中の、人目に触れる場所で、少しずつ、確実に獲物を追い詰める。それがどれほどの恐怖を植え付け、どれほど残酷な「見せしめ」になるかを知り尽くした上での凶行だった。



 程なくして。

 

 『どんぐり金庫』の扉を、ガタガタと震える男が叩いた。


「……こ、これ……! 全額、返します! 利息も、上乗せしますから! 助けてくれッ!」


 床に額を擦り付け、涙と鼻水にまみれて許しを乞うゴルテ。その無様な姿を、アルテはカウンターの中から、書き物をしたまま一瞥もしなかった。


「返済期限は過ぎているわ。遅延損害金として、その腕輪の『解除料』もいただくわね」


 筆を置く音だけが、静かな店内に響く。

 

 この一件は、瞬く間に近隣の裏社会まで響き渡った。

「あの店の金を使い込むのは、死神に借金するのと同じだ」と。



 冬の気配が街を包み始めたころ、『どんぐり金庫』の扉を一枚の影が遮った。


「邪魔をする」


 短く、地を這うような低い声。

「いらっしゃいませ」

 アルテはいつものように事務的な微笑みを浮かべて顔を上げた。


 そこに立っていたのは、二十代半ばの若者だった。鍛え上げられた逞しい体躯を、実戦慣れした皮の鎧と鉄の胸当てで包んでいる。陽に焼けた精悍な顔立ちは、彼が野外での過酷な活動を常としていることを物語っていた。


(また、戦士……?)

 先日の取り立て騒ぎの記憶が新しいアルテは、無意識のうちに警戒の糸を張る。だが、その若者はアルテの予想とは異なる反応を見せた。


 戦士は、じっとアルテを見つめている。

 

 いや、

 

 見つめているというよりは、彼女を見た瞬間に固まってしまったという表現のほうが正しかった。


「……?」

 アルテが怪訝な表情を浮かべると、若者はハッと我に返ったように口を開いた。


「アトラス。戦士だ。剣が破損した。新調するための金を工面してもらいたい」


 感情の起伏を感じさせない、淡々とした物言いだった。アルテは続きを待ったが、どうやら説明はそれで終わりのようだった。沈黙が流れる中、アトラスは腰の剣を鞘ごと引き抜き、静かにカウンターの上へと置いた。


「見てくれ」


 アルテが中の剣を引き抜くと、ずっしりとした鉄の重みが手に伝わった。手入れこそ行き届いているが、どこにでもある平凡な長剣だ。高価な魔導銀も、付与魔法の痕跡もない。


 そしてその刃は、中ほどから無残に叩き折られていた。


「アイアンベアにやられた。油断した」


 聞けば、彼はこの街のギルドに登録したばかりの渡り鳥で、早々にアイアンベア討伐の依頼を受けたのだという。その戦闘中、魔物の剛腕によって剣をへし折られたのだと。


「……そのアイアンベアは、どうなったの?」

「逃がした」


 悔しそうに戦士は答える。

 

 アルテは内心で呆れ果てた。

 アイアンベアといえば、その名の通り鋼鉄のごとき皮膚を持つ猛獣だ。

 それを、平凡な鉄の剣一本で迎え撃ち、武器をへし折られながらも、致命傷を負うことなくここへ帰還したというのか。


(もし話が本当なら、この男……底が知れないわね。)


 アルテが品定めするようにまじまじと顔を覗き込むと、アトラスはそれに気づいたのか、ぷいっと不自然に顔を横に背けた。


「……金を貸してもらえるのか?」


「……ええ、いいでしょう」


 アルテはいつもの「特殊な融資条件」を説明した。融資額も、その使い道も、すべてアルテが決めるという一方的なルール。


「そのように聞いている。異存はない」


 アトラスは横を向いたまま、短い言葉で同意した。


「では、契約成立ね」


 アルテはにっこりと、営業用の可憐な笑みを浮かべて白く細い手を差し出した。

 アトラスはその手を見て、またしても彫像のように固まった。


(……なにか、やましいことでもあるのかしら?)


 アルテが訝しげに眉をひそめた、その時。

 アトラスは意を決したように、彼女の小さな手を包み込むように握り返した。


 伝わってきたのは、岩のように武骨で、無数のタコに覆われた硬い感触。


 ――本物のようね。

 

 

 冬の冷たい風が石畳を抜ける中、二人は連れ立ってバルカスの武器屋へと向かった。

 

 道すがら、アルテは隣を歩くアトラスにそれとなく世間話を振る。素性を確かめるのは金貸しとしての「尋問」に近いが、同時に、この底の見えない男への純粋な興味も否定できなかった。

 

 聞けば、幼少期から剣を学び、以前は国境近くで傭兵をしていたという。驚いたのは、その年齢だった。

「二十歳だ」

「……え?」

 アルテは思わず足を止めた。ずいぶん年上だと思っていた相手が、まさか自分と同い年だったとは。

 

 若々しさとは無縁の、死線を越えてきた者特有の佇まい。真逆の方向ではあるが、自分と同じく「年相応に見られない」その境遇に、アルテは密かな親近感を覚えた。

 

 バルカスの店に入ると、主人はアルテの連れてきた戦士を一目見て、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。

「今度は本物か?」

 先日の詐欺師の件を面白がっているのだ。アルテは肩をすくめて返した。

「ご期待に沿えず申し訳ないけれど、今回は本物のようよ」

 軽口を叩きながら店内を見渡す。

「いくら腕が良くても、それなりの武器でないとアイアンベアを相手にするのは難しいわね」

 独り言ちながら、アルテは一振りの鋼鉄の剣を手に取った。ずっしりとした重みに一瞬よろめきながらも、それをアトラスに示す。

「これなら値段も手ごろで、切れ味もいいわ。どうかしら?」

 

 アトラスはアルテの手からひょいと剣を受け取った。

「八万ゴールド。手ごろな値段でしょう?」

 剣を吟味するアトラスが、不意に問いかけた。

「借りる金が多くなると、返済はどうなる?」

「その分、返済期間が延びるわよ」

「ふむ」

 アトラスはそう言うと、鋼の剣をそっとアルテに返した。そして、迷いのない足取りで店の奥に飾られた一振りを指差した。

「これにしたい」

 

 それは、白銀の剣だった。

 くしくもあの詐欺師が望んだのと同じ、五〇万ゴールドの値がついた逸品。

「確かに良い剣だけれど……ずいぶん高価よ。返済、かなり長引くわよ?」

「構わない」

 短く、しかし鋼のように硬い意思を込めた返答。

(まったく、男っていう生き物は……)

 アルテは内心で呆れながらも、その潔さを嫌いにはなれなかった。彼女は流れるような所作で、高額の支払いを済ませた。


 アトラスは白銀の剣を受け取ると、短く礼を言って去っていった。その後ろ姿を見送りながら、アルテは腕を組む。

「今度は大丈夫だと思うけれど……ちゃんと返済期日に来て頂戴よ」

 独り言は、冬の空気に白く溶けて消えた。



 結果として、アルテの心配は杞憂に終わった。

 アトラスは期日どころか、一週間も経たないうちに店へ現れたのだ。

「アイアンベアは倒した」

 まるで裏山の兎でも狩ってきたかのような淡々とした口ぶりで報告し、約束の額をきっちりと支払った。

 

 アルテはまたしても呆れたが、債務者の近況を早く知れるのはありがたい。茶を出し、話を聞くことにした。

「今度の剣は折れることはなかった。切れ味もいい。こんな良い剣は初めてだ。……デカい相手はいい。的がデカいからな。当分、この街でやっていくつもりだ」

 一通り話すと、彼は満足げに去っていった。

 この調子なら返済の心配はなさそうだ。なにより、あの無骨な戦士がこの街に馴染めそうなことが、アルテには少しだけ嬉しかった。


 

 ところが、それからまた一週間も経たないうちに、アトラスは姿を見せた。

「大イノシシの群れを狩った」

 

 アルテは椅子から落ちそうになった。

(飛ばしすぎじゃないかしら?)

「……そんなに返済を急がなくてもいいのよ?」

 思わず心配して声をかけるが、アトラスは一切動じない。

「問題ない」

 

 どうやら今後もこのペースで通い詰めてくるつもりのようだ。

(まったく、何を考えているんだか)

 経営者としての計算を遥かに上回る「超高速返済」を前に、アルテはただただ呆れ顔で、彼に淹れたてのお茶を差し出すのだった。

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