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どんぐり金庫の貸付帳 ――元Aランク冒険者の若き女店主は、今日も、駆け出し冒険者たちに金を貸す。――  作者: しばたろう


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04 貸付500,000GOLD 白銀の剣、他

 アルテはその場で、大猪の解体を始めた。

 返り血を厭わぬ慣れた手つきで刃を振るい、ニルスに手ほどきしながら作業を進めていく。


 狩人にとって、獲物の命を余さず「資源」に変える解体技術は、弓を射るのと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なスキルだ。ニルスは鼻を突く血の匂いに顔を顰めることもなく、真剣な表情でその一挙手一投足を見守り、指示されるがまま懸命にアルテを手伝った。


「これは、あなたにあげるわ。街のギルドに持っていけば、良い値で買い取ってもらえるはずよ」

 

 アルテが切り分けられた肉や皮を指してそう言うと、ニルスは驚きに目を見開いた。

「いいんですか? アルテさんが仕留めたのに……ありがとうございます!」

 彼は卑屈になることもなく、その幸運を素直に喜んだ。その実直さが、アルテにはどこか眩しく感じられた。


 帰り際、森の入り口付近に仕掛けた罠を確認すると、そこには一匹の兎が引っかかっていた。

(……次は、兎の解体も教えてあげないとね)

 

 そんなことを思いながら、アルテは自ら獲物を背負って歩くニルスを伴い、街へと戻った。

 

 日は既に高く昇り、強い陽光が石畳を照らしている。

「今日は、店を開けるのが少し遅くなりそうね……」

 

 事務仕事に追われる日常では味わえない、心地よい肉体の疲労感。アルテはそれを密かに楽しみながら、自分の店へと続く路地を曲がった。



 それからというもの、ニルスは一日も休むことなく早朝の狩りに同行した。

 アルテに言われた通り、日中も一人で鍛錬を積んでいるのだろう。彼の細かった腕は引き締まり、弓を引く所作も日増しに力強くなっていく。めきめきと上達するその腕前は、アルテの予想を上回るものだった。


 そして、空気が澄み渡り、街の木々が色づき始めた秋が訪れる頃。

 ニルスはついに、自分ひとりの力で一頭の鹿を射抜くことに成功した。


 倒れた獲物を前に、自分の手を見つめて震えるニルス。

 その背中を見つめながら、アルテは秋の爽やかな風を吸い込み、小さく、満足げに目を細めた。

 

 ニルスは、仕留めた鹿の解体を始めた。滴る血を避け、関節に迷いなく刃を通すその手つきは、この数ヶ月で随分と手慣れてきている。もはや一人前と言っても差し支えないだろう。

 

 アルテが傍らでともに作業を行っていると、ふと、ニルスが手を止め、アルテの方を向いた。

「俺、アルテさんのような、立派なレンジャーになりたいと思います」

 静かに、しかし決意の籠もった強い声だった。

 

 アルテは、その真剣な眼差しに射すくめられ、少しだけ意表を突かれた。

 日々の生活の糧を得るためにと狩りの技術を教えてはいたが、自分と同じレンジャーにさせるつもりはなかったのだ。

 

(……ああ、そうか)

 アルテは、無我夢中で父親の背中を追いかけていた幼い頃の自分を、ふと思い出す。

 意図せずとも、自身の振る舞いがこの若者に多大な影響を及ぼしてしまったのだと、今さらながらに気づかされた。

 

 だが、事実は事実としてある。

(――この子には、狩りのセンスがあるわ)

 土を掴む足腰の強さ、獲物を待つ忍耐、そして迷いのない指先。彼なら、きっと良いレンジャーになれるだろう。

 

 アルテもまた、獲物に視線を戻したまま、短く、しかし確かに答えた。

「やってみなさい」

 

 その日、ニルスはギルドへと向かい、自身の職業を『レンジャー』として正式に登録した。

 お祝いにと、アルテは自身のコレクションの中から、初級レンジャーにとって最も扱いやすい一張りの弓を贈った。年季は入っているが、弦の張りといい、握りの馴染みといい、手入れは完璧に行き届いている。

 

「家宝にします!」

 飛び上がらんばかりに喜ぶニルスの様子に、アルテは「大げさね」と苦笑する。

 

 それからしばらくして、彼は別の若手冒険者パーティから勧誘を受けた。これでいよいよ、本格的に冒険者としての活動が始まることになる。

 

 その報告に店に訪れたニルスは、去り際に、

「これからも、朝の狩り、ご一緒しても良いですか?」

 ニルスは遠慮がちに、伺うような瞳で尋ねた。

 

 特に断る理由もない。

 

「ええ。時間があるとき、いつでもいらっしゃい」

 アルテの答えは、相変わらずそっけない。

 

 だが、遠ざかる彼の背中を見送りながら、彼女は密かに思った。

(……これからは、レンジャーとしての稽古も少し付けてやりましょうか。)

 

 ニルスを見送るアルテの横顔は、どうやらそれほど、まんざらでもないようだった。

 


 秋が深まり、冷ややかな風が路地裏の落ち葉を躍らせるころ。

 こじんまりとした木造の店舗『どんぐり金庫』の扉が開き、一人の若者が姿を現した。


 年齢は二十代半ば。清潔感のある身なりに、爽やかな秋晴れのような愛想の良い笑顔。腰に下げた剣の鞘こそ使い込まれているが、その立ち居振る舞いには育ちの良さと自信が溢れていた。


 戦士は、誠実さを絵に描いたような瞳でアルテを見つめた。


「レオンハルトと申します。これまで剣の腕を磨いてきましたが、この度、この街で冒険者登録を致しました。新米としては少し遅い出発ゆえ、大きなクエストを受けて一気に一旗上げたいのです。そのための装備を整える資金を、融資して頂けないでしょうか」


 無駄のない、淀みない自己紹介。まれに見る美男子の、その熱を帯びた説明を、店主のアルテはじっと黙って聞き入っていた。あまりの注視ぶりに、彼に見惚れているのではないかと錯覚するほどの沈黙だった。


 アルテはいつものように、融資の条件を淡々と説明した。融資金額とその使い道は、すべてアルテが決めるという特殊なルール。

「そのように伺っていました。異存はありません」

 レオンハルトはすんなりと同意し、完璧な笑みを浮かべた。


「では、決まりですね」

 アルテがにっこりと笑い、白く細い手を差し出す。レオンハルトはその手を、親愛と信頼を込めて、力強く、ぎゅっと握り返した。

 二人は連れ立って、バルカスの武器屋へと向かった。

 そこでレオンハルトが所望したのは、五十万ゴールドもする『白銀の剣』だった。

「一級の獲物を相手にするには、これだけの業物が必要なのです」

「……まあ、いいでしょう」

 アルテは迷う素振りも見せず、その場で高額な支払いを済ませた。


「ありがとうございました。お借りしたお金は必ずお返しいたします。」

 剣を手にし、そのまま足早に立ち去ろうとするレオンハルト。だが、その背をアルテの静かな声が引き留めた。

(なんだ? ついでにお茶でも、と言い出すのかな)

 レオンハルトは品定めをするような目付きでアルテを振り返った。しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。


「魔道具店にも寄ります」


 向かった先は、怪しげな香煙が漂うロザリアの店だった。黒いローブを深く被った老魔女が、奥から顔を出す。


「ロザリア、こんにちは。彼に『幸運の腕輪』をお願い」

「ああ……『幸運の腕輪』だね。ちょっと待ちな」


 ロザリアは奥から、鈍い銀色に輝く腕輪を持ってくると、アルテに手渡した。


「これは一万ゴールド。安いけれど、近接戦闘には欠かせないわ。運気を引き寄せてくれる、私からのささやかなお祝いです」


 アルテはレオンハルトの左腕を取り、優しく、しかし確実にその腕輪を嵌めてやった。


「お気遣い、ありがとうございます。大切にしますよ」


 レオンハルトは礼を言い、今度こそ満足げに街へと消えていった。



 そして、

 返済期日の日。

 

 『どんぐり金庫』に、レオンハルトが姿を現すことはなかった。

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