表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どんぐり金庫の貸付帳 ――元Aランク冒険者の若き女店主は、今日も、駆け出し冒険者たちに金を貸す。――  作者: しばたろう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/17

03 貸付50,000GOLD 当面の生活費として

 夏の盛り。

 グレイムの街でも蝉の声がけたたましく響き渡り、逃げ場のない熱気が街全体を包み込んでいた。


 路地裏に佇む『どんぐり金庫』。

 そのドアが開き、外の暴力的なまでの暑さを避けるようにして、一人の来客があった。


 年の頃は十代後半といったところの青年だ。どこか不安げに周囲を伺いながら店に入ってきた彼は、「こんにちは」と声を漏らし、カウンターに座るアルテの姿を見つけると、はっと息を呑んだ。

 涼やかな薄手のドレスを纏ったアルテの姿に、思わず目を奪われたのだろう。その驚きを隠せない顔立ちからは、飾らない朴訥さが滲み出ていた。


「いらっしゃいませ」


 アルテはいつも通り、事務的な、それでいて柔らかな声で応対した。だが、青年の身なりを一瞥して、わずかに眉を動かす。

 この店に来るからには冒険者なのだろうが、彼は武装はおろか、旅の装束ですらない。ただの平服なのだ。


 アルテの視線を察したのか、青年は居心地が悪そうに肩をすぼめ、たどたどしく説明を始めた。


「俺、ニルスと言います。村から出てきて、さっきギルドで登録を済ませてきたばかりで……。その、受付で職業を聞かれたんですけど、俺、今までずっと畑仕事しかしたことがなくて。そう言ったら、職業欄に『無職』って書かれて登録されちゃったんです」


 ニルスは困り果てたように、手垢のついたギルドカードを差し出した。


「それで、所持金も一万ゴールドしかないって正直に言ったら、『どんぐり金庫』に行けって。そこで金を借りて、ついでにこれからの職業の相談にも乗ってもらえ……と言われて、ここに来ました」


(……なるほどね)


 アルテは内心で小さく息をついた。

 通常、夢を抱いて街へやってくる若者は、あらかじめ目指すべき職業を定め、相応の訓練を積んでいるものだ。戦士志望なら道場に通い、神官志望なら神殿で奉仕に励む。

 だが一方で、生きるための手段として、消去法で冒険者になる若者も少なくない。彼らは特筆すべき特技を持たず、最初はスキルの不要な雑用クエストをこなす。いわば体の良い肉体労働者だ。その中から自力で才能を開花させる者も稀にいるが、多くはFランクのまま、安月給の労働に従事し続けて一生を終える。


 目の前のニルスも、おそらくはその一人なのだろう。


しかし――と、アルテは思う。

(ギルドの対応、いくらなんでも丸投げすぎではないか?)


 忙しいのは理解しているが、一万ゴールドしか持たない「無職」の素人を、そのまま金貸しに放り出すのはあまりにおざなりだ。今度グレインの顔を見たら、ひとこと文句を言ってやらなければならない。


 そんなことを思いながら、アルテはニルスに椅子を勧めた。

 

 促されるままに、ちんまりと椅子に座るニルス。その姿は、まるで嵐の夜に軒下へ逃げ込んできた小動物のようにも見える。

 

 アルテはいつも通り、融資規約の説明資料を手渡し、淡々と説明を始めた。

「返済は分割。遅延した場合は別途、延滞金が発生します。」

 

 その説明を聞くニルスの横顔は、真剣そのものだった。

 遊び半分で剣を握る若者とは違う。生きる糧を得るために必死なのが、その強張った肩からひしひしと伝わってくる。

 

 ひととおり、説明し終える。

 

 最後に付け加えた重要事項――「融資金額、およびその用途は、こちらで決定します」という、大体の冒険者が難色を示す縛りについても、彼は特に異論を挟むことなく承諾した。

 

(根が素直なのだろう)

 

 アルテは、このまま彼を「無職の何でも屋」として放り出すのは、いささか忍びない気がした。


 ふと、一つの考えが浮かぶ。

 アルテは考えをまとめながら切り出した。

 

「では、当面の生活費として五万ゴールドを融資します。安い宿であれば一泊一千ゴールドくらいで泊めてもらえるから、それでしばらくは凌げるでしょう。」


「はい。ありがとうございます!」

 

 ニルスは深々と頭を下げた。一万ゴールドしかなかった身にとって、五万ゴールドは大金なのだろう。

 

「あと、肝心の職業だけれども。ニルス、あなた、弓矢は使える?」


「いいえ。触ったこともありません。」

 

「そう。まあいいわ。」

「明日の朝五時に、ここへ来て。当面、生き抜くための『術』を教えてあげる。」


「あ、朝の五時……。はい! 必ず来ます。ありがとうございます、アルテさん!」


 ニルスは希望を見出したような顔をして、何度も頭を下げながら店を去って行った。


 

 アルテの朝は早い。

 四時に起き、身支度を整え、五時には森へ向かう。

 狩人の子として過ごした幼少期からの習慣であり、冒険者としてレンジャーを生業にしていた頃も、それは変わらず続いた。


 今でも毎朝森に潜り、鍛錬も兼ねて獲物を追っている。子供の頃と違うのは、獲物が鹿や兎から、大猪や三つ目狼、アイアンベアになったことくらいだ。


 森は生命の宝庫だ。

 狩りを学べば、誰の手を借りずとも生きる術を得ることができる。

(そうね。ニルスには狩りを教えてやりましょう)

 アルテはそう思いついたのだ。


 だからといって、いきなりアイアンベアを狩れと言うつもりはない。兎やリスなどの小動物、あるいは鹿一頭仕留めることができれば、新米の食いぶちとしては十分すぎるほどだ。


 翌朝、五時きっかりに『どんぐり金庫』のドアをノックする音が響いた。

 ニルスが、一分の遅れもなくやってきたのだ。


(第一関門クリア、ね)

 やはり、真面目で素直な青年のようだ。そんな彼の姿勢に、アルテは少しだけ口角を上げた。


 アルテは、自身の所蔵する弓の中から、初心者でも引きやすく扱いやすいものを選んでおいた。不安げに立ち尽くすニルスに、その弓を渡しながら自身の考えを伝える。


「今日からしばらく、毎朝ここで修行よ。当面はこれで自分の食いぶちを稼げるようになってもらうわ」

「それは、ありがとうございます! 精一杯頑張ります」


 ニルスは、その重みを確認するように弓を握りしめ、アルテの言葉に素直に従った。


 二人はそのまま、街の外へと広がる深い森へと向かった。

 あたりはまだ濃い藍色に沈んでいるが、東の空は白み始め、もうじき夜明けを告げようとしている。


 湿った土の匂いと、目覚め始めた鳥たちの声。

 アルテの後ろを必死についてくるニルスの足音を聞きながら、彼女は静かに森へと足を踏み入れた。

 


 とはいえ、最初から満足に弓矢を扱うのは無理がある。

 そこでアルテは手始めに、罠の仕掛け方を教えることにした。小枝や蔓を利用した、兎やリスを捕まえるための初歩的な括り罠だ。


 ニルスはアルテの手元を食い入るように見つめ、熱心に聞き入っていた。

「こう……ですか?」

 教えた通りに何度も試し、失敗してはやり直す。その指先は驚くほど器用に動き、ほどなくして、アルテが合格点を出せるほどの罠を完成させた。


(案外、センスがあるのかもしれないわね)


 一通り罠を仕込んだところで、いよいよ弓の練習へと移る。

 矢の番え方、弦の引き方、そして狙いの定め方。基本的な動作を一通り教え込む。

「後は、日中ひとりで練習するといいわ。体で覚えるしかないもの」


 そう言い残し、アルテは本格的に獲物を探し始めた。

 足跡の見分け方や、風上の読み方を説明したのち、実際にニルスを先頭に立たせて探索をさせる。

 ぎこちない手つきで弓を構え、一歩一歩慎重に先を行くニルス。その後ろを追いながら、アルテは密かに願う。

(鹿でもいてくれれば、丁度良い練習台になるのだけれど……)


 そんなことを考えていると、不意に前方に気配を感じた。

 少し離れた草むらの向こう、一頭の鹿が静かに立っている。幸い、まだこちらには気づいていない。


「……やってみなさい」

 アルテは声を殺して囁いた。


 ニルスは小さく「はい」と答え、震える手で弓を引き、矢を放つ。

 だが、放たれた矢は無情にも明後日の方向へと飛んでいった。風を切り、木々に当たって虚しい音を立てる。

 異変を察知した鹿は、瞬く間に森の奥へと逃げ去っていった。


「す、すみません! 後を追います!」

 ニルスは焦った様子で、鹿が消えた茂みの向こうへと突き進んでいった。


 茂みをかき分け、少し開けた場所に出る。

「あの鹿、どこへ行ったんだろう……」

 ニルスが当てもなくきょろきょろと辺りを見渡していると、向かいの茂みがガサゴソと大きく揺れた。


(鹿?)

 ニルスは期待を込めて弓を構える。

 しかし、そこに姿を現したのは――鹿などではなく、荒々しい鼻息を吐く巨大な「大猪」だった。


(……しまった)

 アルテは内心で舌打ちする。危険な魔物との遭遇を避けるため、それほど森の深くには入っていないはずだった。よもや、こんな浅瀬にまで大猪が降りてきているとは。


 ニルスは、その山のように巨大な猪の姿に目を奪われたまま、石像のように硬直していた。無理もない、ただの農村育ちの若者が目にするには、その威圧感はあまりに強大すぎた。


 大猪はニルスを明確な敵、あるいは獲物と定め、地面を猛然と蹴った。一直線の突進。

「ひっ……!」

 短い悲鳴を上げるニルス。だが、恐怖に縛られた体は一歩も動かない。


――刹那。


 ニルスのすぐ耳元を、鋭い風の唸りが切り裂いた。

 一筋の閃光が彼の横を通り抜け、突進してくる大猪の眉間へ、寸分違わず突き刺さる。


ドォォォンッ!


 激しい土煙を上げ、大猪はその巨体を地面に叩きつけられた。ニルスの目と鼻の先で、巨大な肉塊はぴくりとも動かなくなる。


 ニルスは震える肩を抱えながら、恐る恐る後ろを振り返った。


 そこには、凛とした佇まいで弓を構え直す、アルテの姿があった。

 木々の隙間から差し込む朝日が、彼女の輪郭を白く縁取っている。その姿は、絶望の縁にいたニルスの目に、神々しいまでの輝きを纏って映った。


「……すごい」


 ニルスはただ、その光景に心を奪われていた。

 自分を救ったこの若き店主が、どれほど強大な存在であるのか。その真実を、彼は肌で理解したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ