22 女教官の決意
ひとしきり王都を回ったのち、マルクはカレンと夕食を共にしていた。
カレンに案内された酒場は、やはりどこか垢抜けていた。こうした店選びの妙に彼女の洗練された都会人の一面を垣間見た気がして、マルクは改めて感心する。
「今日は大変有意義だった。カレン、礼を言う」
「ああ。またいつでも付き合うぞ」
しばらくは王都の様子や演習のことなど、たわいもない会話に花を咲かせていたが、カレンがふと真剣な面持ちで問いかけてきた。
「王都での視察を経て、故郷の街にどのような学校を作るつもりだ?」
マルクは、これまで頭の中で整理してきた構想を一つずつ言葉にしていく。
「アレクス勇技総合大学校のカリキュラムをそのまま再現するのは無理だ。まずはできるところから少しずつ始めていく。辺境の若者の識字率は王国ほど高くはない。教科書主体の授業は難しいだろう」
「なるほど」
「よって、なるべく実技に比重を置いたカリキュラムにするのが良いのでは、と考えている」
カレンは深く頷きながら耳を傾け、マルクの思考を整理するように質問をぶつけた。
「教官はどうするのだ?」
「まずは俺の元パーティ仲間の力を借りるつもりだ。だが、そのためには彼らにまず『何を教えるか』を学んでもらう必要がある。彼ら自身、それぞれの目的を持っているし、時間の工面など乗り越えるべき課題は多いな」
カレンは黙って聞いていたが、やがてマルクをじっと見つめて切り出した。
「よかったら……私が、ついていこうか?」
その瞳には、並々ならぬ力が宿っている。
思わぬ申し出に、マルクは虚を突かれた。
それは、今のアレクスでの教官という地位を辞し、共に辺境のグレイムの街で学校を立ち上げてくれるという意味なのだろうか。
マルクは恐る恐る聞き返した。
「平たく言えば、そういうことだ」
カレンは迷いなく、はっきりと答える。
たしかに、アレクスのノウハウを知り尽くしている彼女の力が借りられるなら、これほど心強いことはない。学校の設立も格段に進むだろう。
だが、そこでマルクは躊躇した。
彼女が積み上げてきたすべてを捨てさせ、辺境の地へと誘う。それは彼女の歩むべき王道を、俺の夢のために捻じ曲げてしまうことにならないか。自分勝手な理想に、彼女の大切な人生を道連れにして良いはずがない。
「なぜ、そこまでしてくれるのだ?」
思わず、そう尋ねていた。
するとカレンは、ふぅと息を吐いて椅子の背にもたれかかる。そして、呆れたような、それでいて少し憂いを含んだ微笑みを浮かべた。
「まったく……野暮な質問だな」
マルクはその言葉を心の中で反芻し、彼女が秘めていた想いに、ようやく辿り着く。
「あ、すまん……」
思わず謝罪の言葉が漏れると、カレンはますます呆れたような表情を見せた。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙が、二人の間を流れる。
やがてマルクは、意を決してテーブルの上のカレンの手をそっと握った。
「カレン。一緒に来てくれ」
今度は迷いなく、はっきりと、そう告げた。
◇
王国が夏を迎えるころ。
森の一角。
レオの額から止めどなく汗が流れ落ちていた。それは初夏の直射日光に焼かれているせいだけではない。
目の前で今にも襲いかからんとする大イノシシ――その巨躯から放たれる威圧感と、正面切って対峙する極限の緊張からくるものだった。
レオの背後では、神官のリュカが朗々と鼓舞の呪文を唱えて戦士の心を支え、魔術師のミレイが鋭い眼差しで杖を構える。さらにその傍らでは、レンジャーのシオンが静かに弓を引き絞っていた。
次の瞬間、大イノシシが地響きを立ててレオめがけて突進した。
レオは冷静にタイミングを計る。まさに跳ね飛ばされる寸前、これまでの訓練をなぞるように最小限の動作で、転げるようにその突撃を避けた。
標的を見失った大イノシシが急減速し、強引に巨体を反転させる。
その刹那に生まれた、決定的な隙。
そこへ、ミレイが放った火球魔法と、シオンの指先から放たれた矢が同時に吸い込まれた。
轟音と風切音が重なり、大イノシシは断末魔を上げる間もなくその場に崩れ伏した。
「やった……!」
「やったー! 倒したぞ!」
若者たちが互いの手を取り合い、無邪気に喜びを爆発させる。
その光景を後方から見守っていたマルクは、満足げに、そして力強く深く頷いた。
約半年間にわたって続けられた実地演習も、いよいよ終わりを告げようとしていた。
かつてはスノーベア一頭が目の前に現れただけで震えていた生徒たちも、今では大イノシシ一匹程度であれば、自分たちの力だけで冷静に対処できるまでに成長した。
それは、彼らの卒業の日が近いということ。
そして同時に、マルクの学園視察の任務もまた、終わりが近いことを物語っていた。
◇
秋。
アレクス勇技総合大学校に、また新しい季節が訪れた。
入学式の設営がひと段落し、マルクは壇上の袖に身を潜めるようにして、幕の隙間から会場の様子を伺っていた。
そこには、かつてのレオたちと同じように、期待と不安を瞳に宿した初々しい新入生たちの姿があった。
ふと、この秋の始まりと共に学び舎を巣立っていった教え子たちの顔が浮かぶ。
レオ、シオン、ミレイ、リュカ――。彼らは卒業して冒険者となった後も、あの演習時のメンバーでパーティを組み、共に歩む道を選んだという。
見違えるほどに逞しくなった彼らの背中。裏方という立場ではあったが、その成長を特等席で見守ることができた。それが、マルクにとっては何よりの喜びだった。
やがて、重厚な足音と共にバルトロメウス校長が壇上に立った。
その威厳ある背中を見つめながら、マルクは彼と初めて会った日のことを思い出す。単なる視察者としてではなく、用務員という職務を与え、現場の最前線で生徒に触れ合う機会をくれた校長には、感謝の念に堪えない。
バルトロメウス校長が、静かに、しかし深く響く声で語り始めた。
「……これは、私がまだ、駆け出しの冒険者だった頃の話だ」
◇
入学式が終わった後の、静かな熱気が残る教室。
壇上では、新たに赴任したばかりの若い教官が、緊張した面持ちで生徒たちに挨拶を交わしていた。
「三組の担任を受け持つことになった、エレン・クロフォードです。よろしくお願いします」
幾分たどたどしく、それでも懸命に説明を続ける彼女の姿を、教室の後ろからマルクとカレンが並んで見守っていた。
「どうだい? 彼女の仕事ぶりは」
マルクが小声で尋ねると、カレンはエレンを見つめたまま、確信を込めて答えた。
「優秀よ。直に、一人前の教官になるわ」
エレンが独り立ちするまでの半年余り、カレンはチューターとして彼女を支える。
そしてその役目を終えたとき、カレンは長年勤めたこの学園を辞し、マルクと共に辺境の街グレイムへと旅立つ予定だった。
バルトロメウス校長は、カレンという稀代の逸材を手放すことを「学園にとっての大きな損失だ」と惜しんでくれた。だが同時に、彼女の存在がマルクの目指す新たな学校の成功に不可欠であることも理解してくれた。校長は、若者たちの新たな挑戦を、心からの言葉で称えてくれたのだ。
故郷での学校づくり。その第一歩がいよいよ始まろうとしていた。
一年前、孤独な決意だけを携えてこの街に辿り着いたあの日。それが今では、多くの人々の想いと協力という「翼」を得て、かつてない勢いで推進されている。
マルクは胸に手を当て、カレン、そして、自分を支えてくれる全ての人々への感謝を噛み締めていた。
秋の柔らかな日差しが、これから始まる新しい物語を祝福するように、教室の窓から差し込んでいた。




