20 用務員と総合実践
「成功より、失敗の数を数えよ。そこにお前たちの真の成長がある!」
バルトロメウス校長の力強い号令とともに、ついに『統合実践科』の幕が上がった。
生徒たちはそれぞれのパーティごとに模擬クエストを受領し、緊張の面持ちで森へと足を踏み入れる。目的の地点へ到達し、指定されたクエストをこなし帰還する―― 一見シンプルだが、その道中には教官たちが仕掛けた「試練」が待ち受けている。
仲間の負傷、装備の破損、食料の汚染、あるいは予期せぬ伏兵。
次々と発生する不測の事態に対し、彼らはこれまで座学と実技で積み上げてきた知識を総動員して、最適解を導き出さなければならない。
それぞれのパーティには、万が一の際の救助と指導を兼ねた「大人冒険者」が二名ずつ同行することになっていた。
マルクはカレンとペアになった。
「奇遇だな。マルク。これから、よろしく頼む」
ははは、と快活に笑う彼女。だが、その完璧すぎる笑顔を見つめながら、マルクは内心で確信していた。
(……裏で手を回したな)
そんなマルクの疑念をよそに、カレンは「さあ、生徒たちが待っている。行こうじゃないか」と、上機嫌にマルクの背を叩いた。
◇
集合場所で、生徒たちと顔を合わせる。
マルクとカレンが担当する第17演習班の面々は、どこか危うさを抱えた顔触れだった。
リーダーは、戦士のレオ。血気盛んだが、気取り屋。
魔術師のミレイ。構築速度は天才肌だが、実戦の泥臭さが欠如している。
神官のリュカ。慎重だが、裏を返せば土壇場で萎縮する臆病さを孕む。
そして、レンジャーのシオン。勘は鋭いが、楽天家。
カレンからそれぞれのプロフィールを耳打ちされ、マルクは「よくもまあ、これだけバラエティに富んだメンバーを組み合わせたものだ」と、逆に感心してしまった。
「今回の演習は一泊二日の行程。目的は山中にある指定の薬草を採取し、無事に帰還することだ」
カレンが凛とした声で演習内容を説明する。
「なんだか、楽勝っすね。」
レオが真新しい剣を肩に担ぎ、不敵に笑う。
「そうだな。しかし、冬山であることを忘れてはいけない。一歩間違えれば遭難して凍死だ。あるいは、腹を空かせた熊と出くわすかもしれんぞ」
カレンが釘を刺すように脅しを入れるが、生徒たちの緊張感はいまひとつ薄い。
「やだ、こわーい」
そう言って、ミレイがマルクの腕にすり寄った。
「先生。ミレイのこと、ちゃーんと助けてくださいね?」
「そこ、離れなさい!」
間髪入れず、カレンの鋭い怒号が飛んだ。びくりと肩を跳ねさせたミレイを、カレンは射殺さんばかりの視線で睨みつける。
「教官と護衛は、あくまで離れたところから見守るのが原則だ。基本はパーティの四人だけで判断し、行動すること! いいな!」
そんな、どこか緊張感の欠ける第17演習班は、冬の澄んだ空気のなか、意気揚々と山の中へと分け入っていった。
◇
一行は、レンジャーのシオンを先頭に冬の山道を進んでいく。
踏みしめられた積雪が、ザクザクと硬い音を立てて周囲に響いた。
レンジャーのシオンの後に魔術師のミレイと神官のリュカが並んで続き、最後尾には戦士のレオが殿を務める。さらに数メートル遅れて、マルクとカレンが静かにその後を追っていた。
「カレン教官はおっかないよな。せっかくの美人なのに、もったいねー」
先頭を行くシオンが軽口を叩けば、後方のレオが鼻を鳴らして応じる。
「そうか? 俺は気の強い女、嫌いじゃないぜ」
「あんたたちみたいな子供を教官が相手にするわけないでしょ。身の程を知りなさいよ」
ミレイが一丁前の口を利き、パーティに笑いが漏れる。
「……丸聞こえなのだがな。まったく」
後方でカレンが深く溜息をつく。その横でマルクは、軽口を叩きつつも「教科書通りの陣形」を維持して歩く彼らの姿を、感心したように眺めていた。
だが、やはり緊張感に欠ける。初めての演習という高揚感が、彼らの警戒心を鈍らせていた。
マルクがそう懸念した、その矢先。前方の深い茂みがガサゴソと不自然に揺れた。
「?」
それに気づいたシオンが足を止める。
「……こんな場所に、仕掛けの予定はなかったはずだ」
カレンが低く呟いたのと同時、マルクの体はすでに弾かれたように前方へ飛び出していた。
刹那、茂みから巨躯を誇るスノーベアが姿を現した。
立ち上がった野獣はすでに豪腕を振り上げている。狙いは、目の前で硬直したシオンだ。シオンは、死を振り撒くその白い影を見上げたまま、指一本動かせずに固まっていた。
スノーベアの腕が振り下ろされる。
マルクがシオンを力任せに突き飛ばしたのは、その直後だった。マルクの背中を、鋭利な爪が容赦なくかすめる。
鈍い音とともに、白い雪の上に鮮烈な赤が飛び散った。
他のメンバーも金縛りにあったように動けない。声すら出せない絶望のなか、彼らの横をカレンが疾風のごとく通り抜けた。
抜刀したカレンがスノーベアの猛攻を正面から受け持ち、次々と繰り出される腕を剣でいなし続ける。
その一瞬の隙、死角からマルクが再び飛び込んだ。背中の傷を微塵も感じさせない速度で、最短距離からスノーベアの首筋を鋭く突く。致命的な一撃を受けた獣は、たまらず咆哮を上げ、森の奥へと逃げ去っていった。
「リュカ! 呆けている暇はない、マルクに回復呪文を!」
カレンの叱咤に我に返ったリュカが、震える手でマルクの背中に触れた。必死に詠唱を紡ぎ、溢れ出る血を止めていく。
ミレイはその場に崩れ落ち、「うえっ、うえぇ……」と声を漏らしてべそをかき始めた。
止血を終え、乱れた装備を整え直した頃には、辺りは先ほどまでの喧騒が嘘のような静寂に包まれていた。一行はその静寂を切り裂くように、再び歩みを再開した。
生徒たちにとって、強烈すぎる洗礼だった。
先ほどまでの浮ついた空気は霧散し、重苦しい沈黙だけが支配する。
──なにもできなかった。
これまで懸命に学んできた知識も、剣技も、魔法も。何ひとつとして、本物の獣の前では機能しなかった。
じっと前を見据え、もくもくと歩みを進める彼らの表情には、恐怖と困惑、そして自身の不甲斐なさに対する激しい口惜しさが滲んでいた。
(……少しは、マシな顔になったじゃないか)
再び後方から彼らについていきながら、マルクはそう思った。
◇
日が傾き、森の影が長く伸び始めた頃。
「早めに野営の準備をした方がいい」
レオの一言で、生徒たちは一斉に動き出した。
「まずは火起こしからだ。湿っていない枝を探せ」
「見張りを立てよう。さっきの奴が戻ってくるかもしれない」
互いに声を掛け合い、相談しながら作業を進めるその表情は、真剣そのものだ。もはや、そこに遠足気分の浮ついた者は一人もいない。この森での演習は命懸けであるという冷酷な事実を、彼らは骨の髄まで理解したのだ。
少し離れた場所で、マルクとカレンはその様子を静かに見守っていた。
テントの設営、周囲の警戒、食事の準備。生徒たちがこれまで教室で習った知識を総動員し、生きるための術を必死に模索しているのが、ひしひしと伝わってくる。
(悪くない……)
そう思う。
もし、これが彼らにとっての本物の初クエストであったなら、先ほどのスノーベアの襲撃で誰かが命を落としていたに違いない。マルクは咄嗟に身を呈して彼らを助けたが、それは期せずして、彼の「若い命を救いたい」という目標が、ひとつ達成された瞬間でもあった。
背中の傷の疼きを感じながら、マルクは深い感慨に耽っていた。
やがて設営が一段落すると、焚き火の上に鍋が置かれ、ささやかな夕食の時間が訪れた。
夜はマルクとカレンも合流し、同じ火を囲む。
食事の間も、生徒たちの対話は途切れない。
夜間の見張りの段取り、明日の予定、そして再び魔物に襲撃された際の連携方法――。
火の粉が舞う静寂のなか、マルクは、逞しく成長を始めた若者たちの声を、ただ黙って見守り続けていた。




