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どんぐり金庫の貸付帳 ――元Aランク冒険者の若き女店主は、今日も、駆け出し冒険者たちに金を貸す。――  作者: しばたろう


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20 用務員と総合実践

「成功より、失敗の数を数えよ。そこにお前たちの真の成長がある!」


 バルトロメウス校長の力強い号令とともに、ついに『統合実践科』の幕が上がった。

 生徒たちはそれぞれのパーティごとに模擬クエストを受領し、緊張の面持ちで森へと足を踏み入れる。目的の地点へ到達し、指定されたクエストをこなし帰還する―― 一見シンプルだが、その道中には教官たちが仕掛けた「試練」が待ち受けている。


 仲間の負傷、装備の破損、食料の汚染、あるいは予期せぬ伏兵。

 次々と発生する不測の事態に対し、彼らはこれまで座学と実技で積み上げてきた知識を総動員して、最適解を導き出さなければならない。


 それぞれのパーティには、万が一の際の救助と指導を兼ねた「大人冒険者」が二名ずつ同行することになっていた。

 

 マルクはカレンとペアになった。


「奇遇だな。マルク。これから、よろしく頼む」


 ははは、と快活に笑う彼女。だが、その完璧すぎる笑顔を見つめながら、マルクは内心で確信していた。


(……裏で手を回したな)


 そんなマルクの疑念をよそに、カレンは「さあ、生徒たちが待っている。行こうじゃないか」と、上機嫌にマルクの背を叩いた。

 


 集合場所で、生徒たちと顔を合わせる。

 マルクとカレンが担当する第17演習班の面々は、どこか危うさを抱えた顔触れだった。


 リーダーは、戦士のレオ。血気盛んだが、気取り屋。

 魔術師のミレイ。構築速度は天才肌だが、実戦の泥臭さが欠如している。

 神官のリュカ。慎重だが、裏を返せば土壇場で萎縮する臆病さを孕む。

 そして、レンジャーのシオン。勘は鋭いが、楽天家。


 カレンからそれぞれのプロフィールを耳打ちされ、マルクは「よくもまあ、これだけバラエティに富んだメンバーを組み合わせたものだ」と、逆に感心してしまった。


「今回の演習は一泊二日の行程。目的は山中にある指定の薬草を採取し、無事に帰還することだ」

 カレンが凛とした声で演習内容を説明する。


「なんだか、楽勝っすね。」

 レオが真新しい剣を肩に担ぎ、不敵に笑う。


「そうだな。しかし、冬山であることを忘れてはいけない。一歩間違えれば遭難して凍死だ。あるいは、腹を空かせた熊と出くわすかもしれんぞ」

 カレンが釘を刺すように脅しを入れるが、生徒たちの緊張感はいまひとつ薄い。


「やだ、こわーい」

 そう言って、ミレイがマルクの腕にすり寄った。

「先生。ミレイのこと、ちゃーんと助けてくださいね?」


「そこ、離れなさい!」

 間髪入れず、カレンの鋭い怒号が飛んだ。びくりと肩を跳ねさせたミレイを、カレンは射殺さんばかりの視線で睨みつける。


「教官と護衛は、あくまで離れたところから見守るのが原則だ。基本はパーティの四人だけで判断し、行動すること! いいな!」


 そんな、どこか緊張感の欠ける第17演習班は、冬の澄んだ空気のなか、意気揚々と山の中へと分け入っていった。

 


 一行は、レンジャーのシオンを先頭に冬の山道を進んでいく。

 踏みしめられた積雪が、ザクザクと硬い音を立てて周囲に響いた。


 レンジャーのシオンの後に魔術師のミレイと神官のリュカが並んで続き、最後尾には戦士のレオが殿しんがりを務める。さらに数メートル遅れて、マルクとカレンが静かにその後を追っていた。


「カレン教官はおっかないよな。せっかくの美人なのに、もったいねー」

 先頭を行くシオンが軽口を叩けば、後方のレオが鼻を鳴らして応じる。

「そうか? 俺は気の強い女、嫌いじゃないぜ」

「あんたたちみたいな子供を教官が相手にするわけないでしょ。身の程を知りなさいよ」

 ミレイが一丁前の口を利き、パーティに笑いが漏れる。


「……丸聞こえなのだがな。まったく」

 後方でカレンが深く溜息をつく。その横でマルクは、軽口を叩きつつも「教科書通りの陣形」を維持して歩く彼らの姿を、感心したように眺めていた。


 だが、やはり緊張感に欠ける。初めての演習という高揚感が、彼らの警戒心を鈍らせていた。

 マルクがそう懸念した、その矢先。前方の深い茂みがガサゴソと不自然に揺れた。


「?」

 それに気づいたシオンが足を止める。

 

「……こんな場所に、仕掛けの予定はなかったはずだ」

 カレンが低く呟いたのと同時、マルクの体はすでに弾かれたように前方へ飛び出していた。


 刹那、茂みから巨躯を誇るスノーベアが姿を現した。

 立ち上がった野獣はすでに豪腕を振り上げている。狙いは、目の前で硬直したシオンだ。シオンは、死を振り撒くその白い影を見上げたまま、指一本動かせずに固まっていた。


 スノーベアの腕が振り下ろされる。

 マルクがシオンを力任せに突き飛ばしたのは、その直後だった。マルクの背中を、鋭利な爪が容赦なくかすめる。

 鈍い音とともに、白い雪の上に鮮烈な赤が飛び散った。


 他のメンバーも金縛りにあったように動けない。声すら出せない絶望のなか、彼らの横をカレンが疾風のごとく通り抜けた。

 抜刀したカレンがスノーベアの猛攻を正面から受け持ち、次々と繰り出される腕を剣でいなし続ける。


 その一瞬の隙、死角からマルクが再び飛び込んだ。背中の傷を微塵も感じさせない速度で、最短距離からスノーベアの首筋を鋭く突く。致命的な一撃を受けた獣は、たまらず咆哮を上げ、森の奥へと逃げ去っていった。


「リュカ! 呆けている暇はない、マルクに回復呪文を!」

 カレンの叱咤に我に返ったリュカが、震える手でマルクの背中に触れた。必死に詠唱を紡ぎ、溢れ出る血を止めていく。

 ミレイはその場に崩れ落ち、「うえっ、うえぇ……」と声を漏らしてべそをかき始めた。


 止血を終え、乱れた装備を整え直した頃には、辺りは先ほどまでの喧騒が嘘のような静寂に包まれていた。一行はその静寂を切り裂くように、再び歩みを再開した。

 

 生徒たちにとって、強烈すぎる洗礼だった。

 

 先ほどまでの浮ついた空気は霧散し、重苦しい沈黙だけが支配する。


 ──なにもできなかった。

 これまで懸命に学んできた知識も、剣技も、魔法も。何ひとつとして、本物の獣の前では機能しなかった。


 じっと前を見据え、もくもくと歩みを進める彼らの表情には、恐怖と困惑、そして自身の不甲斐なさに対する激しい口惜しさが滲んでいた。


(……少しは、マシな顔になったじゃないか)


 再び後方から彼らについていきながら、マルクはそう思った。

 


 日が傾き、森の影が長く伸び始めた頃。

 

「早めに野営の準備をした方がいい」


 レオの一言で、生徒たちは一斉に動き出した。

 

「まずは火起こしからだ。湿っていない枝を探せ」

「見張りを立てよう。さっきの奴が戻ってくるかもしれない」


 互いに声を掛け合い、相談しながら作業を進めるその表情は、真剣そのものだ。もはや、そこに遠足気分の浮ついた者は一人もいない。この森での演習は命懸けであるという冷酷な事実を、彼らは骨の髄まで理解したのだ。


 少し離れた場所で、マルクとカレンはその様子を静かに見守っていた。

 テントの設営、周囲の警戒、食事の準備。生徒たちがこれまで教室で習った知識を総動員し、生きるための術を必死に模索しているのが、ひしひしと伝わってくる。


(悪くない……)


 そう思う。


 もし、これが彼らにとっての本物の初クエストであったなら、先ほどのスノーベアの襲撃で誰かが命を落としていたに違いない。マルクは咄嗟に身を呈して彼らを助けたが、それは期せずして、彼の「若い命を救いたい」という目標が、ひとつ達成された瞬間でもあった。

 背中の傷の疼きを感じながら、マルクは深い感慨に耽っていた。


 やがて設営が一段落すると、焚き火の上に鍋が置かれ、ささやかな夕食の時間が訪れた。

 夜はマルクとカレンも合流し、同じ火を囲む。


 食事の間も、生徒たちの対話は途切れない。

 夜間の見張りの段取り、明日の予定、そして再び魔物に襲撃された際の連携方法――。


 火の粉が舞う静寂のなか、マルクは、逞しく成長を始めた若者たちの声を、ただ黙って見守り続けていた。

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