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どんぐり金庫の貸付帳 ――元Aランク冒険者の若き女店主は、今日も、駆け出し冒険者たちに金を貸す。――  作者: しばたろう


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19 用務員と女教官

 それ以降、戦士科の実技授業では、用務員が駆り出されるのが常となった。


 ある日は、巨躯を誇るアイアンベアに扮したカレンが、咆哮とともに頭上から模擬刀を振りかざし、またある日は、飢えた狼と化した彼女が、地を這うような低姿勢から用務員へと勢いよく飛びかかった。しまいには、あの戦場での経験をなぞるかのように、ドラゴンと化したカレンが周囲を吹き飛ばさんばかりに剣を振り回す。


 それらを、用務員は「教科書通りの手本」として、一切の無駄なく対処していくのだ。


 それはまさに圧巻の見ものであった。

 カレン教官と用務員のハイレベルな手合わせは日に日に有名になり、最近では授業に関係のない生徒までもが見物にやってくるようになった。校舎の窓からは鈴なりになった生徒たちが身を乗り出して覗き込み、鮮やかな攻防が決まるたびに、校庭には地鳴りのような歓声が鳴り響く。


 そんな喧騒のなか、カレンはどことなく楽しそうだった。ようやく見つけた、全力で打ち合える同等の遊び相手。彼女の表情には、そんな弾んだ色が浮かんでいる。


 一方、マルクはといえば、カレンの猛攻を涼しい顔でいなしながら、心の中で半ば呆れかえっていた。

(よくもまあ、これだけ魔物の物真似ができるもんだ。まるで中身まで入れ替わっているようじゃないか)

 彼女のあまりの器用さと、戦いへの飽くなき執着に感心するしかない。


 この実演の影響により、マルクは「戦う用務員さん」として、校内で瞬く間に時の人となった。箒を手に校庭を歩けば生徒から声が上がり、彼がかつて夢見た「教育の場」は、図らずも彼自身の手本によって、かつてない熱気に包まれ始めていた。

 


 しかし、これには副作用も発生した。


「用務員さんって、めちゃくちゃ強いよな」

「実は、Aランクの戦士らしいぞ」

「よく見ると、ちょっと、かっこいいよね」

「……彼女とか、いるのかな?」


 生徒たちの間で、そんな噂が絶え間なく囁かれるようになった。


 マルクが本来の用務員の仕事をしている最中、男子生徒たちに囲まれて質問攻めに遭い、作業が停滞してしまうことも多々起きるようになった。さらには、物陰に女生徒から呼び出され、頬を染めた彼女たちから熱い思いが綴られた手紙を渡されることさえ、一度や二度ではなかった。


 正直なところ、悪い気はしない。若者たちが自分に好感を持ってくれるのは、ありがたいことだ。

 だが、本来の目的はあくまで「視察」である。これほど騒がれてしまい、本来の目的の妨げになるのは本末転倒であった。


(……少し、目立たないように振る舞わなければな)


 そんなことを考えていたある日のこと。

 いつものように実技授業の手伝いを終えた直後、片付けをしていたマルクはカレンに呼び止められた。


「マルク、少しいいか? ……たまには、夕飯でもどうだ?」


 夕暮れ時の校庭で、教官としての凛とした表情の裏に、どこか私的な誘いを含ませた彼女の提案に、マルクは少し驚きながらも足を止めた。

 


 王都ルクシオンの繁華街から少し離れた、隠れ家のような酒場。

 街はすでに冬の様相を呈しており、入り口の扉を開けると、外の刺すような寒さから解放される。店内は薪がはぜる音と温かい落ち着いた光に包まれていた。

 その一角、琥珀色の照明が落ちるテーブル席に、マルクとカレンが向かい合って座る。


 マルクは店内を見回し、思わず感嘆のため息をついた。酒場一つをとっても、辺境グレイムの街にある、荒くれ者たちが騒ぐ酒場とは全くの別物だ。堅苦しさはないが、調度品から店員の所作に至るまで、優雅で洗練されている。


 テーブルには、見たこともないような洒落た料理が並ぶ。

 だが、なによりマルクを驚かせたのは、目の前の女性だった。


 今夜のカレンは、学校で見せる実務的な剣士の姿ではない。

 柔らかな生地のドレスに身を包み、丁寧に整えられた髪が、灯りを受けてしっとりと輝いている。その佇まいは、いつもの鋭い気配が嘘のように、穏やかな雰囲気を纏っていた。


(……確かにカレンは美人だと思っていたが、これは、な)


 普段は剣士然とした態度が彼女の美貌を隠す盾のようになっているが、今夜の彼女はどこからどう見ても、一人のたおやかな淑女であった。


「……どうした、マルク。そんなにまじまじと見て」


 少し悪戯っぽく微笑む彼女に、マルクは返答に窮し、思わず酒杯を手に取った。

 ドラゴンと対峙した時ですら冷静だったはずの彼だが、今夜ばかりはどうにも調子が狂うのを感じていた。

 

「どうだ、視察のほうは?」


 カレンがワイングラスを揺らしながら、不意に問いかけた。


「学ぶことが本当に多いよ。順調に知識を溜められていると思う。カレン、君の協力のおかげもあってな」

「なに、私も楽しいのだ。マルクとの手合わせは、私自身の鍛錬にもなっているからな」


 カレンは満足そうに微笑む。その柔らかな表情は、校庭で鋭い剣筋を見せる教官のそれとは別の輝きを放っていた。


「そうか。少しでも役に立てているようであれば、嬉しい限りだ」


 そんなたわいもない会話がひと通り済んだ後、ふっと一瞬の間が空いた。店内に流れる静かな音楽が、二人の間の沈黙を際立たせる。


「……視察が終わったら」


 カレンが、まっすぐにマルクを見つめた。


「やはり、帰ってしまうのか?」


 その問いに、マルクはわずかに視線を落とし、それから静かに頷いた。


「そうだな。それが、残してきた仲間との約束だからな」

「……そうか」

「名残惜しい限りではあるが」


 マルクが言葉を付け加えると、カレンは少し戸惑うように視線を泳がせ、意を決したように切り出した。


「その……故郷に、誰か、大切な人が待っているのか?」


 少し目を逸らし、髪をいじるカレンの仕草。そこに宿る微かな憂いに、マルクがドキリとしないと言えば嘘になる。

 その質問を受けて、マルクの脳裏には故郷に残した二人の女性が浮かんだ。


 絶世の美貌を誇る神官オルフェ。彼女に心を奪われる男など山ほどいるだろう。だが、マルクは知っている。あの女の中身は、見た目とは裏腹に一筋縄ではいかない。アルテの言葉を借りるなら、とにかく「うさんくさい」女なのだ 。とても、自分が太刀打ちできるような相手ではない。


 アルテについても同様だ。実情を知らぬ者からすれば、放っておけない可憐な娘に映るのだろうが……。あいにくと俺にとっては、守る対象というよりは、共に修羅場をくぐってきた妹分といった方がしっくりくる。


 二人を思い浮かべ、マルクは苦笑混じりに答えた。


「いや、そんな人はいないよ」


「……そうか」


 カレンの表情が、ふっと春の陽だまりのように柔らかく解けた。

 その安堵したような横顔を見ながら、マルクは内心で小さく冷や汗をかく。


(これは……少し、思わぬ展開になってきたな)


 冷たい夜風が吹く窓の外とは対照的に、温かな酒場の空気の中で、マルクは予期せぬ胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。

 


 年が明け、短い冬休みが明けると、アレクス勇技総合大学校のカリキュラムは後期の『統合実践科』へと突入した。これまでの基礎訓練とは打って変わり、いよいよ生徒たちは実際にパーティを組み、実地を想定した高度な訓練を行うことになる。


 パーティの編成は、基本的に戦士、魔術師、神官、レンジャーの四名。教官たちが、それぞれの実技成績や魔法の適性、さらには性格の相性までをも慎重に見極めて決定する。

 危険を伴う実戦形式の訓練において、この組み合わせは生存率を左右する生命線だ。生徒たちにとっては、大人に勝手に決められる不自由なものに映るかもしれないが、ここで組んだパーティが、卒業後もそのままギルドでの定常パーティとなることも珍しくない。

 ゆえに、掲示板に名前が張り出される「パーティ決定の日」は、彼らにとっての運命の日と言っても過言ではなかった。


 掲示板に群がる生徒たちの間から、あちこちで一喜一憂の歓声や悲鳴が上がる。

 職員室の窓からその喧騒を遠くに聞きながら、教官たちは今後の実地訓練に向けた最終調整に追われていた。


 これから行われるのは、多種多様な魔物への模擬対処、山岳や廃遺跡での野営演習、さらには模擬の護衛・救助任務といった、より過酷な内容だ。必然的に数日間の泊まりがけとなることも多く、教官には「指導」だけでなく、不測の事態から「生徒の命を守る」という重大な使命が課せられる。

後期の『統合実践科』こそ、教官たちの真価が問われる、一年の山場であった。


 当然、校内の人員だけでは手が足りなくなる。

 学園はギルドを通じて護衛の冒険者を募ることになるのだが、さも当然のように、マルクもその護衛役として組み込まれることになった。


(外での実習なら、より現場に近い視察ができるな)


 作業着を整えながら、マルクは特に異論もなくそれを受け入れた。

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