18 用務員と実技演習
ドラゴン討伐を終えた一行は、そのまま村に留まり、怪我人の救助や瓦礫の撤去を手伝った。
「ありがとう、本当にありがとう……」
涙を浮かべる村人たちの感謝の声に送られながら、彼らがようやく帰路に就いたころには、夜もすっかり更けていた。
ガタゴトと揺れる帰りの馬車。
心地よい疲労感と、体のあちこちから上がる軋みを感じながら、マルクは感嘆の溜息を漏らした。
「よもや、あんなドラゴン退治のやり方があったとはな。驚きだ」
暗い車内で、魔術師が静かに答える。
「……まあ、腕利きの弓使い。そして、あの巨躯を相手に時間稼ぎができる戦士がいることが前提の作戦だがな」
その言葉に、隣に座っていたレンジャーが「全くだ」とニヤリと笑う。
マルクは、隣で剣の手入れをしていたカレンをやり見た。
「なるほどな。確かにな……カレン、良い腕だった」
カレンは一瞬、照れくさそうに視線を逸らしたが、すぐに真っ直ぐマルクを見つめ返した。
「あなたもな、マルク。……あんなに迷いなく背中を預けられた相手は、そういない」
そして、カレンはふと表情を真面目なものに変え、ずっと抱いていた疑問を口にした。
「それにしても、あなたほどの実力者が……なぜ学校で用務員なんてしているのだ? ギルドの上層部だって放っておかないだろうに?」
もっともな質問だった。
マルクは揺れる車窓の外に広がる夜闇を見つめながら、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
辺境から一人この街にやってきたこと。かつての仲間たちと誓った、故郷に冒険者学校を作るという夢のこと。そして、そのための「視察」として、あえて裏方の用務員という立場を選んだこと。
ひとしきり話を聞き終えたカレンは、深い共感の色を瞳に宿した。
「……そういうことだったのか。教育を、仕組みから学びたいというわけか」
カレンは少し考えた後、マルクの目を見て力強く頷いた。
「マルク。その夢、私も協力する。用務員の仕事の合間でも、いつでも私の授業を見に来てくれ。教官として教えられることなら、全部見せよう」
思わぬ申し出に、マルクの顔に笑みが浮かんだ。
「それは助かる。……恩に着るよ、カレン」
若きエリート教官と、歴戦の用務員。
月明かりに照らされた馬車の中で、二人の間に、戦友としての確かな絆と、新しい「学び」の約束が結ばれた。
◇
秋の澄んだ風が心地よく校庭を駆け巡る中、マルクはいつものように竹箒を手に校庭を掃除していた。
そこへ、カレン教官に引率された生徒の集団が姿を現す。各々が手にした模擬刀が、秋の陽光を反射して鈍く光る。どうやら、戦士科の実技授業が始まるようだ。
マルクは掃除の手を休め、興味に引かれるまま近くへと寄っていった。座学の内容については、すでに夜な夜な読み耽った教科書で大体は理解している。しかし、生きた授業は別だ。
「この学校では、戦士の実技でどんなことを教えるのだろう?」
マルクは物陰に身を寄せ、少し見物させてもらうことにした。
近づいてくる用務員の姿に気づいたカレンが、教官としての凛とした表情は崩さぬまま、軽く手を上げて挨拶を寄越す。そして、生徒たちに向き直ると、静まり返った空気の中に声を響かせた。
「諸君の中には、これまで人間相手の剣技を磨いてきた者も多いだろう」
一拍の間を置き、彼女は生徒たちの顔を一人一人見渡す。
「だが、これから先、諸君が相手をするのは人ばかりではない。二本足、四本足。大きいの、小さいの。地を這う奴に、空を飛ぶ奴。森や山では、あらゆる形状の生き物と出くわすことになる」
カレンは腰の剣に手を添え、言葉を継いだ。
「この講義では、対人戦ではない『対魔物』の対峙の仕方を訓練する」
(各魔物ごと、か。面白いな)
マルクは感心し、物陰からその一挙手一投足を注視した。
「まず今日は、大イノシシ相手の戦い方だ。奴らは一直線に猛進してくる。それを寸前のところで回避し、その直後に反転したところを叩く。……では、一人ずつやってみよう」
カレンはそう言うと、最初の一人を前に出させた。
「私がイノシシ役をする。お前は私を打ち取ってみろ」
「は、はい!」
指名された生徒が緊張した面持ちで模擬刀を構える。
(よい構えだ。それなりの下地はあるようだな)
マルクは心の中で独り言ちた。
カレンはぐっと重心を下げ、背を低くして構えをとる。
「行くぞ!」
合図とともに、彼女は低姿勢のまま鋭く突き出した剣と共に、生徒へ向かって弾丸のように突進した。
(なるほど。低重心の突進……まさにイノシシさながらだ)
マルクはその擬態の巧みさに目を見張る。
あまりの勢いと迫力に、生徒は思わず腰が引け、無様に飛び退いた。その無防備な尻を、カレンの剣が容赦なくぺちんと叩く。
「あいたっ!」
「敵に尻を向ける馬鹿がどこにいる! 次!」
カレンの容赦ない突進は続く。
二人目の生徒は、反応することすらできず、まともにカレンに激突して吹き飛ばされた。
「次!」
三人目は、足をもつれさせて転ぶ。
「次!」
四人目は、恐怖に目を瞑ってしまう。
「次!」
五人目は、焦りのあまり何もない地面を剣で叩いた。
結局、誰一人としてまともに対処できる生徒はいなかった。
「どうだ。人と対峙する場合と、まったく勝手が違うだろう?」
カレンは乱れた髪一つない澄まし顔で、荒い息をつく生徒たちを見下ろした。
「避けて、叩く。それだけのことが、実戦では案外難しいものだ」
生徒たちは地面に座り込みながら、教官の見せた圧倒的な実技に、ただただ感心したように頷いていた。
ひとしきり講釈を終えたところで、カレンは「ふむ」と顎に手を当てて思案した。
「理屈は教えたが、やはり一度、手本を見せておきたいところだな」
そう言って彼女が目を向けたのは、傍らで感心したように掃除の手を止めていた用務員だった。
「マルク。ちょっと手伝ってくれないか?」
その言葉に、生徒たちの視線が一斉に用務員へと注がれる。
「用務員さんに何を手伝ってもらうんだ?」
「危なくないか?」
生徒たちは一様に怪訝な顔を浮かべ、ひそひそと囁き合った。
「かまわないが?」
マルクは事もなげに応じると、愛用の箒を壁に立てかけ、生徒たちの作る輪の中へと悠然と入っていった。
カレンは予備の模擬刀を一本手に取り、それをマルクへと手渡した。
「すまないが、手本を見せてやってくれ」
「ふむ。面白い、いいだろう」
「諸君、よく見ておくように」
カレンが持ち場に着き、先ほどよりも一段と鋭い低姿勢を取る。対するは、煤けた作業着のまま模擬刀を構え、迎え撃とうとする用務員。
客観的に見れば、それはどこか滑稽な風景だった。
「なんだこれ?」「本当に大丈夫かよ」
生徒たちは緊張感に欠けるその構図に、思わず口元を緩める。
だが、その刹那。
「行くぞ!」
カレンが弾かれたように前傾姿勢で突き進んだ。先ほどの生徒たちへの突進とは比べものにならない、本気の速度だ。
よもや激突するかという、まさに「すんで」のところ。
マルクは、猪と化したカレンが突き出した剣を、自らの剣の腹で柔らかくいなした。そのまま、彼女の体へ滑り込ませるように最小限の動きで回避する。
勢いよく通り過ぎたカレンは、すぐさま地面を蹴って体を反転させる。しかし、その転換の瞬間にわずかな、けれど致命的な隙が生まれた。
マルクは逃さなかった。すかさず踏み込み、その頭上へと模擬刀を振り下ろす。切っ先は、カレンの額の数センチ上でピタリと止まっていた。
一瞬の静寂。
「おおおおお――っ!」
直後、校庭に割れんばかりの歓声が上がった。
「用務員さん、すげー!」
「今の動き、見えたか!?」
興奮を隠せない生徒たちに対し、マルクは「いやはや」と照れくさそうに片手を挙げて応える。
「マルク、ありがとう」
カレンは乱れた呼吸を整えることもなく、何事もなかったかのような澄まし顔で生徒たちに向き直った。
「見た通りだ。今のように、恐れず、正しく避ける。そして、すかさず叩く。……わかったかな?」
「はい!!」
先ほどまで半信半疑だった生徒たちの返事は、秋の空へ高く、力強く響き渡った。




