第17話 夜の旧水路で、俺たちはまた迷宮都市の裏側に踏み込むことになる
夜のグランフォルトは、昼とは別の顔をしていた。
表通りはまだ灯りが多い。
酒場の喧騒。
遅い食事の匂い。
笑い声。
でも、少し外れた区画へ入ると、音が減る。
石壁の影。
細い路地。
古い排水路。
昼の都市の下に、もう一つ別の都市が潜んでいるみたいだった。
「旧水路って、こんなところにあるんだな」
「普通の人はあまり来ないわ」
エルフィーが短く言う。
「普通の貴族令嬢もあまり来ない場所だと思うけど」
「うるさい」
でも実際、その通りだ。
彼女がこういう場所にも躊躇なく来るのは、ただのお嬢様じゃない証拠でもある。
案内役はクロハだ。
細い体で先を歩き、時々振り返っては「静かに」と指で示す。普段はふざけているくせに、こういう時の彼女は無駄がない。
「この先、降りるよ」
古びた格子の一枚を外し、暗い縦穴へ滑り込む。
下は湿った旧水路だった。
浅い水。
苔むした石。
鼻につく匂い。
遠くから響く水音。
「……本当に潜るのね」
エルフィーが嫌そうに言う。
「今さら何を」
「服が汚れるでしょう」
「そこなんだ」
セラが少しだけ笑った。
旧水路の奥へ進むと、やがて人の声が聞こえてきた。
低い話し声。
金属の擦れる音。
そして、何かをこじ開けるような音。
クロハが手を上げる。
物陰から覗くと、確かに黒い仮面をつけた連中がいた。
五人。
装備はばらばらだが、全員それなりに戦えそうだ。
そのうち二人が、水路脇の石壁を道具で開こうとしている。
「あそこだよ」
クロハが囁く。
「たぶん古い保守路。水路のさらに奥に繋がってる」
俺のポケットの中には、今回は遺物を持ってきていない。
それでも、壁の向こうに何か嫌な気配があるのがわかった。
【危機察知が発動しました】
【封鎖区画内に不安定反応】
やっぱり何かある。
「止める?」
クロハが楽しそうに言う。
「そんな軽く言うことじゃないわよ」
エルフィーが睨む。
だが、ここまで来て見逃す選択肢もない。
「セラ、後ろから支援。エルフィーは正面。俺は右から崩す。クロハは――」
「気分で」
「役に立て!」
「善処するー」
最悪だ。
でもその直後、黒仮面の一人がこちらに気づいた。
「誰だ!」
「ちっ、もうバレたか」
エルフィーが前へ出る。
「ギルド所属の探索者よ。封鎖区画への不正侵入は見逃せないわ」
「ギルドだと? こんな時間にか?」
「そっちこそね」
会話はそこで終わった。
黒仮面たちが一斉に武器を抜く。
戦闘開始だ。
狭い水路での戦いは、通路以上に厄介だった。
足場が悪い。
動ける範囲が狭い。
音が響く。
飛び道具の角度も限られる。
だが逆に言えば、人数差も出にくい。
一人目が曲刀を振って突っ込む。
俺は新しい《受け流し》を意識した。
真正面から止めない。
刃を流す。
角度を逸らす。
ぎ、と金属が鳴る。
成功だ。
相手の体勢がわずかに崩れる。
その瞬間、俺の剣が脇腹へ入る。
「がっ……!」
「今のいい!」
セラの声と同時に、後ろから光弾が飛び、別の敵の足元を乱す。
エルフィーは相変わらず強い。
狭所でも一切ためらわず、最短の突きで敵を抑える。
前よりさらに“任せられる”感覚が強くなっていた。
一方、クロハはというと――
「ほい」
いつの間にか敵の真後ろに回り、工具袋みたいなものから何かを撒いた。
次の瞬間、小さな発光とともに黒仮面の足元が弾ける。
「うおっ!?」
「何だそれ!」
「即席びっくり罠」
びっくり罠って言うな。
でも有効だ。
混戦の中、一人がまた壁の封鎖に触れようとした。
そいつだけは駄目だ。
俺は水を蹴って走る。
【危機察知が発動しました】
【対象:開放担当個体】
剣を振る。
相手が避ける。
だがそこへクロハの投げた細いワイヤーが絡み、男の腕が止まる。
「今だよ、新人くん!」
「助かる!」
刃を叩き込み、男を壁から引き離す。
その時だった。
封鎖壁の一部が、半端に開いた。
中から黒い霧のようなものが吹き出す。
「っ、下がって!」
セラが叫ぶ。
霧が触れた石がじゅっと音を立てた。
「毒気か……いや、呪気!?」
クロハまで表情を変える。
【不安定呪気反応を確認】
【滞留型悪性残滓】
嫌なものだと直感でわかった。
黒仮面たちも完全に動揺する。
「何だこれは!」
「聞いてねえぞ!」
「逃げるぞ!」
勝手な連中だな。
でも逃げようとした一人に、霧の中から伸びた黒い腕が絡みついた。
「ひっ――」
悲鳴。
そのまま引きずり込まれそうになる。
敵だ。
敵だけど。
このまま見殺しは、後味が悪すぎる。
「ユウト!」
エルフィーの声。
もう考えるより先に動いていた。
男の腕を掴み、引く。
重い。
呪気の腕は冷たいのに焼けるみたいで、皮膚がびりびりする。
【危機察知が発動しました】
【長時間接触は危険】
わかってる。
「セラ!」
「《ピュア・ライト》!」
白い浄化光が呪気の腕を焼く。
そこへエルフィーの細剣、クロハの投げ刃が同時に刺さり、腕は霧へ戻って消えた。
男を引き抜く。
咳き込みながら、黒仮面の男はその場に転がった。
「な、なんで助け……」
「知らないよ。体が動いたからだ」
そうとしか言えない。
だが問題は終わっていない。
半開きの封鎖壁の向こうで、まだ何かが脈打っている。
「これ、塞がないとまずいわ」
エルフィーが言う。
「でも中に何かいる……!」
セラの声に混じって、黒い霧の奥で複数の目みたいな光が見えた。
ぞっとする。
このままここで戦うのは危険すぎる。
「閉じる方法、ある?」
俺が問うと、クロハが壁の側面を見て舌打ちした。
「あるけど、開いた時点で半壊れてる。力押しじゃ無理」
【鑑定が発動しました】
【封鎖補助鍵:右側下部、埋没】
見えた。
「右下、石の中!」
「ほんとになんでも見つけるねあんた!」
クロハが工具を突っ込み、石の中から錆びた金属片を引き抜く。
「これ?」
「たぶん!」
クロハがそれを溝に差し込む。
かち、と音。
封鎖壁が震える。
「押して!」
全員で押す。
石が軋む。
黒霧がなおも隙間から手を伸ばそうとする。
セラが必死に浄化光を当て続ける。
俺も肩を入れて押す。
「閉じろ……!」
ごごご、と轟音。
最後に重い一撃のような手応えとともに、封鎖壁は完全に閉じた。
静寂。
残ったのは、荒い呼吸と浅い水音だけだった。
「……危なかった」
セラがへたり込みそうになる。
「ええ。本当に」
エルフィーも珍しく額に汗を浮かべていた。
クロハは壁に背中を預け、肩で息をしながら笑った。
「いやー、楽しかった」
「お前、感想が軽すぎる」
「でも生きてるし?」
その言い方には、妙な強さがあった。
黒仮面の連中は、完全に腰が引けていた。助けられた男など、もう戦うどころではない。
「こいつらはギルドへ」
エルフィーが冷たく言う。
「それと、この封鎖壁の件もすぐ報告」
「同感」
俺も頷く。
帰り際、クロハが俺の横に並んだ。
「さっき、敵でも助けたね」
「……まあ」
「甘いのか、そういう性分なのか」
「どっちだと思う」
「両方かな」
クロハはにっと笑う。
「でも、そういうとこ嫌いじゃないよ」
その距離が近い。
声も近い。
やめてほしい。普通に心臓に悪い。
しかも前を見ると、エルフィーがすごく無言になっていた。
こわい。




