51_街
翌日の午後、レオンが街へ行こうと言い出した。
「せっかくヴァルディアまで来たんだし、街を見に行かない?」
「行きたいですわ!」
思わずすぐに答えると、レオンが笑った。
「即答だね」
「だって、ずっと気になっていましたもの」
「僕も行く」
アルベルトがすぐに言う。
「もちろんですわ。一緒に行きましょう」
セレナが笑いかけると、アルベルトも嬉しそうに笑った。
ヴァルディアの街は、エルグランとはずいぶん違っていた。
大通りには様々な国から運ばれてきた品が並び、鮮やかな布地の隣では見慣れない果実が売られている。聞き慣れない言葉が飛び交い、少し歩くだけで知らない香りがする。
セレナはさっそく店先で足を止めた。
「レオン様、これは何ですの?」
「茶葉。東から来たものだよ」
「こちらは?」
「南の布」
「あの赤い実は?」
「食べてみる?」
「食べられるんですの?」
「そこから?」
レオンが笑う。
「だって、初めて見ましたもの」
次の店先にも見たことのない香辛料が並んでいる。
セレナはそちらへ近づいた。
「これは香りが強いですわ」
「料理にも使うけど、香にも使えるよ」
「香にも?」
「食いついたね」
「それは気になりますわ」
少し離れたところから、アルベルトが笑った。
「セレナ、楽しそう」
「とても楽しいですわ」
振り返って答える。
「まだ少ししか歩いていないのに、知らないものばかりですもの」
「じゃあ、ゆっくり見よう」
レオンが歩調を緩めた。
そのとき、店先から明るい声が飛んできた。
「殿下、お帰りなさい!」
レオンがそちらを向く。
「ただいま」
「東から面白い品が入りましたよ。殿下がお好きそうなものもあります」
「へえ。今度見せてよ」
「もちろんです」
商人が嬉しそうに笑った。
少し歩くと、別の店からも声がかかる。
「殿下、この前はありがとうございました」
「お母さん、元気になった?」
「ええ、おかげさまで」
「よかった」
それからも何度か「お帰りなさい」と声をかけられた。
レオンはそのたびに笑って応えている。
セレナはいつの間にか商品ではなく、レオンの方を見ていた。
「何?」
「皆様、レオン様がお好きなのですね」
レオンが目を瞬いた。
「そう見える?」
「はい。だって、レオン様を見つけると皆様笑顔になりますもの」
「そうかな」
「レオン様も嬉しそうですわ」
セレナは街を見渡してから、笑った。
「ここにいるレオン様、素敵ですわね」
「……そう?」
「はい」
いつもより楽しそうに見える。
「わたくし、ヴァルディアにいるレオン様も好きですわ」
レオンが黙った。
「レオン様?」
「……なんでもない」
笑ったレオンの耳が、ほんの少し赤い。
「僕は?」
「え?」
「僕も好き?」
「もちろん大好きですわ」
今度はアルベルトが嬉しそうに笑った。
レオンが横から呆れたように見る。
「聞くんだ」
「聞いたら言ってくれるから」
「ずるいな」
しばらく歩いたところで、レオンが一軒の服飾店の前で足を止めた。
「これ、セレナ嬢に似合いそう」
窓辺には淡い青のドレスが飾られていた。エルグランのものより軽やかな仕立てで、銀糸の刺繍が裾まで流れている。
「綺麗……」
セレナは窓へ近づいた。
「刺繍も少し違いますわね」
「着てみる?」
「いいんですの?」
「もちろん」
セレナはもう一度ドレスを見る。
「着てみたいですわ」
店へ入ると、レオンがすぐに別のドレスを持ってきた。
「これも」
「こちらも?」
「好きなだけ」
「では、こちらも」
セレナが自分で一着取る。
レオンが笑った。
「楽しんでるね」
「だって、エルグランとは形が違いますもの」
試着室から出ると、アルベルトがぱっと顔を明るくした。
「かわいい」
「本当?」
「うん。すごくかわいい」
セレナは鏡の前でくるりと身体の向きを変えた。
裾がふわりと揺れる。
「わたくしも、これ好きですわ」
「次はこれ」
レオンが深い緑のドレスを持ってくる。
「まあ、綺麗」
「絶対似合うよ」
「では、着てきますわ」
気づけば三着、四着と増えていた。
淡い青。
白。
深い緑。
普段なら選ばない色も、着てみると楽しい。
次のドレスで出るたび、アルベルトは嬉しそうに「かわいい」と言い、レオンは「似合う」と笑う。
最後の一着で出る。
「かわいい」
「先ほどから全部そう仰っていますわ」
「全部かわいいから」
「もう少し違う感想はありませんの?」
アルベルトは改めてセレナを見る。
「すごくかわいい」
「増えただけですわ」
レオンが吹き出した。
セレナはもう一度鏡を見る。
「どれにしようかしら」
「全部」
レオンが言った。
「……全部?」
「うん。全部お願いします」
店員へ告げるレオンに、セレナは慌てて振り返った。
「待ってくださいませ。自分で買いますわ」
「いいよ」
「でも、こんなにたくさん……」
「セレナ嬢」
レオンが少しだけ身を屈めて、顔を覗き込む。
「かっこつけさせて」
「……」
何も言えなくなった。
レオンが笑う。
「嫌?」
セレナは少し迷ってから、首を横に振った。
「……嫌ではありませんわ」
「じゃあ決まり」
「もう……」
そう言いながらも、並んだドレスを見ると頬が緩んでしまう。
「ありがとうございます、レオン様」
「どういたしまして」
どれから着ようか。
そう考えるだけで、少し楽しくなった。
店を出ようとしたところで、アルベルトがセレナを呼び止めた。
「セレナ」
「なんですの?」
「これ」
差し出されたのは、小さな箱だった。
「……いつの間に?」
「着替えてる間」
蓋を開ける。
中に入っていたのは、細いブレスレットだった。
宝石も飾りもない。
ただ、細い金属が手首を一周するだけの、ごくシンプルなもの。
けれど色は、普通の金よりずっと淡い。
柔らかな、薄い金色だった。
「綺麗……」
「好き?」
アルベルトが少しだけ不安そうに聞く。
「ええ。とても好きですわ」
その顔がすぐに緩んだ。
「よかった」
「つけてくださる?」
「うん」
セレナは左手を差し出した。
アルベルトが細いブレスレットを手首へ回し、小さな留め具を留めようとする。
けれど、なかなかうまくいかない。
「……難しい」
眉を寄せるアルベルトに、セレナは笑った。
「代わりましょうか?」
「だめ。僕がつける」
「では、お任せしますわ」
アルベルトは真剣な顔で留め具と格闘している。
しばらくして、小さな音がした。
「できた」
満足そうに笑う。
「似合う」
セレナは手首を持ち上げた。
淡い金色が、光を受けて静かに輝いている。
とても優しい色だと思った。
「ありがとうございます。大切にしますわ」
「うん」
「本当に似合ってるよ」
店を出る頃には、街に夕方の灯りがともり始めていた。
アルベルトがいつものように手を取る。
セレナも自然に握り返し、その隣をレオンが歩いた。
「今日は楽しかったですわ」
「もう帰るの?」
レオンが聞く。
「今日は帰ります。でも、まだ見たいところがたくさんありますの」
「じゃあ次は市場?」
「行きたい!」
また即答してしまった。
レオンが笑う。
「じゃあ、また三人で来よう」
「ええ」
「……三人?」
アルベルトが少しだけ不満そうな顔をした。
セレナは繋いだ手を両手で包む。
セレナは笑った。
「二人でも来て、三人でも来ましょう。せっかくですもの、たくさん遊びたいですわ」
「欲張りだね」
「今日はいいんです」
「なんで?」
レオンに聞かれて、セレナは笑う。
「楽しいからですわ」
三人でまた歩き出す。
繋いだ左手には、アルベルトがくれた淡い金色が揺れている。
知らない街も。
新しいドレスも。
手首のブレスレットも。
全部、嬉しかった。
◇
その夜。
寝台の脇には、もう盥が用意されていた。
セレナは何も聞かずに椅子へ座る。
湯の中で足の甲を撫でられながら、セレナは今日のドレスの話をした。
淡い青。
白。
深い緑。
「どれから着ようか、迷ってしまいますわ」
「うん」
アルベルトは香油を掌で温め、手を取った。
指を一本ずつ包んで、手首へ。
ブレスレットのところで、指が止まる。
淡い金色の輪を、そっと少しずらす。
その下の肌にも、丁寧に香油を馴染ませていく。
「外さなくてよろしいの?」
「外さない」
「香油がついてしまいますわ」
「いいよ。あとで拭くから」
それから、輪を元の位置へ戻した。
「明日は、どれを着る?」
「そうですわね……」
考えようとして、セレナは少し首を傾げた。
瞼が重い。
湯で温まった足が、ふわふわしている。
「アルが、選んでくださる?」
アルベルトが顔を上げた。
一瞬だけ、黙る。
それから、ふわりと笑った。
「いいの?」
「ええ。アルの選ぶものなら、間違いありませんもの」
「じゃあ、いつものにしよう」
「いつもの……?」
「うん。いつもの」
どうして新しいものではないのか。
聞こうとしたはずだった。
けれど、香油の甘い香りの中で、その問いはすぐにほどけて消えた。
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