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元悪役令嬢ですが、夫が二人になりました。どちらも私に執着しています  作者: すなな


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49_菓子

その夜。

湯浴みを終えて部屋へ戻ると、寝台の脇に湯を張った盥が置かれていた。


「アル? これは……」

「足湯。今日、たくさん歩いたでしょ」


アルベルトが椅子を引く。


「座って」


セレナは盥を見て、それからアルベルトを見た。


「侍女に頼めば――」


言いかけて、止まる。


「ここ、侍女いないでしょ」


アルベルトが先に言った。

皇太子が一人で使う館だ。

屋敷の中で見かけたのも、最低限の使用人だけだった。


「僕がやるよ」

「アルにそのようなことをさせるわけには」

「させてよ」


少しだけ首を傾げる。


「だめなの?」

「……だめでは、ありませんけれど」

「じゃあ、座って」


セレナは椅子へ腰を下ろした。

アルベルトが足元へ膝をつき、裾を少しだけ持ち上げる。

足首へ手が添えられ、ゆっくりと湯の中へ下ろされた。


温かい。

思わず、息がこぼれる。


「熱くない?」

「ちょうどいいですわ」


湯の中で、アルベルトの指が足の甲を撫でる。

踵。

指の間。

くるぶしのまわり。

長く歩いて強張っていたところを、一つずつほどいていく。

くすぐったいと思ったのは、最初だけだった。

すぐに何も考えられなくなる。


見下ろすと、柔らかく跳ねた髪がすぐそこにあった。

近くにいると、いつもの甘い香りがする。

焼き菓子のような、バニラの香り。

昔から、アルはこの香りだった気がする。

湯から上げた足を柔らかな布で包み、水気を拭う。

それから、アルベルトは小さな瓶の蓋を開けた。

甘い香りが、ふわりと広がる。


「それは?」

「香油」


掌で温めてから、足首からふくらはぎへ塗り広げていく。


「レオン様の?」

「違う」


即答だった。


「僕が選んだやつ」

「……甘い香りですわね」

「好きでしょ」

「ええ」


アルベルトが嬉しそうに笑う。

足が終わると、次は手だった。

指を一本ずつ包まれ、爪の際まで香油を馴染ませていく。

手首。

腕の内側。

肘のあたりまで。


セレナはもう、自分で手を動かそうとはしなかった。

差し出してと言われるより先に、もう手を預けている。

いつの間にか、瞼が重くなっていた。


「眠い?」

「少し……」

「いいよ。寝て」


自分で歩けますわ、と言うつもりだった。

けれど身体が温かくて、言葉にする前に抱き上げられ、寝台へ下ろされていた。

甘い香りがする。

自分の肌からだった。



◇



セレナが眠ったのを確かめてから、アルベルトは小瓶の蓋を閉めた。

寝台を離れ、盥を片づける。

戻りかけたところで、鏡台の前を通った。

灯りの残る鏡の中に、自分がいた。


何もつけずに、柔らかく跳ねた髪。

淡い色の寝衣。

力を抜いた目元。

甘い匂いがした。

自分の身体から立つ、バニラの香りだった。


一度目の僕は、こんな姿じゃなかった。

髪は整えていたし、目つきを隠そうとも思わなかった。

香りなんて、つけたこともない。


鏡の中にいるのは、甘ったるい香りの菓子のような男だった。


セレナは、可愛いものが好きだ。

柔らかいもの。

ふわふわしたもの。

甘いもの。

だから、こうなった。

髪には何もつけない。

整えずにおけば、セレナが撫でてくれる。

声は、少しだけ甘くする。

香りは、セレナの好きなバニラにした。

本当は、好きじゃない。

最初の頃は、自分から香るたびに胸が悪くなった。


今はもう、慣れた。

セレナはきっと、今のこれが本当の僕だと思っている。

違う。

幼い頃から、わざとそうしてきた。

撫でてと言えば、セレナは頭を撫でてくれた。

肩に頭を預ければ、少し困った顔をして、それでも受け入れてくれた。

小さな手が髪を梳くたびに、ここが僕の場所だと思った。


外では、いつも後ろから抱きしめた。

茶会でも、夜会でも、庭園でも。

人の目があるところほど、腕を回した。

婚約者じゃなかったから。

名前で縛れないなら、見せるしかなかった。

セレナは僕のものだよ、と。

近づこうとする奴らに。

目を向ける奴らに。

声をかけようと口を開きかけた奴らに。

腕の中のセレナを見せて、肩越しに笑ってみせた。


「だめなの?」


甘えた声で頼めば、セレナは受け入れてくれた。

仕方ありませんわね、と言いながら。

年頃の令嬢が、婚約者でもない男に人前で抱きしめられている。


普通なら、おかしい。

誰かが眉をひそめて、セレナ自身もいつか気づいて、腕を払う。

そうなるはずだった。

でも、ならなかった。

何年もかけて、それが当たり前になるようにしたから。

セレナにとっても。

周りにとっても。

アルベルトがセレナにくっついているのは昔からのことだ、と。

そうやって、少しずつ作ってきた。


僕の居場所。


触れられることにも、慣らした。

髪に。

手に。

頰に。

最初は小さく肩を跳ねさせていたセレナが、いつからか何も言わなくなった。

誰かの腕の中にいることを、おかしいと思わなくなった。


そして、セレナは僕を選んでくれた。

……選んだ、のかな。

僕しかいなかったから。

僕がいちばん近くにいたから。

他の男が近づく前に、全部、僕が塞いでいたから。

それでもいい。


よかった。

本当に、よかった。

ずっと牽制してきた甲斐があった。

なのに。


鏡の中の目が、細くなっていた。

あいつが、またセレナの近くにいる。

どうして。

あいつは、セレナの好みじゃないはずだ。

大きくて、硬くて、甘さなんてどこにもない。

可愛くもない。

ふわふわもしていない。

撫でたくなるような髪でもない。

それなのに。


今日、セレナはこの家の扉を迷わず開けた。

覚えていないはずなのに。

セレナのどこかが、あいつの家を覚えている。

僕は何年もかけて、自分を作り変えたのに。


嫌いな匂いをまとって。

目つきを隠して。

声まで変えて。


あいつは、何もしていない。

そのままで。

作らなくても。

選ばれる。

大嫌いだ。


アルベルトは鏡から目を逸らした。

息を吐いて、眉から力を抜く。

目元を緩める。

もう一度見る気にはなれなかった。


だから。

ここにいる間は、全部僕がやる。

足も、手も、肌に触れるものは全部。

世話をするのは、得意だ。

セレナのことなら、なおさら。


自分では何もできないように、してしまおう。

もっとセレナも変えてしまえば良い。

侍女がいない。

それだけで、セレナは疑いもしなかった。

自分でできることを、一つずつ僕に預けていく。

預けたことすら、そのうち忘れる。

そうしたら、セレナに触れるのは僕だけになる。

僕がいなければ、何もできなくなる。

そうなれば。

今度こそ、セレナは僕のものになる気がした。


アルベルトは寝台へ入り、眠るセレナを抱き寄せた。

指先へ唇を寄せる。

甘い香りがした。

セレナの肌の香りと、自分の香りが混ざっている。

どちらも、僕が選んだ香りだった。


「明日も、僕がやるからね」


返事はない。

腕の中の身体は、何も知らないまま柔らかかった。


挿絵(By みてみん)

(関連話)

アルベルトが自分を作り変え始めた日はこちら↓

「私を処刑した王子を6歳から矯正してみます」第10話 バニラ

https://ncode.syosetu.com/n7272mp/10/

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