48_香房
ヴァルディアへ到着したその日のうちに、三人は皇帝への謁見を済ませた。
今回の滞在について改めて話をし、エルグランとヴァルディアの両国で、毒の流通経路を引き続き調べていくことを確認する。
その中でセレナから、今回使われた毒そのものについても、両国で詳しく調べたいという提案が出た。
ヴァルディアから持ち込まれた原料と、エルグランで確認された毒。
何を組み合わせることで毒性を持つのか。
身体へどのように作用するのか。
その詳細を調べたうえで、解毒剤についても研究を進める。
皇帝も了承し、必要な資料や試料、原料、器具が揃い次第、カシウスも加えた四人で取りかかることになった。
準備には少し時間がかかる。
ひとまず今は、それぞれの側で必要なものを揃えていくことになった。
長旅の直後ということもあり、その日の話はそれほど長くはならなかった。
謁見を終えて別館へ戻ると、今日はもう休むことになった。
セレナも自室へ戻る途中だった。
ふと、微かな香りに足を止める。
花ではない。
乾いた木を焚いたような香りに、どこか甘さが混じっている。
セレナは辺りを見回した。
どこからだろう。
香りを辿って廊下の奥へ進むと、一つの扉が少しだけ開いていた。
「レオン様?」
中を覗くと、レオンが顔を上げた。
「セレナ嬢」
部屋には、小さな壺や瓶、木箱がいくつも並んでいた。
棚には紙に包まれた香料が収められ、中央の低い卓では、小さな香炉から細い煙が立ち上っている。
「何をなさっているんですの?」
「香を焚いてた」
「香?」
セレナは部屋へ入った。
近づくにつれて、廊下で感じた香りが濃くなる。
「ずいぶんたくさんありますのね」
「東から取り寄せてるんだ。香木だけでも結構あるよ」
レオンが木箱を一つ開けた。
形も色も違う木片が、いくつか収められている。
「嗅いでみる?」
「ええ」
差し出されたものへ顔を近づける。
乾いた木の香りだった。
けれど、よく嗅ぐとその奥に微かな甘さがある。
「木なのに、甘い香りがしますのね」
「焚くと変わるよ」
レオンはその一部を削り、香炉へ入れた。
しばらくすると、先ほどまで乾いていた香りが熱を含み、ゆっくりと柔らかくなっていく。
セレナは細い煙を目で追った。
「本当ですわ。同じものとは思えません」
「面白いでしょう?」
「ええ」
温度や量でも変わるのだろうか。
別の香料を合わせれば、さらに違うものになるのかもしれない。
気になって棚を見ると、レオンが笑った。
「研究したくなった?」
「少しだけ」
「少し?」
「……かなり」
「だと思った」
次々と違う香りを試しているうちに、レオンが一つの香炉を手元へ寄せた。
「じゃあ、これは?」
それまでとは違う香りが立ち上る。
甘い。
濃い花の香りだった。
けれど、ただ甘いだけではない。
深く吸い込むと、涼やかなものが微かに混じり、そのあとに乾いた苦味が残った。
もう一度嗅ぐ。
妙な香りだ。
落ち着くような気もするのに、近づくほど意識してしまう。
「……少し、色っぽい香りですわね」
「そう?」
レオンは平然と答えた。
「そうですわ。なんだか……」
うまく言葉にならない。
セレナはもう一度、香炉へ顔を近づけた。
甘いのに、爽やかで。
爽やかなのに、離れがたい。
「何をイメージした香りなんですの?」
「内緒」
「なぜですの?」
「今はまだね」
教える気はないらしい。
セレナが不満そうにレオンを見ると、彼は楽しそうに笑った。
そのとき、廊下から足音が近づいてきた。
「セレナ?」
振り返ると、扉からアルベルトが顔を覗かせた。
「アル」
「ここにいたんだ」
「レオン様の香房を見せていただいていましたの」
アルベルトが部屋へ入ってくる。
そのままセレナの隣へ来て、香炉を覗き込んだ。
「いい匂いだね」
「少し色っぽい香りだと思いません?」
アルベルトがもう一度嗅ぐ。
「……うん。セレナが言うなら、そんな気がする」
「わたくしに合わせていません?」
「だめ?」
あまりにも素直に言うので、セレナは笑ってしまった。
「もう」
アルベルトも笑う。
レオンは向かい側で、黙って二人を見ていた。
◇
全然違う。
レオンは頬杖をついたまま、並んでいる二人を眺めた。
さっきまでセレナが一人で座っていた場所に、今はアルベルトがいる。
距離が近い。
何か特別なことをしているわけではない。
セレナが香木を一つ手に取ると、アルベルトがすぐに覗き込む。
「これは甘いですわ」
「ほんと?」
「嗅いでみます?」
差し出された香木へ、アルベルトが顔を寄せた。
「甘い」
「アルはお好きでしょう?」
「うん。好き」
セレナが別の香木へ目を移したところで、アルベルトが小さく付け足した。
「セレナが好きなら」
「何か仰いました?」
「何も」
レオンは思わず笑いそうになった。
分かりやすい。
二人を眺めながら、卓上に並べた香料へ目を落とす。
さっきの香りではない。
もっと柔らかい。
甘くて、温かい。
香ばしさを少し入れてもいい。
焼きたての菓子みたいな、思わず手を伸ばしたくなる香り。
その奥には、白檀。
ゆっくり熱を持って、最後まで残る。
レオンは一本の香木を手に取った。
「……へえ」
「何ですの?」
セレナがこちらを見る。
「何でもない」
「先ほどから、そればかりですわね」
「そう?」
レオンは笑った。
セレナの隣では、アルベルトが別の香料を嗅いで顔をしかめている。
「アル、それはお嫌い?」
「別に」
「顔に出ていますわよ」
「……これは好きじゃない」
「やっぱり」
セレナが笑う。
アルベルトもつられて笑った。
レオンは二人を見ながら、手にしていた香木を指先で転がした。
甘い。
思っていたより、ずっと。
それも悪くない。
何も言わず、レオンは香木を元の場所へ戻した。




