46_ヴァルディア
国境を越えてから、景色は少しずつ変わっていった。
最初は、それほど大きな違いには見えなかった。
街道の両脇には畑が広がり、ところどころに小さな村がある。
けれど馬車が帝都へ近づくにつれて、家々の造りが変わり、行き交う人々の服装が変わった。
やがて聞こえてくる言葉の響きまで、エルグランとは違うものになっていく。
セレナは先ほどから、ずっと窓の外を見ていた。
エルグランは緑が多い。
穏やかな気候に恵まれ、王都には淡い色の石を使った建物が並ぶ。
庭や街路樹も多く、王宮も大きな窓から光を取り込む明るい造りをしていた。
ヴァルディアは、それよりもずっと雑多だ。
広い街道を、荷を満載した馬車が何台も連なって進んでいる。
穀物や木材だけではない。
鮮やかな布。
香辛料。
茶葉。
見慣れない果実。
様々なものを積んだ荷車が行き交い、その間を騎馬の一団が抜けていく。
人々の姿も様々だった。
厚い外套を纏った者もいれば、薄い布を幾重にも重ねた服を着た者もいる。
髪や肌の色も、話している言葉も一つではない。
エルグランにも外国の商人はいる。
けれど、この国では誰が外国から来た者なのか、レオンにも分からないことがある。
国境を接する土地が多く、交易のために訪れた者がそのまま住み着くことも珍しくない。
地方によって気候も文化も違い、それぞれの土地から運ばれてきたものが帝都で混ざり、また別の国へ流れていく。
生まれたときから見てきたレオンには、それが当たり前だった。
だから、窓の外を眺め続けるセレナの方が面白かった。
「随分、雰囲気が違いますのね」
「そう?」
「ええ。建物もそうですけれど、人も」
セレナは窓の向こうを行く人々を目で追っている。
「色が多いですわ」
「色?」
「服も、売られているものも。いろいろなものが混ざっているように見えます」
「ああ」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
レオンにとっては見慣れすぎていて、考えたこともなかった。
「ヴァルディアは広いからね。地方ごとに文化も違うし、他国から来てそのまま暮らしてる人も多いよ」
「では、使われている言葉も違いますの?」
「違うところもある。公用語は決まってるけど、商人なら二つ三つ話せる人も珍しくないかな」
「まあ」
青い瞳が楽しそうに細められる。
前もそうだった。
初めてヴァルディアへ来たセレナは、何を見るにも忙しかった。
知らない植物を見つければ名前を聞き、見たことのない料理が出れば材料を知りたがる。
珍しい織物を見つけたときには、どうやって作られているのか気になって、職人の話を長いこと聞いていた。
今のセレナは、その頃のことを知らない。
それなのにやっぱり同じように、窓の外を見ている。
「レオン様、あれは何ですの?」
指差された方を見る。
大きな荷車に、細長い籠がいくつも積まれていた。
「茶葉じゃないかな。南から来たやつ」
「エルグランにも?」
「行くと思うよ。ここからいくつか商会を経由して、エルグランまで運ばれる」
セレナは興味深そうに荷車を目で追った。
「では、わたくしたちが普段いただいているものも、こうして運ばれてくるのですね」
「たぶんね。ヴァルディアを通るものは多いよ」
「同じ茶葉でも、運ばれる土地や保存方法によって香りは変わるのでしょうか」
「変わるよ。湿度だけでも結構違う」
「まあ」
途端に、セレナの目が輝いた。
「比べてみたいですわ」
「やっぱりそこに行くんだ」
「気になりません?」
「セレナ嬢ほどはね」
セレナが少し不満そうな顔をする。
レオンは笑った。
以前にも、似たようなことがあった。
知らないものを見つければ、綺麗だとか珍しいとかで終わらない。
どうして違うのか。
何が違うのか。
確かめたがる。
そういうところまで、やっぱり同じだった。
まったく同じではない。
場所も違えば、言葉も違う。
それでも時々、二度目の人生がそのまま続いているような錯覚に陥る。
向かいにはアルベルトがいる。
セレナの隣に座り、同じ景色を眺めている。
それだけで、今があの頃とは違うのだと思い知らされた。
帝都へ近づくにつれて道幅はさらに広くなり、建物も大きくなっていった。
淡い石造りの多いエルグランとは違い、こちらでは濃い色の石や木、黒い金属がよく使われる。
長い冬や強い風に耐えるため、壁も厚い。
華やかで優美なエルグランに比べれば、ヴァルディアの街並みは重く見えるかもしれない。
けれど、その足元には人と物が溢れていた。
帝都の門へ着く頃には、レオンにもようやく帰ってきた実感が湧いてきた。
皇宮の敷地へ入る。
正面には、大きな本館が見えていた。
けれど馬車はそちらへ向かわず、本館の脇を抜けてさらに奥へ進んでいく。
最初に気づいたのは、アルベルトだった。
「本館じゃないの?」
「うん」
「どこに行くの」
「オレが普段使ってる別館」
「僕たちもそこに?」
「本館は人が多いからね。こっちの方が落ち着くでしょう?」
セレナは素直に頷いた。
アルベルトだけが、何か言いたそうな顔をしている。
レオンは気にせず、窓の外へ視線を戻した。
本館から離れ、庭園を抜ける。
やがて木立の向こうに、見慣れた建物が見えてきた。
レオンが今も暮らしている別館。
そして。
前回の人生で、セレナと夫婦として暮らした家だった。
馬車が止まった。
扉が開くと、先にレオンが降りた。
別館の前には、数人の家臣が並んでいた。
その中央に立つ青年を見て、レオンが少し目を見開く。
「カシウス」
「兄上」
青年はほっとしたように笑った。
「お帰りなさいませ。心配しました」
「もう大丈夫だよ」
「完全には治っていないと聞いておりますけれど」
「……誰から聞いたの」
「報告書です」
レオンは僅かに目を逸らした。
その間に、セレナとアルベルトも馬車を降りる。
青年は二人へ視線を向けると、改めて姿勢を正した。
長い青い髪を低い位置で一つに結び、瞳は深い紫色をしている。
レオンとはあまり似ていない。
穏やかな微笑と、落ち着いた物腰が印象に残る青年だった。
「初めてお目にかかります」
カシウスは二人へ丁寧に礼を取った。
「ヴァルディア帝国第二皇子、カシウス・ヴァルディアと申します。兄がエルグランでは大変お世話になりました」
アルベルトも礼を返す。
「アルベルト・エルグランです。急な滞在を受け入れていただき、ありがとうございます」
「セレナ・エルグランと申します。お目にかかれて光栄ですわ」
「長旅でお疲れでしょうから、滞在中はご不便のないよう手配いたします」
「ありがとうございます」
一通りの挨拶が済むと、レオンがカシウスを見る。
「オレがいない間、何か変わったことは?」
カシウスの表情が、すぐに仕事のものへ変わった。
「いくつかございます。西部の交易路が、先日の雨で一部使えなくなっています。南へ迂回させる案も出ていますが、この時期なら東へ回した方が早いかと」
「オレも東がいいと思う。そっちで進めて」
「すでに関係する商会へ打診しております」
「早いね」
「兄上なら、そう判断なさると思いましたので」
「じゃあ、そのままお願い」
「承知しました」
「ほかは?」
「父上がお待ちです。戻られたら顔を見せるように、と」
「ああ。このあと行く」
カシウスが僅かに目を細める。
「本当にお願いいたします」
「行くって」
「前回も同じことを仰って、後回しになさいましたので」
「今回は大丈夫」
「でしたら結構です」
レオンが少しだけ眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
「それから、明日の会談ですが、予定通り午前でよろしいですか?」
「うん。予定通りで」
「承知しました」
カシウスは一礼すると、後ろに控えていた家臣へいくつか指示を出した。
エルグランにいるときから、レオンの判断が早いことは知っている。
数字にも強く、必要な情報を拾うのも、その先を読むのも早い。
それ自体は、今さら驚くことではなかった。
ただ、ここではレオンの一言で人が動く。
カシウスが先を読み、家臣がすぐに指示を受け、すでに次の準備が始まっている。
エルグランにいたときとは、立っている場所が違った。
ヴァルディアの皇太子。
知っていたはずの肩書きが、この国ではずっと形を持って見えた。
「では兄上。私は一度、本館へ戻ります」
「分かった」
カシウスはもう一度セレナとアルベルトへ礼を取った。
「何かございましたら、遠慮なくお申しつけください」
「ありがとうございます」
カシウスと家臣たちが本館の方へ去っていく。
三人だけになると、セレナは隣を歩くレオンを見上げた。
「こちらに来ると、皇太子殿下なのだと実感いたしますわね」
レオンが振り返る。
「今まで何だと思ってたの?」
「皇太子殿下ですわ」
「じゃあ同じでしょう」
「知っているのと、見るのとでは違いますもの」
「僕も少し分かる」
アルベルトが口を挟む。
レオンがそちらを見る。
「何が?」
「エルグランでは、君が皇太子として人を動かしてるところはほとんど見なかったから」
「人の国で勝手に命令したら怒られるでしょう?」
「それはそうだけど」
セレナが小さく笑った。
三人で別館へ向かって歩き出す。
エルグランにいたときは、レオンが客人だった。
王宮の人間が自分へ礼を取ることはあっても、そこで働く者たちはアルベルトやセレナの側の人間だった。
ここでは逆だ。
レオンが歩けば人が道を空け、行き先を尋ねる前に扉が開く。
すれ違う者は足を止め、頭を下げる。
その視線は、レオンの隣を歩く二人にも向けられていた。
特にアルベルトへ。
露骨に睨む者はいない。
けれど、警戒されていることくらいは分かる。
ヴァルディアの皇太子を毒殺しようとした疑いのある男。
それが今、この国へ来ている。
アルベルトが犯人ではないとレオン自身が主張していても、すべての人間が簡単に納得できるわけではない。
アルベルトも視線には気づいているらしい。
先ほどまでより、少しだけ口数が減っていた。
レオンは何も言わなかった。
ここで必要以上に庇えば、かえって目立つ。
いつも通りに話す。
アルベルトが嫌そうな顔をする。
それもいつも通りだった。
少なくともレオンには、アルベルトを犯人として扱う理由がない。
それだけ分かればいい。




