45_国を出る
呼び出しを受けた時点で、ある程度の覚悟はしていた。
アルベルトは王の執務室へ向かう廊下を歩きながら、ここ数日で集まったものを頭の中でもう一度整理する。
レオンに使われた毒。
その原料の購入記録には、自分の名前が残されていた。
しかも取引には、ただ王族の名を騙っただけでは用意できない証明まで使われている。
そこへ、レオンとセレナが親密なのではないかという噂まで広がった。
妻に近づく男を疎ましく思い、毒を盛った。
そう考えれば、動機まで成立してしまう。
もちろん、アルベルトには覚えがない。
けれど。
自分がやっていないことと、王家が何もしなくていいことは別だった。
執務室へ入ると、父だけではなく、王妃と王弟、宰相、それから司法を預かる重臣たちまで揃っていた。
それを見て、アルベルトは何も言わず用意された椅子へ腰を下ろした。
「先に言っておく」
王が口を開く。
「現時点で、お前を犯人と断定する証拠はない。審問にかける段階でもない」
「はい」
「だが、このまま何の処置も取らないわけにはいかなくなった」
王の手が、机の上の資料へ置かれた。
「毒の原料はお前の名義で購入され、その取引には正式なものと判断された証明が使われている。さらに、被害者との私的な確執まで噂され始めた」
アルベルトは黙って聞いていた。
言われていることは、すべて分かる。
「この状態でお前を王宮に置き、これまでと同じ権限を持たせ続ければ、王家が身内を庇っていると見られる」
「そうですね」
反論するつもりはなかった。
自分が逆の立場でも、同じことを考える。
王は少し間を置いてから告げた。
「調査が終了するまで、お前を王族としての公務から外す。王家の名による命令や承認を含め、公的な権限もすべて一時停止する」
覚悟していたはずなのに、実際に言葉にされると重かった。
幼い頃から積み重ねてきたものが、一度すべて手から離れる。
それでも。
有罪になったわけではない。
調査が終わるまでの、一時的な処置だ。
「……分かりました」
「もう一つある」
アルベルトは顔を上げた。
「調査の間、お前にはエルグランを出てもらう」
今度は、すぐには返事ができなかった。
「……国を?」
「ああ。王宮内に置けば、証拠や関係者への接触を疑われる。国内の別邸へ移したところで、王家の影響下にいることに変わりはない。調査の公平性を示すには不十分だ」
「行き先は?」
「ヴァルディアだ」
意外ではあった。
けれど、少し考えれば理由は分かる。
今回の被害者はヴァルディアの皇太子であるレオンだ。
その本人が、アルベルトの犯行ではないと明言している。
さらに毒にはヴァルディアから流入した原料が使われている可能性があり、流通経路を辿るには帝国側での調査も必要になる。
「ヴァルディアからは、正式に受け入れるとの返答が来ている。皇帝の承認も得ている」
「……レオンも?」
「本人が強く、お前の犯行ではないと主張している」
なんとなく複雑な気分になった。
あれだけ嫌いな男なのに。
こういうところでは、迷わない。
「期間は?」
「決められない。両国の調査次第だ」
数週間で済むかもしれない。
数か月になるかもしれない。
それ以上だって、あり得る。
アルベルトは少し考えてから頷いた。
「分かりました」
王の眉がわずかに動く。
「異論はないのか」
「僕がやっていないことは、調べれば分かります」
以前なら、そんなふうに言えただろうか。
自分でも分からない。
けれど今は、自分の言葉を何の迷いもなく信じてくれた人がいる。
『アルは買っていないのでしょう?』
あの一言を思い出すだけで、不思議と大丈夫だと思えた。
「いつ出ればいいですか?」
「三日後だ」
思ったより早い。
それでも、アルベルトは頷いた。
「分かりました」
執務室を出て一人で廊下を歩きながら、アルベルトはようやく自分に下された処置について考えた。
公務から外される。
王族として持っていた権限も使えない。
そして。
生まれてからずっと暮らしてきた国を出る。
今は一時的な処置に過ぎない。
それでも、もし疑いが晴れなければ、その先に王籍そのものを失う可能性がないとは言えなかった。
怖くないわけではない。
六歳から今まで。
ここで生きるために、たくさんのことを覚えてきた。
人の話を聞くこと。
自分とは違う考えを持つ人間がいること。
王族だから何をしても許されるわけではないこと。
間違えたら謝ること。
自分が持つ力を、誰かを傷つけるために使わないこと。
ほとんど全部。
セレナに教えてもらった。
そうしてようやく、この国で生きていける自分になったと思っていた。
その場所から。
一度、離れる。
けれど、自分はやっていない。
調べればいつか分かる。
そう考えながら廊下の角を曲がると、見慣れた銀色の髪が目に入った。
「アル」
セレナだった。
話が終わるのを待っていたらしい。
「終わりました?」
「うん」
「どうなりましたの?」
アルベルトは、決まったことをそのまま話した。
王族としての公務から外れること。
公的な権限が一時的に停止されること。
そして調査が終わるまで、エルグランを出ること。
セレナは途中で口を挟まず、最後まで静かに聞いていた。
「行き先は?」
「ヴァルディア」
「いつですの?」
「三日後」
「分かりました」
ずいぶんあっさりした返事だった。
アルベルトが少し拍子抜けしていると、セレナは何かを考えるように視線を落とした。
「三日あれば、支度はできますわね」
一瞬。
意味が分からなかった。
「……セレナ?」
「長くなる可能性もあるのでしょう? 何を持っていくか考えませんと」
「待って」
アルベルトは慌てて止めた。
「セレナは行かないよ」
今度はセレナが不思議そうにした。
「なぜですの?」
「なぜって……僕は遊びに行くわけじゃないんだよ」
疑いをかけられ、公的な権限を止められ、調査の公平性を保つために国外へ出される。
いつ帰れるかも分からない。
「僕一人でいいよ」
「よくありませんわ」
「セレナまで巻き込まれる必要ないでしょう」
「もう十分に巻き込まれておりますけれど」
言われてアルベルトは詰まった。
確かに、その通りだった。
「それでも、ここにいた方がいいよ。研究もあるし、セレナにはセレナの立場だってある」
セレナはエルグランの貴族だ。
今の自分についてくれば、彼女まで何を言われるか分からない。
それに今は公的権限の停止だけで済んでいる。
けれど。
もし。
「……僕、本当に王族じゃなくなるかもしれないんだよ」
口にすると、それまで考えないようにしていた可能性が急に現実味を持った。
「今は一時的に権限を止められただけだけど、もし疑いが晴れなかったら、その先は分からない。王籍だって――」
「アル」
セレナが静かに遮った。
青い瞳が、まっすぐアルベルトを見る。
「アルの王籍がなくなっても、わたくしがアルの妻でなくなるわけではありませんでしょう?」
アルベルトは何も言えなかった。
セレナは、本当に分からないという顔をしていた。
どうしてそんなことを心配しているのか。
むしろ、そう尋ねているように見えた。
「それとも、王籍がなくなったら、わたくしと離縁なさいますの?」
「しない」
考えるより先に答えていた。
「絶対しない」
「でしたら、何も問題ありませんわね」
「いや、あるよ」
「何がですの?」
聞かれて。
言葉に詰まった。
危険かもしれない。
不便かもしれない。
今までと同じ暮らしはできないかもしれない。
周囲から何を言われるかも分からない。
行かない方がいい理由なら。
いくらでも思いつく。
けれど。
セレナに来てほしくない理由は一つもなかった。
本当は、来てほしい。
どこへ行くことになっても。
隣にいてほしい。
それを言えば、セレナはきっと来てしまうから。
自分からは言わないつもりだった。
けれどセレナは、最初から迷っていなかった。
「わたくしも参ります」
「……セレナ」
「三日後でしょう? でしたら、今日から支度を始めませんと」
もう決定事項のように言って、セレナは歩き出した。
アルベルトはその場に立ったまま、少し先を行く銀色の髪を見つめる。
国を出る。
王族ではなくなるかもしれない。
いつ戻れるのかも分からない。
怖くないわけではない。
それでも一人ではない。
「セレナ」
呼ぶと、彼女が振り返った。
「はい?」
アルベルトは追いつき、その手を取った。
「……一緒に来てくれる?」
セレナは少しだけ笑った。
「最初から、そのつもりですわ」
握った手を離さないまま。
二人で歩き出した。




