42_基準
扉が閉まった。
食事室には、レオンとアルベルトだけが残る。
アルベルトは皿の上に残ったケーキを見る。
けれど、フォークを取る気配はない。
レオンは水を一口飲んだ。
「食べないの?」
「……もういい」
「好きなんでしょう?」
「好きだよ」
「ふうん」
向かいの皿は、やっぱり減らない。
「言えばいいのに」
アルベルトの手が止まった。
「……何を?」
レオンは答えず、残っていた自分のケーキを食べる。
アルベルトがじっとこちらを見た。
「セレナ、気づいてた?」
「気づいてないと思うよ」
それを聞いて、アルベルトの表情が僅かに緩む。
「幼い頃から一緒にいるのに、よくばれないね」
「普通に食べてるから」
「セレナ嬢がくれたら?」
「うん」
「すごい量のクリームだったけど」
「……僕が喜ぶと思ってる」
「大変だね」
「大変じゃない」
即答だった。
レオンは笑う。
甘いものそのものより。
セレナが自分へ何かをしてくれることの方が大事らしい。
「お前って、セレナ嬢にはよく甘えるよね」
「何、急に」
「さっきも食べさせてもらってたし」
「セレナがしてくれるから」
「抱きついたりもするし」
「夫婦だから」
レオンはグラスを指先で回した。
「キスもねだるの?」
アルベルトが少し眉を寄せる。
「……するけど」
「そのまま舌入れたり?」
「は?!」
アルベルトが勢いよく顔を上げた。
頬から耳まで、一気に赤くなる。
レオンは黙ってその顔を見る。
「何言ってるの?!」
「聞いただけだけど」
「普通そんなこと聞かないでしょう!」
「そう?」
「そうだよ!」
あまりにも分かりやすい。
結婚して二年もセレナを抱けなかった男だ。
そんなところだけ先に進んでいるわけもないか。
欲望より、禁欲に快を見出す質なのかもしれない。
「……何」
アルベルトが睨む。
「今、絶対失礼なこと考えたでしょう」
「考えてないよ」
「何もない顔じゃないでしょう」
レオンは笑った。
まあ。
だからいいんだけど。
思っていた以上に、アルベルトは踏み込んでいない。
それなら、その分だけ隙がある。
少なくとも。
セレナの身体についてなら、自分の方が知っている。
前の人生で何度も触れた。
抱いた。
腕の中で眠る彼女も知っている。
今のセレナにその記憶がないことも分かっている。
だから昔と同じように触れていいとは思っていない。
それでも先ほどのことを思い出す。
腰へ腕を回しても。
身体を寄せても。
長く口づけても。
セレナは止めなかった。
けれど。
その先へ進もうとした瞬間だけ、はっきり押し返された。
あれは、自分だから嫌だったというより。
そもそも、慣れていなかったのかもしれない。
深い口づけそのものに。
レオンは水を飲む。
少し分かった。
けれど、まだ分からないことの方が多い。
腰を抱いても平気だった。
身体が触れていても。
髪を弄っても。
頬へ触れても。
長く口づけても。
嫌でなければ、そのまま受け入れる。
普通なら。
夫ではない男との間には、もっと手前から線があるものではないのだろうか。
けれど、セレナにはそれが妙に薄い。
嫌なら止める。
嫌でなければ、気にしない。
まるで、その二つしかないみたいだった。
向かいでは、アルベルトがまだ僅かに赤い顔でこちらを睨んでいる。
レオンは笑った。
そのとき、廊下から足音が聞こえた。
アルベルトがすぐに扉を見る。
レオンもそちらへ視線を向ける。
全部は、まだ分からない。
ただ、少しだけ。
試してみたいことができた。




