40_境界
数日後。
セレナとレオンは、いつものように研究室で向かい合っていた。
机の上には、各地から届いた薬草の報告書と、ヴァルディアから取り寄せた原料の一覧が広がっている。
「こちら、前回より値段が上がっていますわね」
「雨が続いたからね。収穫量が落ちてる」
レオンが立ち上がり、セレナの隣へ回る。
「どれ?」
「ここですわ」
紙を覗き込む。
セレナの肩越しでは少し遠い。
レオンはそのまま腰へ腕を回し、身体ごと少しこちらへ引き寄せた。
「これ?」
「ええ。こちらです」
セレナは特に気にした様子もなく、指先で数字を示した。
背中が胸に触れている。
腰にはレオンの腕が回っている。
それでも、セレナの意識は完全に紙の上だった。
「このままですと、来月はもう少し上がるかもしれませんわね」
「たぶんね」
「でしたら、今のうちに――」
「セレナ嬢」
「なんですの?」
顔を上げたところで、唇が触れた。
セレナが瞬く。
けれど、離れない。
レオンも一度だけ軽く重ねて、すぐに離した。
「……突然ですわね」
「嫌だった?」
「そうは申しておりません」
それだけ言うと、セレナはまた資料へ目を戻した。
レオンは少しだけ笑った。
腰に回した腕も、そのままだ。
しばらく二人で数字を確認する。
「この地域は?」
「去年と同じですわ」
「じゃあ、除外していいね」
「ええ」
紙を一枚めくる。
セレナが身を乗り出した拍子に、銀色の髪がレオンの腕へ流れた。
レオンは空いている手ですくう。
「長くなったね」
「そうです?」
「前より」
指へ巻く。
するりと解ける。
もう一度巻く。
「……遊ばないでくださいませ」
「ちゃんと考えてるよ」
「手が遊んでいます」
「頭は使ってるから大丈夫」
「そういう問題ではありませんわ」
そう言いながらも、セレナは髪を取り返そうとはしない。
レオンは銀髪を指から解き、そのまま頬へ触れた。
青い瞳がこちらを見る。
顔を寄せても、セレナは逃げなかった。
また唇が重なる。
一度離れて。
もう一度。
今度は少し長く。
腰に回した腕へ力を入れると、セレナの身体がさらに近づいた。
それでも押し返してこない。
あの日だけではなかったらしい。
そう思うと、もう少し欲しくなった。
レオンは唇の角度を変えた。
セレナの唇が僅かに開く。
その隙間へ、もう一歩踏み込もうとした瞬間。
胸元に手が触れた。
強くはない。
けれど、はっきりと押された。
「……レオン様」
レオンはすぐに離れた。
セレナが自分の唇へ指を当てる。
頬が少し赤い。
怒っているわけではない。
それでも、さっきまでとは違った。
「ごめん」
それ以上は近づかなかった。
セレナも何も言わない。
レオンも聞かなかった。
軽い口づけは受け入れた。
長い口づけも問題ない。
腰を抱いていても平気だった。
なのに、今のは止めた。
何が違うのかと聞けば、セレナは考えるだろう。
考えて、言葉にして。
一度決めれば、きっとそこにはっきり線を引く。
なら、今は聞かない方がいい。
「お茶飲む?」
セレナが顔を上げた。
「……いただきますわ」
「いつものでいい?」
「ええ」
レオンは何事もなかったように立ち上がった。
茶を淹れ、カップをセレナの前へ置く。
「ありがとうございます」
「熱いから気をつけて」
「ええ」
それで終わった。
セレナも、さっきのことを蒸し返さない。
二人で茶を飲み、また資料を広げた。
そこからは、いつも通りだった。
数字を確認して。
意見を出して。
時々、どうでもいい話をする。
夕方になり、二人で研究室を出た。
レオンが扉を開ける。
セレナが先に通るとき、何気なくその腰へ手を添えた。
セレナは振り返りもしなかった。
「明日は何時からになさいます?」
「いつも通りでいいよ」
「では、朝食のあとに参りますわ」
「うん」
そのまま廊下を歩く。
セレナはもう、先程の資料のことを考えているらしい。
腰へ触れられていることなど、少しも気にしていない。
レオンは隣を歩くセレナを見る。
あれは止める。
これは平気。
やっぱり。
よく分からなかった。




