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元悪役令嬢ですが、夫が二人になりました。どちらも私に執着しています  作者: すなな


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39/49

39_欲

セレナが研究室へ入ってきた瞬間、昨日のことを気にしているのは分かった。


「おはようございます」

「おはよう、セレナ嬢」


いつも通り返しながら、レオンは手元の資料へ視線を戻した。

顔を見れば分かる。

こちらを見ない。

目が合えば、ほんの少し逸らす。

席へ着くときも、いつもより椅子を遠くへ引いた。


面白い。


昨日。

呼吸を崩したセレナを落ち着かせるために、口づけた。


最初は本当にそれだけだった。

昔も何度か同じことをした。

あの頃のセレナは、息ができなくなるほど自分を追い詰めることがあった。

何を言っても聞こえなくなって、息を吸おうとするほど余計に苦しくなる。

最初に口づけたのは偶然だった。

それで呼吸が一度止まった。

驚いてこちらを見た。

そのあとなら、声が届いた。

だから昨日もそうした。

そこまでは昔と同じだった。

違ったのはそのあと。

呼吸が戻っても、セレナはオレの服を離さなかった。

離れようとしたら、追ってきた。

思い出すだけで口元が緩みそうになる。


レオンは何でもない顔で資料を一枚めくった。

今日は自分から触らないと決めていた。

別に反省しているわけではない。

後悔もしていない。


むしろ。

またしたい。


今すぐ机を回って、昨日の続きをしたい。

けれど、それでは意味がない。

昨日のセレナには、過呼吸という理由があった。

あれを言い訳にされたくなかった。


苦しかったから。

混乱していたから。

助けてもらったから。

だから離せなかった。

そんなふうに片づけられるのは嫌だった。


今日は何もない。

息もできる。

頭もはっきりしている。

アルベルトのことだって覚えている。


その状態で、もう一度。

オレを欲しがってほしい。


「商会から追加が来たよ。こっちお願いしていい?」

「ええ」


レオンは資料を机の上へ置いた。

手渡さない。

指一本、触れない。

セレナがそれを取り、目を通し始める。

しばらくすると。

こちらを見た。

すぐに目を逸らす。


笑いそうになった。


また見る。

今度は少し長い。

何を見ているのかも分かる。


視線が。

唇で止まった。

レオンは気づいていないふりをして、紙をめくった。


可愛い。


昨日あんな顔をして謝ったくせに。

今日は自分から見ている。


だったら。

もっと気にすればいい。


触らない。

近づかない。

いつもなら同じ資料を見るために隣へ行くところも、今日は自分の席から指示した。

紙を渡すときも机の上へ置く。

セレナが取るまで待つ。

距離を作れば作るほど、セレナの意識がこちらへ向く。

それが面白かった。


「……セレナ嬢」

「はい」

「そこ、さっきも読んでなかった?」


セレナが手元を見る。


「……少し、考え事を」

「そう?」


何を考えているのかは聞かなかった。

聞く必要もない。


言葉にさせれば、理性が戻る。

セレナは賢い。

自分が何をしているのか。

何を感じているのか。

一つずつ言葉にしてしまえば、きっとすぐに正しい答えを出す。


夫がいる。

レオンとは口づけをしてはいけない。

昨日のことは間違いだった。


そして、オレから離れる。


分かっている。


だから考える時間なんて与えたくなかった。


セレナはまた資料へ目を落とした。

しばらくしてまたこちらを見る。

レオンは気づかないふりをした。

焦らなくていい。


どうせ、今日は二人きりだ。


やがて机の中央にある資料へ手を伸ばした。

同時にセレナも手を伸ばす。

指先が触れた。

偶然だった。

本当に。

だからレオンはすぐに手を引いた。


「ごめん」


その瞬間。

セレナの手が追ってきた。

指を掴まれる。

レオンは手元を見た。

それから、セレナを見る。

本人が一番驚いた顔をしていた。

思わず笑いそうになった。


ほら。

オレじゃない。


掴んだのは。

君だ。


「セレナ嬢」


名前を呼ぶと、青い瞳が揺れた。

それでも、手は離れない。


レオンはゆっくり立ち上がった。

机を回る。

セレナの前まで行っても、まだ離さない。

昨日ならここで聞いた。

大丈夫?

やめる?

今日は違う。

もう苦しんでいない。

呼吸もできる。

何が起きているのかも分かっている。


だから。

レオンは少し屈んで、セレナの顔を覗き込んだ。


「嫌なら言って」


逃げ道は作る。

嫌だと言われたら。

止まる。


どれだけ欲しくても。

どれだけ離したくなくても。

セレナが嫌だと言えば。


そこで終わり。


でも、言わないなら。

遠慮する理由なんてない。


レオンは頬へ手を伸ばした。

指先が触れた瞬間、セレナの肩が僅かに揺れる。


逃げない。


親指で頬を撫でる。

耳の下へ指を滑らせ、そのまま銀色の髪へ入れた。


「嫌?」


青い瞳が揺れる。

答えはない。


一瞬だけ。

待つ。


けれどセレナは何も言わなかった。


「じゃあ、まだやめない」


目が大きくなる。


分かっている。

こんなのは、ずるい。

セレナが迷っていることも。

考える時間を与えれば、きっと離れることも。


全部。

分かっている。

それでも。

もう我慢するつもりはなかった。


嫌だと言う時間は与える。


でも。

迷う時間まで与えるつもりはなかった。


レオンはそのまま顔を寄せた。

唇が触れる。

昨日みたいに。

呼吸を止めるためではない。


最初から。

欲しくてしている。


一度重ねて。

離す。


セレナが息をする。


もう一度。

今度は少し長く。


逃げない。


それどころか。

レオンの服を掴んだ。


ぞくりとした。


いい。

もっと。


腰へ腕を回す。

椅子に座っていた身体を引き寄せると、セレナの身体が胸元へ触れた。

それでも。

押し返してこない。


「……レオン、様」


名前を呼ばれた。

その声だけで。

もっと欲しくなる。

けれど。


レオンは一度だけ唇を離した。


「嫌?」


セレナは答えない。

青い瞳が揺れている。


迷っている。

アルベルトを思い出しているのかもしれない。

駄目だと思っているのかもしれない。


知ってる。

全部。


だから。


「じゃあ、まだやめない」


答えを出す時間なんて。

与えたくなかった。


また口づける。

腰を抱いたまま、もう片方の手を髪へ入れる。


セレナは逃げない。


最初は、されるままだった。

けれど何度か繰り返すうちに。

少しずつ変わっていく。


唇を離す。

セレナの身体が、ほんの少し前へ傾く。

また重ねる。

次に離したときは。

もっとはっきり追ってきた。

嬉しくて。

笑いそうになった。


ほら。

やっぱり。


昨日だけじゃない。

苦しかったからじゃない。

助けてもらったからでもない。


今。

何もないのに。

君はオレを追ってる。






言わないけど。






絶対に。

言ってやらない。

セレナはきっと、自分で気づいた瞬間に止まるから。


だから気づかなくていい。

今は。


レオンはまた口づけた。

セレナの指に力が入る。


離れれば。

追ってくる。

もう一度。

また。

何度でも。


アルベルトなら。

きっと待つんだろう。

セレナが自分から欲しいと言うまで。

何がしたいのか。

どう思っているのか。

一つずつ確かめる。




優しい。

正しい。


だから。





オレはしない。






セレナが言葉にできないなら。

言葉なんていらない。


嫌なら。

嫌だと言えばいい。

それだけは聞く。


でもそれ以外は。


もう、待ってやらない。


「……セレナ嬢」


唇を離して呼ぶ。

目が合う。

頬は赤い。

呼吸も少し乱れている。


それでも離れない。

レオンは頬を撫でた。


「やめる?」




一秒。




二秒。




それだけ待つ。

嫌だと言う時間は与える。


でも。

それ以上は待たない。


セレナの唇が僅かに開く。

何も出てこない。

代わりに服を掴む指へ力が入った。


レオンは笑った。



「……言わないね」




もう一度、唇を重ねる。

今度は、セレナも目を閉じた。

腕の中へ身体を預けてくる。


昨日は。

過呼吸を止める理由があった。


今日は。

何もない。


それがたまらなく嬉しかった。


アルベルトは今頃。

何をしているんだろう。


一瞬だけ考えた。


そして。

どうでもよくなった。





今。

セレナはオレの腕の中にいる。

嫌だと言わない。

離れない。


それどころか。


唇を離すたびに。

追ってくる。


なら。









止まる理由なんて。

どこにもなかった。

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