27_抱きしめていい?
昼を過ぎた頃、セレナはもう一度レオンの部屋を訪れた。
朝には少し下がっていた熱が、また上がっているらしい。
寝台に身体を起こしたレオンはいつもと変わらない顔をしていたけれど、額へ触れてみると、朝よりもはっきり熱がこもっていた。
「……困りましたわね。朝はもう少し下がっておりましたのに」
「波があるみたいだね」
「お辛くありません?」
「少し」
セレナは眉を寄せた。
珍しい。
いつもなら、これくらい大丈夫だと笑ってしまう人なのに。
「お水は飲んでいらっしゃいます?」
「うん」
レオンは寝台脇のグラスへ手を伸ばした。
けれど、持ち上げたところで身体が傾く。
「レオン様?」
セレナが咄嗟に手を伸ばしたものの、間に合わなかった。
グラスが床へ落ち、乾いた音を立てて砕ける。
透明な破片が寝台の脇へ散った。
「……ごめん」
「動かないでくださいませ。わたくしが片づけますわ」
「セレナ嬢、触らなくていいよ」
「大きなものだけ避けます。後で踏んだら危ないでしょう?」
しゃがみ込み、目についた破片へ手を伸ばす。
「あっ」
指先に鋭い痛みが走った。
細い傷から、すぐに赤い血が滲む。
「見せて」
顔を上げると、レオンが身を乗り出していた。
「これくらいでしたら――」
手首を取られる。
次の瞬間、傷ついた指がレオンの口へ含まれた。
「……」
セレナは目を見開いた。
何が起きたのか分からないまま、数秒遅れて名前を呼ぶ。
「……レオン様?」
レオンはすぐに指を離した。
「ごめん。咄嗟に」
セレナは自分の指先とレオンを交互に見る。
血はもうほとんど止まっていた。
「嫌だった?」
少し間を置いて聞かれる。
「いいえ。驚いただけですわ」
「そっか」
レオンはそれ以上触れなかった。
「もう破片には触らないで。誰かに片づけてもらおう」
「今度は気をつけますわ」
「駄目」
思ったより強い声が返ってきた。
セレナが目を丸くすると、レオンは少しだけ言葉を詰まらせる。
「……また切ったら嫌だから」
「分かりましたわ」
そこまで言われては仕方がない。
セレナは立ち上がった。
レオンも身体を戻そうとして、今度ははっきりとよろめく。
「まあ。やはり無理をなさっているではありませんか」
すぐに腕を支える。
「もう横になってくださいませ」
「うん」
今日は妙に素直だ。
寝台へ戻るのを手伝い、身体を支えていた手を離そうとしたところで、手首を掴まれた。
「レオン様?」
レオンは少し迷うようにセレナを見た。
それから、その手のひらを自分の頬へ当てる。
熱い。
掌へじわりと熱が伝わってきた。
「……またですの?」
「うん」
レオンが頬を寄せる。
「冷たくて気持ちいい」
「でしたら、冷たい布を持ってまいりますわ」
「これがいい」
「レオン様」
思わず呆れた声が出た。
けれど、熱が高いせいなのだろう。
それくらいなら構わないかと、セレナは手を引かなかった。
レオンは目を閉じる。
しばらく、そのままだった。
「……落ち着く」
ぽつりと声がする。
いつもの余裕のある笑みはない。
熱に浮かされているせいか、今日はずいぶんと無防備だった。
やがてレオンが目を開ける。
「セレナ嬢」
「何ですの?」
「もう一つ、お願いしていい?」
「何でしょう?」
すぐには続かなかった。
少しだけ迷ったあと、レオンが口を開く。
「抱きしめていい?」
セレナは瞬いた。
「……わたくしを?」
「うん」
「どうしてですの?」
「もっと落ち着きそうだから」
「……」
頬へ触れるのと、抱きしめるのでは少し違う。
すぐに返事をしないでいると、レオンは手首から指を離した。
「嫌ならいいよ」
あっさりと引かれて、セレナは離された手を見る。
無理に触れようとする様子はない。
それに、今はまだ熱も高い。
「……少しだけですわよ」
レオンが顔を上げた。
「いいの?」
「少しだけです」
「うん」
ゆっくりと腕が伸びる。
腰へ回された腕に引き寄せられ、身体が胸元へ触れた。
思っていたより近い。
セレナの身体は大きな腕の中へすっぽり収まり、腰から背中までひとまとめに包まれているようだった。
ふわりと、深く静かな香木の香りがする。
レオンの香り。
これほど近くで感じると、いつもより濃い。
アルベルトもよく抱きついてくる。
だから抱きしめられること自体には慣れているはずなのに、どこか違った。
「……レオン様?」
「何?」
頭上から低い声が返ってくる。
黒い髪が銀色の髪へ触れる。
レオンがほんの少しだけ顔を寄せた。
妙に落ち着かない。
けれど、嫌ではなかった。
「苦しい?」
「いえ」
「そっか」
それ以上、何もされない。
ただ静かに抱きしめられている。
少しだけ、と言ったはずだった。
それでもセレナは、すぐには離れなかった。




