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元悪役令嬢ですが、夫が二人になりました。どちらも私に執着しています  作者: すなな


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02_六月十四日

十九歳になった年の六月十四日。

書類の隅に日付を書いたところで、セレナのペンが止まった。

最後の数字のそばに、インクが小さく滲む。


六月十四日。


一度目の人生では、処刑まであと七日。

あの頃の自分は、七日後に死ぬことすら知らなかった。

男爵令嬢リリアへの殺害未遂。

身に覚えのない罪を着せられ、最後まで信じてもらえないまま処刑された。

そして、その処刑を命じたのが。


「セレナ?」


すぐ隣から声がした。

顔を上げる。

薄い金髪に、緑の瞳。

十九歳になったアルベルトが、こちらを不思議そうに見ていた。

耳たぶには、小さな青い宝石の一粒ピアスがついている。

結婚式の日、セレナが彼につけたものだ。

自分の耳には、彼の瞳と同じ緑の宝石。

二人は結婚指輪の代わりに、互いの瞳の色を身につけている。

一度目の人生で、自分を処刑した人。


そして今は。

セレナの夫だった。


「どうしたの?」

「……いいえ。なんでもありませんわ」


セレナは書類へ目を戻した。

目の前にあるのは薬草の栽培記録。

開けた窓から初夏の風が入り、机の上の紙を揺らしていく。

同じ六月十四日でも、あの日とは何もかも違う。

今のアルベルトは、あの頃の彼ではない。

六歳からもう一度、一緒に過ごした。

そして十七歳のとき、二人は結婚した。

だからもう、六月十四日は死を待つための日ではない。


「それより」


セレナは机の端に置いていた封書を持ち上げた。


「レオン様から届いています」


アルベルトの視線が封書へ落ちる。


「見せて」

「どうぞ」


封を切ると、アルベルトが椅子ごと寄ってきた。

肩が触れそうな距離で、一枚の紙を覗き込む。


「近くありません?」

「一緒に読むんでしょう?」

「読めますけれど」


離れる気はないらしい。

セレナは諦めて、書簡へ目を落とした。


『前回送ってもらった薬草は、こちらでも問題なく根づいた』


「よかったですわ」

「その次」

「まだ一行目ですわよ」


紙を少し下げる。


『ただし、アルベルトの提案した栽培方法は却下した』


「なんで?」

「下に書いてあります」


『理由は前回書いた。三回目だからもう説明しない』


アルベルトが黙った。

セレナは口元を押さえる。


「笑った?」

「いいえ」

「笑ってる」

「三度も同じことをおっしゃるからでしょう」

「いい案だと思うんだけど」


納得していないらしい。

その顔がおかしくて、今度こそセレナは笑った。

レオンと実際に顔を合わせたことがあるのは、一度だけだった。


そのとき名乗っていたのは、レオン・ヴァレン。

大きな商会を率いる会長だった。

けれど、その一度きりの対面から随分時間が経った今では、ほとんど会ったことがない相手という気はしなくなっていた。

薬草のこと。

交易のこと。

各地で採れる原料や、育て方の違い。

思いついたことがあれば書き送り、向こうからも返事が届く。

一つの書簡に返事を書き終える頃には、すでに次に聞きたいことが増えていることも珍しくなかった。

そうして何度も文字を交わすうちに、レオンはいつの間にか遠い隣国の商人ではなく、日常の中で名前が出る相手になっていた。


後になって、本当の身分も知った。

レオン・ヴァレンではない。

本当の名は、レオン・ヴァルディア。

隣国ヴァルディア帝国の皇太子だったのだ。

正体を知ったあとも、やり取りは変わらなかった。

いつしか届いた封書を二人で開くのが当たり前になり、アルベルトがセレナの返事の余白に何かを書き足すことも増えた。

その結果が、三回目の却下である。


「まだ続きがありますわ」


セレナが紙をめくる。


『六月十五日、エルグランへ行く』


「あら」


アルベルトの指が、紙の端で止まった。

ほんの一瞬だった。


「明日ですわね」

「……うん」


『しばらく別邸に滞在する予定だ。

二人の結婚祝いも、まだ直接できていない。

十五日の夕刻、都合がよければ二人で来てほしい。

料理を作る』


「まあ」


思わず声が弾んだ。


「レオン様がお料理をなさるんですのね」

「そこ?」

「気になりません?」

「……ちょっと」

「何を作ってくださるのでしょう」


返事がない。

見ると、アルベルトはまだ書簡に目を落としていた。


「アル?」

「明日だね」

「ええ」

「予定は?」

「空いていますわ」

「僕も」


アルベルトが紙を返してくる。


「行こう」

「ええ」


セレナは先触れを出すための紙を取り出した。


「手土産も必要ですわね」

「あの菓子店でいいんじゃない?」

「いつもの?」

「うん」


セレナの頭に、小さな店が浮かぶ。

赤い屋根。

扉の上には、木製の看板。

店へ入れば甘い香りがして、木苺や蜂蜜、ナッツを使った菓子がずらりと並んでいる。

幼い頃から、アルベルトと何度も通った店だった。


「焼き菓子ならちょうどよさそうですわね」

「じゃあ、そこにしよう」

「では、あとで買いに――」

「今行こう」


顔を上げると、アルベルトはもう立っていた。


「仕事中ですわよ」

「あとどれくらい?」

「一時間ほど」

「長い」

「アル」

「だめなの?」

「駄目です」


即答すると、アルベルトはしぶしぶ座った。

ただし、自分の席ではない。

セレナの隣だった。


「なぜこちらに座るんですの?」

「待つから」

「ご自分のお仕事をしてください」

「終わってる」

「では、本でも読んでいてくださいな」

「うん」


そう答えたくせに、本を取りに行く様子はない。

セレナは書類へ視線を戻した。


一行読む。

次の数字を確認する。

もう一行。


けれど、妙に落ち着かない。

横を見る。

アルベルトと目が合った。


「……」

「……」


セレナは小さく息を吐いた。

手を伸ばし、金色の髪をひと撫でする。

アルベルトが満足そうに目を細めた。


「これでよろしい?」

「うん」


ようやく立ち上がり、自分の席へ戻っていく。


「まったく……」


小さくこぼして、セレナも仕事へ戻った。



◇



一時間後。


屋敷を出ると、アルベルトが当たり前のように手を差し出した。

セレナも当たり前のように、その手に自分の手を重ねる。

すぐに指が絡んだ。


六月十四日。

かつて、処刑まであと七日だった日。

あの頃の自分が今を見たら、いったい何と言うのだろう。

分からない。

ただ、繋いだ手は温かかった。


セレナは今。

自分を処刑台へ送った男と、手を繋いで街へ出た。





(アルベルト)


挿絵(By みてみん)

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