17_ここにおります
「僕をおいて行かないで」
セレナは、息を止めた。
「ごめん。今の――」
アルベルトがすぐに取り消そうとする。
その頬に触れて、初めて気づいた。
「アル?」
緑の瞳から、涙が落ちていた。
「泣いていらっしゃるの?」
「……泣いてない」
「泣いておりますわ」
目元を指先で拭う。
アルベルトは、そこで初めて気づいたような顔をした。
自分が泣いていることにさえ。
「どうなさったのです?」
答えはなかった。
「……ごめん」
セレナはアルベルトを見つめた。
昔から、アルベルトはよく甘える。
抱きついてきたり、髪を撫でてほしがったり。
少し困った顔をして、
「だめなの?」
と尋ねたり。
長くそばにいるうちに、それがすべて同じ甘えではないことくらい、セレナにも分かるようになっていた。
本当に甘えたいときのアルベルトは、もっと素直だ。
撫でて。
もう少し。
そばにいて。
欲しいものを、そのまま口にする。
けれど、ときどき。
欲しいはずなのに、自分から手を伸ばさなくなる。
今夜もそうだった。
「……アル?」
呼ぶと、ようやく顔が上がった。
緑の瞳が、まっすぐセレナを見る。
アルベルトの手が伸びてきた。
頬に触れる。
けれど、そこから動かない。
指先だけが、僅かに震えていた。
触れたいのに。
触れることを怖がっているように見える。
セレナは頬に触れている手へ、自分の手を重ねた。
「わたくしは、ここにおります」
ふわりと抱きしめる。
一瞬。
アルベルトの身体が強張った。
それから、恐る恐る背中へ腕が回る。
いつもなら、もっと素直に身体を預けてくる。
今夜はまるで抱きしめることさえ、確かめながらしているようだった。
近づいた身体から、バニラの甘い香りがする。
昔から知っている、アルベルトの香り。
自分の花の香りと混ざって、いつもと同じ馴染んだ香りになる。
セレナは薄い金髪へ指を入れ、ゆっくりと撫でた。
こうすると、いつもなら嬉しそうにする。
もう少し、とねだることもある。
今夜もアルベルトは大人しく撫でられていた。
けれど、なかなか身体から力が抜けない。
むしろ時間が経つほど、背中に回された腕が少しずつ強くなっていった。
「……アル」
「なに?」
顔が上がる。
近い。
緑の瞳が、すぐそばにある。
何かを求めている。
それくらいは分かった。
けれど、何を求めているのかまでは分からない。
アルベルトは何も言わず、ただセレナを見ている。
「そんなに怖い顔をなさらないで」
アルベルトが目を瞬いた。
「……僕、怖い顔してる?」
「ええ」
「どんな?」
少し考える。
「わたくしが、どこかへ行ってしまうと思っているようなお顔ですわ」
アルベルトの表情が止まった。
図星だったらしい。
セレナは眉を下げる。
「わたくしは、ここにおりますのに」
「……うん」
返事はした。
けれど、安心したようには見えなかった。
どうしてだろう。
レオンと何か話したのだとは思う。
けれど、アルベルトは何も言わない。
ならば今は、無理に聞く必要もないだろう。
セレナはもう一度、薄い金髪を撫でた。
しばらくすると、アルベルトが肩口へ顔を埋める。
そのまま黙っている。
首筋に、静かな呼吸が触れた。
セレナも何も言わず、髪を撫で続けた。
いつもと同じことをしているはずなのに。
今夜は、何かが違う。
いつものアルベルトなら、撫でていればそのうち安心する。
身体から力が抜けて。
眠そうに目を細めて。
もう少し、と甘えてくる。
けれど今夜は、どれだけ撫でても離れようとしなかった。
時折、確かめるように腕へ力がこもる。
まるで、自分がまだここにいることを何度も確かめているようだった。
セレナは何も聞かなかった。
薄い金髪を撫でながら、そのまま待つ。
やがて、肩口で小さな声がした。
「……セレナ」
「はい」
「痕、つけてよ」
セレナの手が止まった。
「痕?」
「僕に」
アルベルトが顔を上げる。
目元には、まだ涙の跡が残っていた。
そのまま自分の襟を少しずらす。
「噛んで」




