14_ブローチ
「今回は、僕の勝ちだね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
レオンは寝台に横になったまま、アルベルトを見る。
ついさっきまで、ここにはセレナがいた。
熱に浮かされた自分のそばに座って、みっともなく泣き続ける自分を、何も聞かずに慰めてくれた。
そのセレナを部屋から帰した途端。
目の前の男は、こんなことを言った。
「……今、なんて?」
「今回は僕の勝ちだって言ったんだよ」
今回は。
その言葉だけが、妙に耳に残った。
レオンはゆっくり身体を起こす。
まだ熱がある。頭の奥が鈍く痛み、身体も重い。
けれど、そんなものはどうでもよくなった。
「お前……」
アルベルトは笑っている。
けれど、それはセレナの前で見せていた穏やかな笑顔とは少し違った。
もっと幼くて。
もっと醜い。
どこかで見たことがあるような顔だった。
「やっと気づいた?」
背筋が冷える。
「僕も戻ってるから」
レオンはアルベルトを見つめた。
戻っている。
その意味を理解するまで、少し時間がかかった。
「君、今が二回目だと思ってるでしょう?」
「……違うのか」
「うん」
アルベルトはあっさり頷く。
「僕とセレナにとっては、三回目」
三回目。
自分の知らない人生が、もう一つある。
「どういうことだ」
アルベルトは答える代わりに、胸元へ手をやった。
そこに留めていた銀細工のブローチを外す。
中央には、灰色がかった透明な石がはめ込まれていた。
指先でつまみ上げ、レオンに見せる。
「……何、それ」
アルベルトはブローチを口元へ寄せた。
「回帰の魔道具」
「回帰?」
「時間を遡る」
そう言いながら、ブローチを指先でくるりと裏返す。
「昔にあったものを、残ってた記録から作り直した」
普段なら、馬鹿なことを言うなと笑ったかもしれない。
けれど。
レオン自身、ある日突然、子どもに戻った。
死んだはずのセレナが生きていて、ようやく会えたと思ったら、自分のことを何も知らなかった。
今さら時間を遡ったと言われたところで、否定できるものなど何もなかった。
「……じゃあ」
レオンの視線がブローチへ落ちる。
「俺が戻ったのも?」
「たぶんね」
「たぶん?」
「君まで戻るとは思ってなかったから」
アルベルトはブローチを掌へ落とし、そのまま手の中でゆっくり転がした。
「使ったときの感情とか、そういうものも関係してるのかもしれない」
「感情?」
「最初に使ったときは、セレナだった」
レオンは黙って続きを待った。
「二度目に使ったときも」
アルベルトはブローチを指先で弄びながら、少し考える。
「僕はセレナを想ってたつもりだったんだけど」
顔を上げた。
緑の瞳が、まっすぐこちらを見る。
「君も来た」
「……なんで」
「憎かったから」
静かな声だった。
ブローチをつまみ上げ、また口元へ寄せる。
「セレナを取った君が、本当に憎かった」
「……」
「たぶん、僕が思ってたよりずっと」
レオンは何も言えなかった。
少しして、乾いた笑いが漏れる。
「……ふざけるなよ」
アルベルトは静かにこちらを見ている。
「お前が勝手に俺を憎んで、それで俺まで巻き込まれた?」
否定しない。
腹が立った。
自分は何も知らなかった。
セレナと生きて。
セレナを失って。
気づいたときには、また子どもだった。
何年も待った。
もう一度会えると思って。
ようやく会えたセレナは、自分を知らなかった。
自分だけが全部覚えていた。
それが、目の前の男の感情に巻き込まれた結果だという。
「……最悪だな、お前」
「そうだね」
悪びれもしない。
その顔を殴ってやりたいと思った。
熱がなければ、本当にそうしていたかもしれない。
けれど、そこで一つ引っかかった。
「……待て」
「何?」
「だったら、セレナは?」
ブローチを弄んでいたアルベルトの指が止まる。
「なんで俺を覚えてない」
「……」
「俺が戻ってるなら、セレナだって――」
「知らないよ」
あっさり返された。
「知らない? お前が使ったんだろ」
「だからって、全部分かるわけじゃないよ」
アルベルトは手の中のブローチへ目を落とした。
「残ってた記録を頼りに、昔の魔道具を作り直しただけだから」
「でも、二回使った」
「使えたからって、仕組みまで全部分かるわけじゃないでしょう」
「何が戻るかも?」
「分からない」
「誰が戻るかも?」
「君が来た時点で、分からないね」
レオンは黙った。
アルベルトは親指で、ブローチの中央にはめ込まれた透明な石を撫でる。
「僕が分かってるのは、実際に起きたことくらいだよ」
「じゃあ、セレナが俺を覚えてない理由も?」
「分からない」
「……俺といた人生は?」
「覚えてない」
分かっていた。
そんなことは、とっくに。
セレナの目を見れば分かる。
自分を見ても、何も思い出さない。
名前を呼んでも、そこにあるのは今のレオンへ向ける感情だけだった。
それでも。
他人の口からはっきり言われると、思っていたよりずっと痛かった。
「どうして」
「だから、分からないって」
「……このままずっと?」
ほんの一瞬。
アルベルトが黙った。
「思い出さないよ」
レオンは顔を上げる。
「……なんで言い切れる?」
「今まで思い出してないから」
「それだけ?」
「それだけで十分でしょう」
アルベルトはブローチごと手を握り込んだ。
レオンはしばらくその顔を見ていたが、今はそれ以上聞かなかった。
代わりに、閉じられた手へ視線を落とす。
アルベルトが手を開く。
掌の上に、銀細工のブローチが現れる。
「今回は途中だよ」
「途中?」
「完成してない」
「なんで」
アルベルトはブローチを指先でつまみ上げた。
「セレナが嫌だって言ったから」
あまりにも簡単に言う。
「だから、やめた」
レオンはアルベルトを見た。
ここまで執着している男が、セレナに嫌だと言われただけで、途中まで作ったものを捨てた。
「……そう」
アルベルトはしばらくブローチを眺めていた。
それから、外した場所へ留め直す。
「だから、もう次はないよ」
(関連話)
アルベルトがブローチを作るのをやめた日はこちら↓
「私を処刑した王子を6歳から矯正してみます」
第6話:じゃあ、(作るのを)やめる
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