13_勝ち
扉を開けると、セレナが振り返った。
「アル」
その声を聞いただけで、少しだけ肩の力が抜けた。
「まだ熱、高い?」
「ええ。先ほどよりは落ち着きましたけれど、まだ熱がありますわ」
セレナは寝台のそばに座っていた。
アルベルトは部屋へ入りながら、レオンを見る。
横になっている。
顔色が悪いのは、高熱のせいだろう。
けれど、目元が赤い。
少し、腫れていた。
アルベルトの足が止まりかけた。
――泣いた?
まさかと思った。
レオンが泣くところなんて、見たことがない。
いつだって余裕があって。
何を考えているのか分からない顔で笑って。
人のことばかりよく見ている男。
そのレオンが。
セレナと二人きりの、この部屋で泣いていた。
胸の奥が、ざわついた。
「アル?」
呼ばれて。
アルベルトはすぐに笑った。
「何でもないよ」
セレナは不思議そうにこちらを見る。
その顔は、いつもと変わらない。
だから、何もない。
そう思おうとした。
けれど、もう一度レオンを見る。
目が合った。
レオンは笑わなかった。
ただ、アルベルトを見ている。
それが妙に嫌だった。
何があったの。
どうして泣いたの。
セレナと何を話したの。
聞きたかった。
けれど。
「代わるよ。セレナは休んでて」
口から出たのは、いつもの声だった。
「ですが、アルもお疲れでしょう?」
「僕は大丈夫」
「でも」
「ずっと付き添ってたんでしょう?」
「……ええ」
「だったら休んで」
なるべく、いつも通りに笑った。
セレナの前で。
こんな顔をしたくなかった。
疑っているわけではない。
セレナが自分を愛していることも知っている。
なのに自分の知らない時間が二人の間にできただけで、こんなにも落ち着かない。
「僕がいるから大丈夫」
セレナは少し迷ってから、頷いた。
「では、お願いいたしますわ」
セレナが立ち上がる。
そして寝台へ身体を寄せた。
「レオン様」
胸の奥が。
また、小さく痛んだ。
「わたくしは戻りますね」
「うん」
「何かありましたら、アルにおっしゃってくださいませ」
「分かった」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
何でもない会話だった。
触れてもいない。
特別な言葉だってない。
分かっている。
それなのに、セレナがレオンを気遣う声が、妙に耳に残った。
嫌だ。
そんなことを思ってしまう。
セレナは優しい。
その優しさが好きなのに。
自分以外の男へ向けられると、こんなにも嫌だった。
「アル?」
気づけば、セレナが目の前に立っていた。
「どうかなさいました?」
「ううん」
「本当に?」
「ちょっと疲れたのかも」
嘘だった。
本当は。
抱きしめたかった。
今すぐセレナに触れて。
自分を見てほしかった。
大丈夫だと。
好きだと。
言ってほしかった。
でもそれを求めたら。
また、自分の不安をセレナに背負わせることになる。
だから手を伸ばさなかった。
「大丈夫だよ」
笑ってみせる。
セレナはまだ少し心配そうだった。
「アルも、あまり無理をなさらないでくださいね」
「うん」
「ちゃんとお休みになってくださいませ」
「分かった」
それでもセレナはしばらく自分を見ていた。
青い瞳。
その目に自分が映っている。
それだけで。
どうしようもなく、好きだと思った。
「セレナ」
「はい?」
呼べば、当たり前のように返事をしてくれる。
昔は。
それすら失った。
だからこんな些細なことが、今でも嬉しい。
アルベルトは手を伸ばしかけた。
けれど、指先が動いただけでやめた。
「……おやすみ」
セレナが微笑む。
「おやすみなさい、アル」
扉へ向かう。
閉まる直前。
もう一度、セレナが振り返った。
目が合う。
また微笑んでくれる。
アルベルトも笑い返した。
扉が閉まった。
足音が遠ざかっていく。
聞こえなくなるまで。
アルベルトは、その場に立っていた。
やがて部屋に静寂が戻る。
レオンと二人きりになった。
もう一度、寝台を見る。
赤く腫れた目。
さっきまでセレナが座っていた椅子。
手を伸ばせば届くほど、近い。
また胸がざわついた。
聞けばいい。
何があったの、と。
たったそれだけなのに。
怖くて聞けなかった。
もし自分の知らない何かが、二人の間に生まれていたら。
知ってしまったあと、自分はちゃんと笑っていられるだろうか。
アルベルトは自分の手を見る。
さっきセレナに触れたかった。
抱きしめたかった。
それでも我慢できた。
セレナを、自分の不安を埋めるために使いたくなかったから。
昔の自分なら。
きっと、できなかった。
そう思ったのに。
寝台の上の男を見るだけで。
胸の奥には。
昔と変わらない感情が渦巻いている。
羨ましい。
妬ましい。
嫌いだ。
レオンが持っている。
自分の知らないセレナとの時間が。
どうしようもなく欲しい。
一度目も。
二度目も。
三度目も。
全部のセレナが。
自分だけを愛してくれたらよかったのに。
そんなことを願ってしまう自分は。
やっぱり、どこか変だ。
それでも、今は違う。
セレナを縛らなかった。
何も強制しなかった。
それでも彼女は。
自分を選んだ。
自分と結婚したいと。
セレナの方から言ってくれた。
それだけは。
誰にも奪えない。
アルベルトは顔を上げた。
レオンと目が合う。
聞きたい。
何があったの。
どうして泣いたの。
でも聞けない。
だから代わりに。
自分が一番信じたい言葉を口にした。
「今回は、僕の勝ちだね」
レオンの目が見開かれた。
その顔を見て。
アルベルトは笑った。
勝ったから言ったんじゃない。
勝ったと。
思いたかった。




